最近、兵士の夢を見る−−漫画家・水木しげるさん
◇命懸けで合流した部隊で「死ね!」こみあげた怒り--水木しげるさん(92)
「最近、戦争の夢を見る夜が増えた」という。鬼太郎ブームを巻き起こした日本を代表する漫画家、水木しげるさん(92)が見る夢の中で、亡き戦友たちが無言で目の前を通り過ぎる。水木さんの右手は空をつかむようにして戦友を呼び止める。だが「『おーい!』と声をかけても誰も振り向いてくれない」。
東京都調布市の水木さんの事務所。鬼太郎や妖怪たちのフィギュアやお面が見守る。太平洋戦争中、激戦地、ラバウル(現パプアニューギニア・ニューブリテン島北東部)にいた。目の前の机に置いたのは、戦記漫画「総員玉砕せよ!」の初版本。「90%は戦地で自分が見聞きしたこと」という。
召集令状が届いたのは1943年春、21歳の時だった。古い船に乗せられラバウルに着いたのは秋。ラバウルはガダルカナル島などへの中継地点で、連合国軍の空爆の標的になった。すでに戦局は悪化し、水木さんの船はラバウルに到着した最後の船だった。
戦場は常識が通用しない世界だった。「上官から毎日50発ぐらいビンタされていました。水木さん(自分のことをこう呼ぶ)は、一秒でも長く寝ていたいから起床が一番遅い。だから朝から『ビビビビビン!』とビンタされる。銃の手入れが悪いと指摘されたり、軍の規則に少しでも外れる行動をしたりすれば、これまたビンタなのです」。兵隊は消耗品と位置付けられ、初年兵と畳はたたくほどよくなると言われていた。
「戦時中、特に前線では人間扱いされることなんてあり得ないことでした。人間なのか動物なのか分からないほど、めちゃくちゃだった」
分隊で、間もなく夜明けという頃に海岸線の歩哨に立った。望遠鏡でオウムを観察していて時間に遅れそうになり、慌てて隊に戻る途中、分隊は森側から敵襲を受け、全滅。水木さんは海に飛び込み、現地住民に襲われたり密林の中をさまよったりしながら本隊と合流を試みた。重い銃や弾は捨て、5日ほどの逃避行。「時間の感覚がまったくなかった。あるのは『生きて日本に帰りたい』という気持ちだけだった」と振り返る。
死線を乗り越えて部隊に合流すると思いがけない言葉が返ってきた。小隊長は「天皇陛下からもらった銃をなぜ捨てて帰った!」と怒鳴った。中隊長は「なんで逃げて帰ってきたんだ。みんなが死んだんだからお前も死ね!」と。
水木さんはこの時の心境について一言だけ述べた。「兵隊が逃げていたら戦争なんかできないから、生きて帰ったと叱られたわけですよ。だけどね、命からがら逃げてきて『死ね』と言われてもできるわけないですよ」
著書「水木しげるの娘に語るお父さんの戦記」(河出文庫)にはこう記されている。<中隊長も軍隊も理解できなくなった。同時にはげしい怒りがこみ上げてくるのを、どうすることもできなかった>
「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓が、戦場にいた人の心を狂わせた。水木さんは口調に力を込めた。「体面を重んじたり、部下を忘れて美しく死のうとしたりする上官が多かった。玉砕という言葉が、生きたいと願う兵隊一人一人の人生に絡みついて離れない感じだった」。水木さんの直属の上官、27歳の大隊長は、皇国史観の下で「忠臣の鑑(かがみ)」とされた楠木正成に心酔していた。のちに戦況不利と判断すると玉砕を決行している。
爆弾で手足をもぎ取られたり、腹を撃たれたりしてうめく兵士。戦場では死は常に隣にあり、命は軽すぎた。作品では仲間の死に兵隊が涙を流すシーンがあるが、「水木さんは戦場ではあまり悲しんでなんかいられなかった。なんていっても誰かに次の死がやって来ましたから……」。水木さんがソファから背中を浮かすとシャツの左袖がひらりとした。そう、この人は命こそ助かったが、左腕を失った。
マラリアで40度以上の高熱が出て兵舎でふせっていた時、空襲による爆発で左腕を負傷した。「バケツ1杯分の出血があった」(水木さん)。治らないと判断した軍医がナイフで腕を切断。傷口にウジ虫がわき、腕は顔よりも大きく腫れ上がった。マラリアもひどくなり、状態は悪化。「周りは『死ぬだろう』と言っていました」。実際、埋葬用の穴が掘られていた。
