怖がり×行動苦手×甘え下手な
私のままで、
私の世界を変えていく♡
こんにちは♡
茉樹です。
昨日の夜に
プリントする写真の準備をしたから
今日のノートタイムには
“写真を貼る”の作業が追加された。
ハサミとのりを使う
工作みたいなこの時間が楽しくて好き。
自宅にはプリンターがないから
近くのコンビニでプリントする…という、
このひと手間。
この流れも始めて数年で
ようやくルーティン化した。
自分の成長も感じられていい感じ。
ノートに写真を貼るの勧められたのは
もう何年も前のことなのだけど、
なかなか定着しなかった。
それは私が
“めんどくさがり”っていうのを除いても
いくつかの理由がある。
①そもそも写真がない(撮る習慣がない)
②写真を貼るメリットを見いだせない
③お金がもったいない
④飽きる
ざっとこんな感じ。
それに加えて、
「私の日常はつまらない」と思ってたから、
わざわざお金と時間、
労力をかけてまですることとは
到底思えなかったから。
それが、
どんなに勧められても続かなかった
1番の理由だと思う。
こう考えている時点で
私の日常には価値がないと
言い聞かせているのと同じだから、
続かなくても仕方なかったのだけど‥
ただ、
ずっとそんな感じだったから
残したいと思う日常がある人が
キラキラして見えて羨ましかったのも本当。
惨めさを感じたくなくて
写真から遠のいていたと思っていたけど、
私は写真が“怖かっただけ”なんだと思う。
写真を通して
まじまじと分かる自分の日常そのものが。
ずっと自分の日常を直視する勇気がなくて
逃げていただけなんだ。
この感じは、
ノートを書き始めたばかりのころの感覚に
よく似ていると思う。
ノートに文字を書くと
存在しなかった“言葉”が姿を現す。
頭の中で思い浮かべるだけでは
目に見えなかった“言葉”たちが
文字にした途端はっきりと姿を見せるから、
目を逸らせなくなる。
どれだけ頭の中で
〇〇さん嫌い!とか、
〇〇さんムカつく!とか。
そんなことを思っても
いつの間にか消えてるのに、
ノートに書くとその言葉がしっかりと
目の前に存在するから逸らせなくなる。
今はもうそんかことないけど、
慣れてない頃は吐き気や頭痛もしてきたし、
受け取るダメージがかなり大きかった。
文字は自分が消さない限り
いつまでも残っているし、
消すとしても
その言葉を見ないと消せないし。
消したとしても
「書いた」という事実はいつまでも残るし。
この感じと似ている気がする。
私が写真を貼ることが習慣になったのは
やっぱりノートのおかげ。
ノートを書いていくうちに
自分の日常にも“ある”豊かさに
自然と気付けるようになったからだと思う。
気付いたそれらを
言葉にして残したおかげで
私の日常っていいかも!とか、
言うほど悪くないかも?とか。
そんな気持ちが少しずつ膨らんできた。
その積み重ねが
残したい日常へと繋がって
“写真を貼る”に繋がっていった。
そして、
写真を貼ったことで
文字だけでなく映像としても私に
私の日常は豊かだってことを
ちゃんと教えてくれる。
文字と映像で2重に
「ほらっ、豊かでしょ?」
そう言われて
(証拠差し出されて)るみたいで疑えない。
というか、
疑いようがなくなってくる。
日に日にふくふくに膨らんでいくノートに
幸せを感じるのはきっと
こういう過程があるからなのかも。
めんどくさがりな私は
相変わらず健在なのだけど。
自分の日常に愛おしさが増したら
コピーにかかるひと手間を続ける行動は
どうやとれるらしい。
これも1つの発見だ☻


