義憤にかられる・・。 見たくない物には蓋をする。自分が楽しければよい??
元不登校経験者のA君を雇い、最低賃金以下の給料で契約し、給料未払い、減額、パワハラ・・・・、そして○○勧誘!
自分は逃げ回り、代理人に一切を任せる。代理人は仕事をしたという証拠を示せといっているらしい。
仕事をしていないと言うなら、していないという証拠を示すのは、代理人だろ。
この事とアベシン政権になってから、戦争できる国づくりを進めている事。 根は同じ。
ゆずさんがフェイスブックに書き込んだ。
人間は理性的であらねばならないし、それが人間の人間たる所以。
しかし、時として怒りを露わにすることも肝要。
...キレるのではなく、正義のために怒る。。自己の真実に従うために怒る。
そんな怒りと無関心は、全くベクトルは真逆。
これからも地球のため、誰に何と言われようと怒り続けたい。
iwamaさんが、このゆずさんの書き込みに次のようなコメントをした。 お二人ともすばらしい。
「仏の顔も三度」と言います。
仏様だって、怒ると云うことです。怒りは、決して良くない感情でも消し去るべき煩悩でもありません。
ただ、心しなければならないのは、怒りの対象です。
何に対して怒りを抱いているのか、そのレベルが問われる、と言うことです。
巨悪や卑劣な悪には徹底して、戦うべきです。
悪事を見て見ぬふりをすることは、その悪事を野放しにし、悪事に加担したことに等しいからです。
また、「機を見てせざるは勇無き成り」です。
強きを挫き、弱きを助けることが、真の勇気ある人間の行ないです。
ただ、注意しなければならないのは、怒りの対象と内容を自己に問うことを忘れてはならないことです。
僕は最近、日常的なことでは滅多に怒りません。
どうして、そんなことができるのかと云えば、
事実と感情と論理を常にたて分けて、考えるようにしているからです。
今、怒っている自分の感情は、
何に由来するものなのか?
事実はどうなのか?
この感情は果たして相手にぶつけて良いものなのか?
論理、或いは筋は通っているのか?
常にちょっと待てよ、と考えてから、怒りの言葉を選んでから、行動すべきか、つまり、怒っていいかものかどうか、判断しています。
そうすると意外と詰まらないことに怒っていたんだな、と気づくことが多いものなんですね。
それと、果たして、相手は何で自分に対して、あんな言葉を言ったのか?
どうして自分に対して、あんな行動を採ったのか?
相手の真意を相手の身になって考えてみると、自分の至らなさや行き過ぎに気づかされることもあるからです。
すべの現象は、相手や対象物と自分の間に立ち現れて来るものです。
物事は常にお互い様なのですね。
あんたもアホなら、わてもアホやねん、ということです。
風に立つライオン
昨日はいろんな出会いがありました。フェイスブックに書き込んだことは、米国CIAなどの情報機関が監視しているということはスノーデン氏が「暴露」で暴露しています。(笑)爆弾、テロなどに関するキーワードを設定し、検索していると思われます。しかし、英語と違い、日本語は漢字、カタカナ、ひらがなが混合し、日本語を正しく理解する能力がある人間が諜報機関には少ないので、監視されている度合いが英語と比べて低いと思われます。それに植民地・日本が謀反を起こすことなど考えていないでしょうからね・・・。
ほれぼれするような文章に出会うことがあります。Hideki Iwama さんの昨日の文章をご紹介します。
ゆずさんの映画「風に立つライオン」という書き込みに対してのコメントです。
http://kaze-lion.com/#
私はさだまさしさんのこの歌が大好きでした。
「人類愛」という言葉があります。
人類を愛する。言葉は美しく、どなたも反論はしないと思います。
でも、その美しい言葉を発する時、自分がどういう立ち位置で、物事を考え、判断するのかという立脚点が、背景や状況や立場で変わってきます。
僕が世界の数多くの庶民と接してきて学んだことのひとつは、
「人間は何処へ行ってもなにも変わらない」という、シンプルな答えでした。
そうなんです。人は日々思想やイデオロギーで生きているのではありません。
ほんの少しの生きる糧と家族の笑顔があれば、それだけで生きていけるのです。
人として、自分が同じ人間として、open heartで素になって接すれば相手も同じ人間として、接してくれます。
物事の現象は、自己と他者の間に立ち現れるものです。
要は、こちらの態度如何で相手も態度を変えると言うことです。
その自分の懐の広さ、同じ人間として、相手を無条件に受け入れる人間の器に掛かってきます。
確かに、理想論に聞こえるかも知れません。
それでもそれを自らに課さないと世界は広がりません。
簡単な方法は、相手を自分の家族とはいかないまでも、せめて親戚、友人として想定してみることです。
四季のあることや義理人情が、日本の専売特許、特徴のように云う人もいますが、世界に一歩出てみれば、そんなことは何処にでもある、基本的な人間の心だと、云うことに気づくはずです。
砂漠や南極にだって四季はあります。ただ日本のような均等で明確な四季になっていなだけです。
不朽の名作「ゴッドファーザー」を観ればお分かりの通り、イタリアやスペインやロシアのマフィアを称揚する気は、さらさらありませんが、マフィアの起源は、横暴な為政者に対する抵抗運動がその起こりです。
その根底にあるのは、家族を守ろうとする義理と人情です。
紛争が起こったり、議論が噛み合わないのは、単にお互いにお互いのことを知らなかったり、利害関係から理解しようとしないだけです。
つまり、単なる誤解がその原因のほとんどです。
東西、日本と西洋の議論の仕方の違いや組織に於ける意思決定システムの違いを理解していないからです。
個人レベルでの議論の仕方は、亜細亜と西洋では違います。
組織の意思決定システムも
国ごとに違います。
当然ですよね。歴史も文化も民族的背景も国家の成り立ちの経緯も違うのですから。
それでもなお、「人類愛」が成り立つのは、生物種としての基本的なDNAという、塩基配列を共有しているからです。
それが、肌の色とか食習慣だとかの、表面的なことをあげつらうと、物事の本質を見失うことになり兼ねません。
それらの表面的なことを越えるにはどうしたら良いのか?
できるだけ相手を見るときにバイアスを掛けない、色眼鏡で見ないことだと思います。
それらをできるだけ避ける為の答えを僕も模索している最中です。
ですが、現時点で言えることは、どれ程深く普遍的な思想、哲学に自分が近づけているのか、だと思っています。
スーさんと暮らす。