持ち前の体力でなんとか持ち直し、野戦病院に運ばれた。現地住民との交流で食べ物を得たことなどで回復。復員は46年、24歳の時だった。
戦時中にニューブリテン島にいた旧日本軍は約10万人。厚生労働省によると、戦没者は約1万3700人に上る。
ふと気がつくと、水木さんが「総員玉砕せよ!」のラストシーンをじっと見つめていた。兵士たちが玉砕する前に好きな歌をうたう場面だ。命の最後に選択したのは女郎の歌だった。<私は~ な~あんで このよう~な つら~いつとめ~をせ~にゃなあらぬ>。突撃。体を吹き飛ばされる兵士、誰にもみとられなかった死体の山、そして白骨の山で作品は終わる。
「日本に戻ってからは『かわいそう』という言葉は使わなかった。この言葉は戦場で命を落とした兵士のためにあるのですから」。残った右手がページの上をなでるように動いた。「これを描いている時はアイデアを考えたりしなくても、何も意識しないで右手が勝手に動いた。あの島で死んでいった兵士がね、描かせたんだね」
再び戦争ができる国を目指しているかのような安倍政権。現状を戦友にどう伝えるのだろうか。答えはなかったが、「平和を維持するには」と尋ねると、こう返ってきた。
「水木さんは国のことはあまり考えません。それよりも自分の生か死--。この二つを戦場では強烈に突き付けられていました。誰が何と言おうと『自分は生きたい』と思うことが大事なのです」
ひょうひょうとした口調。「平和が大切!」と声高に叫んだりはしないし、国を批判するわけでもない。それでも「戦争は嫌だ」との気持ちが伝わってくる。
暑い。涼を求めて東京都内の大手書店に足を踏み入れると、特攻隊をテーマにした「永遠の0」が平積みされていた。一方、水木さんが「自身の著作の中で一番好きな作品」という「総員玉砕せよ!」(講談社文庫)は棚に静かに置かれていた。戦後日本が変わりつつある今、政治家、そして若者に「死んでいった兵士たちが描かせた本」を手にしてほしいと切に願う。【瀬尾忠義】
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■人物略歴
◇みずき・しげる
1922年鳥取県生まれ。復員後、紙芝居画家から貸本漫画家に転向。65年に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞。代表作は「ゲゲゲの鬼太郎」「悪魔くん」「河童(かっぱ)の三平」など。
キャンディ 8月11日
写真を見て頂ければ、お分かりになると思いますが、立た
せれば歩きますが、自力では立てませんし、散歩でも、死
んだように寝てしまうのです。なぜ、キャンディは歩ける
のだろうと思ってしまいます。今も私の布団の横で、まる
で死んでいるかのようにピクリともせずに寝ています。夜
中に2回ほど、寝返りをさせます。
本当の敵はアメリカ国内にいた。
すべての国が軍事費を削減すれば、豊かな社会になる。これが真実であり、真理だ。武器を捨て、対話で平和を築くことは、臆病者にはできない。世界の警察を自認する米国政府を操っている組織があることを知ろうとしなければ、この略奪的、人命軽視の集金システムを理解できないだろう。
梅澤医師のガンにおける標準治療と無治療の見解
梅澤医師は抗がん剤治療を否定している訳ではありません。画一的な標準治療に対して、疑問 を呈されて、まさに「さじ加減」をされて、ガン治療を行っている方です。
昔から、医者のさじ加減というのはとても大切でしたが、ガンの標準治療というのは、細胞毒、てんこ盛りの治療という言葉はあてはまらない、処置です。
永井博士の遺言 この子を残して・・・
加藤剛さん主演、木下監督の作品 長崎に原爆を扱った作品。「この子を残して」 授業でよく見ました。
facebook の友人、ゆずさんのコメントをご紹介します。
長崎大学医学部教授永井隆博士が、死を前に二人の我が子に遺した言葉。
永井博士は原爆で妻を失い、自らも被爆しながら、余生を被爆者の治療に捧げた。永井博士の言葉は、今もなお力を失っていない。以下である。
…………
いとし子よ。あの日、母の姿を待ちわびていた誠一よ、カヤノよ。お母さんはロザリオの鎖1つをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?
