トレードについて、ちょっと感覚的な説明をします。
今までの経験などから、自由に感じ取ってください。

「株価だけを見る」という姿勢においては、株価という数字、自分の考え方、この2つだけに意識を集中させます。


「株価変動を捉える自分の感覚」が中心になり、本当に「株価」と「自分自身」以外は見ていない状況です。しかし、株価を動かしている多数のマーケット参加者を無視するどころか、ある意味、彼らの感性や感情をガッツリと考えている状態といえます。

株価指数の動きと、個別銘柄の動きを比較して考えてみてください。
株価指数は比較的、コンスタントに動きます。

個別銘柄のほうが、激しく動く場面と動かない場面、そんな白黒がクッキリしていると思います。

個別銘柄は、下げた場面で投げが出て、次第に動きがなくなって安値圏の保合を形成します。
その後、ある時点で動意づいたあとは、徐々に注目度が上がって参加者が増加する、そして過熱していく……こういった変化を肌で感じます。

「株価だけを見て出処進退を決める」うえで、ほかの参加者が何を考えているかなんて想像していたら、大混乱するでしょう。
でも、自分自身にも感情があり、確固たる「相場観」も生まれます。間接的でしょうが、ほかの参加者の息づかいを感じ取っている、実は感じ取ろうと努めているはずなのです。

うねり取りは、こういった個人的な感覚を駆使し、自由に売買を展開する手法です。
自由ということは、「こうしなければならない」という縛りが完全にゼロ、ということです。

例えば、個人投資家Aと個人投資家Bが、どちらも「底を打った」と感じていたとします。どちらも、上げを見越して買うことになるでしょうが、具体的な行動まで同じとは限りません。

Aは積極的に安値を拾い始める一方、Bは明確な上昇の兆しを待ってポジションゼロを維持するかもしれません。また別の個人投資家Cは、最後は1,000株買う予定のところ、試し玉の100株だけを買って動きをうかがうかもしれません。

この場合、どれが正解かという議論は生まれません。どれも正解なのです。
正解・不正解を論じるとすれば、具体的な売買(タイミング、数量の決定など)が「自分の感性」「自分のやり方」に合致しているかどうかだけです。

ところが、個人的な感覚に頼る分、「ブレが生じやすい」という懸念もあります。
「自由」と表裏一体にある、うねり取りの弱みです。

それを消そうとした個人投資家Dは、試し玉としては反対方向のカラ売りを100株だけ実行して値動きを観察するかもしれません。
「100株のカラ売りを苦しいと感じたら、『上がる』という自分の見通しが正しい」と判断できる、という論理です。

おかしな行動のようですが、自分の相場観や行動に固執することなく、素直に値動きを受け止めようとする工夫です。

さて、自由なのはいいのですが、自由すぎると迷います。
この問題を解決しようとするアプローチのひとつが、値動きをパターン化し、対応を数式化しておこうとする方法、いわゆるシステムトレードなのです。