し~んと静まり返った我が家・・娘との約束 | 肺腺ガンと共に生きてます

肺腺ガンと共に生きてます

娘を失って7年後
肺腺ガンの告知を受けショックで毎日泣き明かし
必死で生きてきて12年目を迎えます。
これからの人生を思う事を綴ります。


今、娘を新幹線駅まで送り届けて帰ってきましたほっ

日にちが過ぎるのが本当に早くて
娘が帰るのを指折り数えていたのに
もう大阪に帰ってしまいました・・泣

この記事を読まれている方は娘が質素なおとなしい
女性だと思われているかもしれませんが
田舎娘が大阪に出て、キャバ嬢と呼ばれるような
メイクと服装、大阪弁を喋りまくる娘でございます笑顔

新幹線を待つ間、久しぶりに娘と過去の話をじっくりしました
あらましは、すでに聞いているのですが今日はじっくりと・・

私がガン告知されたころ、娘は一人母と主人の間に挟まれ
悩み苦しみ、不安からそのはけ口としてリストカットを選び
自分を痛みつけたそうです・・

大阪で一人暮らしをする時も
私の不注意で骨折し、娘の準備もしてやれないまま
大阪での暮らしは不安でいっぱいだったそうです涙 

唯一、大阪で山口の同級生と彼氏で寄り添いながら
毎日を過ごすも、金銭的な事を私たち親に迷惑をかけないために
飲まず食わずの日があったり、バイトや学校先でトラブルにあった時も
私たち親には何も話さず、知らず知らずのうちに
うつ病にかかって病院で治していたそうです涙

その間も精神的不安定からリストカットを繰り返したり
暴飲暴食に走ったり、お酒に飲まれたこともあったそうです><;

私が心配でメールや電話した時は
「大丈夫だよ・・なんとかやってるから心配しないで」と
返事が返ってくるばかり・・ためいき
それを鵜呑みにして信じていた私は親として気づいてやれず恥ずかしいですハズぃ!

娘の周りの友達は子供を産んでいる子が多いんです
娘にも彼氏がいる事から、性の話もよくします

我が家では、次女優ちゃんを12年前に亡くした時に
命の大切さを娘と語り合ってきました
若い世代の男女が軽々しく性行為をし、堕胎していく
それがどういう事なのかと言う事を
私と娘は常に話し合ってきました

娘も成人した事でもういちど性の話を再認識させるため
話すと、よくわかってるとの返事・・

見かけはギャル嬢ですが、私には想像ができないほど
苦しみ、考えそして今があるようです・・

私がガン告知された時は、娘の事、主人の事は考えられませんでした
自分が死ぬという恐怖心で娘の心の叫びをわかってやることが
出来なかったことを本当に申し訳ないと思っていますごめんね

私が、しっかりしていたら娘にリストカットやうつ病など
辛い試練を与えなくてよかったのに・・

でも、娘は想像以上に成長しているように思えます
親から見れば、危なっかしい事は多々ありますが
精神的な強さは私よりしっかりしているかもしれません

駅で娘と約束を交わしました・・
「隠し事はしない・・一人で悩まない事・・」

新幹線に乗って娘からのメールの返事は
  
  「わかったよ
  いつもありがと
  頑張るから  話すから

  母さんも頑張れ
  ばあちゃんと親父を頼むよ

  また帰るから
  でわ いってきます  」


 

でした・・

元気娘がいないと本当に寂しいです
でも、今日は優ちゃんの誕生日
ケーキとお花を買ってきます・・バースデーケーキ花束