昨日はキャンディの主治医の松川先生に、キャンディが亡くなった事を報告に行ってきました。

最後の健診となった二月の末。

キャンディに食事を与えていたときに亡くなったので、食べ物が喉に詰まったのではないかと気になっていました。
その事をお聞きしたところ、「介護中の方は水を飲ましたり、食事を与えた事が愛犬の死につながったと思われる事が多いのですが、喉を調べると大概は、何も詰まっていないのです。その時まで、頑張って生きたということです。」と言ってくださいました。
昨年三月末の余命宣告、一週間から、オフ会までは、旅行までは、誕生日まではと思いつつ、介護をしてきましたが、一年間、キャンディは一緒に居てくれました。
看護師のクミさんも涙ぐむし。動物が好きでこの職業を選んだ方ばかりですから。
帰宅してみると、みかん動物病院から、素敵な花束が届いていました。
あの介護ベストが無かったら、介護は苦痛になっていたと思います。寝たきりになって、9ヶ月、大型犬の介護は体重が重くて、腕力に自信のある私でも、大変でした。膝に激痛が走ったこともしばしばです。
一番、辛いのは、愛犬が苦しいのか、痛いのか、声を出すときです。それは、時には何時間にも及びます。
断眠との闘いにもなります。夜中に寝返りをさせ、体をさすり、血液循環を促さないといけません。
仕事に行っても、気になります。
家に帰り、垂れ流しになり、糞便で汚れた体を温水シャワーで洗い、乾かし、また、出勤。
四月から始まる仕事はフルタイム。実は職場近くに、ワンルームマンションを介護のために借りていました。
そんな大変さを思ってか、キャンディは旅立ちました。
動物は飼い主を裏切りません。
昨日も病院でアメリカンコッカーを飼われている私と同じくらいの女性と話をしました。
子どもの頃からワンコと生活されていたそうです。TVドラマ、ラッシーを見て、コリーが好きになり、お母さんが飼ってくれたそうです。
その方はワンコのいない生活は考えられないと言われていました。
勿論、日本の住宅事情から動物を飼えないこともあります。
でも、動物と暮らすことは、生きる場所を分かち合う、シェアすることです。
松川先生はキャンディの事をキャンちゃんと呼んでいました。
スタディのことは、昨日は、スーさんと呼んでいました。(笑)
釣りバカ日誌を思い出してしまいました。
スーさんと平日はこのワンルームマンションで暮らします。























