"私"とは何なのでしょう?

 

 

 

この感情が"私"?

それともこの思考が"私"?

いや、この感覚が"私"?

 

 


これって、

すべては現象ですよね

 

 

 

そして、

自らのコントロール外で
勝手に起こってきます

 

 


ですから、
思考の主体は思考、
感情の主体は感情、
感覚の主体は感覚、
肉体の主体は肉体

ということですよね

 

 



どこをどう探しても
“私”という個人は
見つかりません

 



しかし、
苦しむ自分は感じるわけ

です

 

 

それは、
”私”というものが苦しんで

いるわけではありません

 

 

 

つまり、

苦しみ自分=思考であり

「思考」が苦しんでいる

わけです



正確に言えば、
「苦しい」という思考が
やってきているわけです

 



身も蓋もない話ですが、

それだけことなんですよね

 

 


苦しんでいる誰かが
存在しているわけでは
ありません

 

 


そう言うと、きっと、

「そんなバカな!」
という思考がやってくる

かもしれません

 

 

 

しかし、お気づきのように

それもまた思考なんですよね

 

 

 

それを見抜けるかどうかが

結構大事かもしれません

 



その本質こそ、やってくる

思考や感情に気づいている

「意識」です

 



意識は、言わば映画の

スクリーンのようなもの

 

 

スクリーンの中では、

色んなストーリーが展開

されますが、

 

それを見ている観客(意識)

自体は、実際上の影響を

受けません

 


であれば、
本当の自分(意識)は
傷つくことも不安になる

ことも恐れることも

混乱することもないと

いうことになりますよね

 

 

 

数千年前にお釈迦様は

それに気づかれていた

ということなんでしょうね

 

 

 

今日も何となくイイ気分で!!