損するのはイヤだ……誰もがそう感じます。

だからといって、仕方なくつくってしまったダメ玉を大切に抱えているなんて。。。


悔しい気持ちは「チキショ~」と叫んでかたづけ、ダメ玉もサッと手放す──素早く粛々と敗戦処理をするのが理想です。

感情が増幅することは抑えられても、感情が生まれること自体はどうしようもありません。

「悔しい、ツラい……でも敗戦処理」と考えるようにする、必要な行動を起こす、そのために「チキショ~」と叫ぶなどの工夫をしてみよう、という実践的な対応です。

ちなみに、感情を処理するには、自分のせいにしないことです。

他人や周囲の何かに原因がある、と“便利なウソ”をつくことです。


だから、「ほかの投資家には、この銘柄の価値がわからないのかなぁ」でも問題ありません。ダメ玉を切る、という行動から逃避しなければいいだけです。

洗っている食器を落として割ったとき、日本人は、自分を主語にして「(私が)皿を割りました」と表現することが多いと思います。
「私のミスです」ってニュアンスですね。

 

でも、たくさんの皿を洗っていたら、ミスがゼロなんてあり得ないという論理で考えると、「皿が割れた」でいいと思うのです。こういう表現を使う国や地域も多いのではないでしょうか。

まあ、たいていの場合は誰かとかかわっているので、「私は知らない。皿が勝手に割れた」みたいに取られてしまうのは困ります。そこで、つい「割ってしまった」と言うのですが、相場は自分ひとりで自分のカネを動かす行為ですから、身勝手とか迷惑とか、いやらしいとか、そんな問題など絶対に起こらないのです。

そうです!
相場のことですから、「間違えてしまった」なんて捉え方は不要です。

単に、「意見が合わなかった」でいいのです。

見込み違いが多すぎると認識したら、自分の基準を見直します。
でも、百発百中なんてあり得ないのですから、少なくとも、個々の見込み違いで自分を否定する必要などありません。

心の中でつぶやくだけ、あるいは、誰もいない場所での独り言なら、「相場が間違っている」くらいの表現が、精神のバランスを保つためには、ちょうどいいように思います。

自分の売買をブログなどに書く場合、損切りをどう表現すべきでしょうか?
読み手の感じ方を考えて言葉を探すはずですが、決して「見込み違いをしてしまった」などと表現せず、「手が合わなかったので切りました」としておけば、自分自身の心の健康を害する心配が減ります。

「今回はダメだった」……これでいいのです。