vol.1045

 

 

 

あぁ〜

面倒くさい、邪魔くさい、

 

 

 

 

で、結局今日もやらなかった

 

 

 

 

 

なんて

思い当たる方が

いるかもしれません?

 

 

 

 

 

やればイイことは

分かっている

 

 

 

 

 

でも、なかなか

やる気にならない

 

 

 

 

 

その理由の一つは、

自我は変化を嫌う

ことにあります

 

 

 

 

 

変わりたいという

思いはあるんですが、

実は同時に”このままでも

いい”という思いもあるん

ですよね

 

 

 

 

 

ところで、

同じようなストレスも

繰り返すと安定します

 

 

 

 

 

 

いわゆる、

ストレス慣れというやつ

です

 

 

 

 

まぁ、少々苦しくても、

死ぬことのほどではない・・

 

 

 

 

別にやろうがやらまいが、

また明日はやってくるし、

急いでやることもないか

 

 

 

 

だったら、

今楽しいことをやろう、

そんな感じでしょうか

 

 

 

 

そして、もう一つは、

”悲劇の主人公でいたい”

という思いです

 

 

 

 

「みなさ〜ん、聞いて〜!

私は被害者なんです」

 

 

 

 

そもそも

こんな人生になったのは、

全部あいつのせいだ

すべてあいつが悪いんだ

 

 

 

だから、

私って可哀想な人間です

ねえ、あなた・・・

わかってくれますよね?

 

 

 

 

悲劇のヒロインという

配役は自我にとって、

とても大切です

 

 

 

 

他人は自分の一側面

つまり、合わせ鏡の

ようなものです

 

 

 

 

だとすれば、

誰も正しくもないし、

間違ってもいない?

被害者であるという

のも観念?

 

 

 

 

それを認めてしまえば、

もう誰のせいにも

できなくなり共感も

同情も必要ではありません

 

 

 

 

そんなんじゃ、きっと

自我は抵抗するでしょう

けどね

 

 

 

 

そんあの嫌だあ〜

悲劇は終わらせたくない!

ってね