――原子爆弾。……いいえ。それは原子の塊である。
そなたの母を殺すために原子が浦上へやってきたわけではない。そなたたちの、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。
戦争が長引くうちには、はじめ戦争をやりだした時の名分なんかどこかに消えてしまい、戦争が済んだ頃には、勝ったほうも、負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。そして生き残った人々は、むごたらしい惨禍の後を眺め、口を揃えて、――ー戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争をやめることにしよう!そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?
私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。
我が子よ!
憲法を決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法は、その条文通り実行せねばならぬから、日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。
しかし、理屈はなんとでもつき、世論はどちらへもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出ないとも限らない。そして、その叫びがいかにももっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引き付けるかもしれない。
もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ……誠一よ、カヤノよ、たとい最後の二人となっても、どんななじりや暴力を受けても、きっぱりと『戦争絶対反対』を叫び続け、叫び通しておくれ!
敵が攻めてきた時、武器がなかったら、みすみす見殺しにされてしまうではないか?ーという人が多いであろう。
しかし、武器を持っている方が果たして生き残るだろうか?武器を持たぬ無抵抗の者の方が生き残るであろうか?……
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。
いとし子よ。
敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。敵がなければ戦争は起こらないのだよ。
…………
永井博士のお言葉を胸に刻んで死ぬまで生きていく覚悟です。
夏は暑すぎて・・・・・一青窈さんのハナミズキは反戦歌だった。
一青窈さんのハナミズキという歌、昔から好きなのですが、歌詞が難解。
何を言いたいのか分からない。・・・けど、口すさんでしまう歌でした。
この歌は9.11のテロ事件の事を思い、書き上げたそうです。
このテロ事件も米国の自作自演という説がありますが・・・・。
次のHPで詳しく書かれています。
http://ameblo.jp/aries-misa/entry-11611892884.html
このアルバムを作ったのは4月下旬、キャンディが倒れてから1ヶ月ほどでした。
この頃は、起きて、歩き出すまで20分ほど、かかりました。
右目も瞬幕が上がってしまい、目が半分しか開いていませんでした。
また、首の傾きもひどく、傾きながら歩いていたので、道行く人から大丈夫ですからとよく声をかけられました。
現在の状況は自力では起き上がることも寝返りもうてないのですが、立たせると一生懸命歩きます。
失禁や脱糞もあるので、寝ている時は、必ずペットシーツが必要です。
でも、がんばって歩きます。
立ち上がれなくなった野生動物は、餌も水も飲めないので餓死します。また、血液循環が悪くなり、尿毒症や褥瘡ができ、そこから細菌感染やハエに卵を産み付けられ、悲惨な死を迎えますが、これが自然の摂理です。
昨日も午前3時頃から、夜泣きが始まりました。寝ぼけ眼でさすりながら寝てしまいましたが、状況的には決して良いとは言えません。
立たせれば、歩くというのが不思議なくらいです。
深い眠りと荒い呼吸。エアコンや扇風機が無かったら厳しいと思います。
明日から夏休み後半。私立高校の方は夏休み中は3日間の登校日しか出勤しなくて良いので、助かります。
大型犬の介護は私のような普通の人より腕力のある人間でも、大変な時があるので、女性にとっては、大変だと思います。
介護ができるのは、それだけ長生きしてくれたということです。
キャンディ、今日で14年3ヶ月と3日、生きています。人間であれば、90才以上でしょう。
昨晩もマグロのカマをかみ砕いていました。歯が一本も抜けていない。抜けそうな歯も無いというのが、彼女の生命力の強さでしょう。
















