心の食物も大事では!?

 

 

 

肉体を養うためには、

 

食事は必須なはずです

 

 

 

 

余程の病気でもない限り

 

一回の食事を欠くことさえ、

 

滅多にないことでしょう

 

 

 

 

否、病気であっても

 

食べるものが変わるだけで

 

全然食事を摂らないという

 

ことはないでしょう

 

 

 

 

ですから、

 

若く健康な人であれば、

 

なおさら30分、1時間でも

 

食事が遅れれば我慢するのは

 

決して容易いなことでは

 

ありません

 

 

 

 

ところで、

 

体同様に心にもこの食事と

 

いえるものが必要ではない

 

でしょうか?

 

 

 

 

そう「心の食物」といえる

 

ものです

 

 

 

 

では、

 

この「心の食物」とは、

 

いったい何でしょうか?

 

 

 

 

その最たるものの一つは、

 

「読書」ではないでしょうか?

 

 

 

 

もちろん、

 

それだけに限られるわけでは

 

ないでしょうが・・

 

たとえば、人生の色々な経験

 

などもそれに当たるでしょう

 

 

 

 

いずれにせよ、

 

肉体に食事が欠くべからず

 

ものであるように、人には

 

「心の食物」も欠くべからず

 

ものではないでしょうか?

 

 

 

 

しかし、

 

果たして平生それに対して

 

どれほどの養分を与えて

 

いるでしょうか?

 

また、意識しているでしょうか?

 

 

 

 

おそらく体の養分に比べ

 

かなりおろそかにしている

 

可能性はないでしょうか?

 

 

 

 

 

かくゆう私も恥ずかしながら

 

ほとんど栄養(読書)を

 

与えてきませんでした

 

 

 

 

それは、「心の栄養失調」状態

 

といっても過言ではありません

 

 

 

 

自分のことはさて置き、

 

先ほど人生における経験も

 

心の養分になり得ると言い

 

ました

 

 

 

 

しかし、それだけでは、

 

その経験の意味する真の深さに

 

気づくことは難しいと思うのです

 

 

 

 

ですから、

 

その実体験に読書の光を照らす

 

ことで真の深さを学び得るのでは

 

ないでしょうか?

 

 

 

否、気づかないだけなら

 

まだしも、経験からその

 

意味を見出し活かせなければ

 

ときに自他を傷つける結果に

 

なるかもしれません

 

 

 

 

ちょうど劇薬は、

 

これをうまく使えば良薬と

 

なりますが、これを活かす道を

 

知らねば、かえって人々の

 

健康を損なってしまいます

 

 

 

 

同様に人生の経験も、

 

もし読書によって、

 

教えの光に照らして見ない限り、

 

いかに貴重な人生経験と

 

いえでも、ひとりその意味がない

 

ばかりか、

 

時には自他ともに傷つく結果

 

さえ招いてしまうかもしれません

 

 

 

そして、

 

読書はそもそも人から

 

奨められるべきものではない

 

とも考えます

 

 

 

 

人から奨められなければ

 

読まないという人は、

 

仮に奨めてみたとしても

 

いわずもがなです

 

 

 

 

自らが心のひもじさを

 

真に感じた時に、

 

自ら求めるものですから

 

多くの先人達もそうして

 

きたんです

 

 

 

 

中でも、

 

二宮尊徳翁や石川理紀之助翁

 

など、忙しい農業の暇を

 

ぬすんで実に豊富な読書を

 

された偉人がいます

 

 

 

 

ちなみに、

 

石川翁は、日中は農業に従事され、

 

就寝後午前1時、2時に起きて、

 

それから夜明けまでの数時間を、

 

読書と著述にあてられたそうです

 

 

 

 

偉大な実践家は、大いなる

 

読書家でもあったんですね