昨年8月以来、ずっと休業中の麦田町の奇珍。店主が病気で倒れたのが理由らしい。画像は昨年7月に訪れたときのもので、インスタに投稿しようと思っていたら、その後すぐに休業になってタイミングを逸してしまった。このまま閉店なんてことになったら、あの竹の子ソバやシュウマイがもう食べられなくなってしまう。。
と思っていたら、どうやら奇珍はいつの間にか経営が変わっていて、3代目の引退とともに暖簾(経営権)が創業者一族とは全く無関係の別人に売却されていたらしい。なので、最近は昔の本来の味とは違うとの声もあったんだとか。いやー、バカ舌だから全然気がつかなかった。
奇珍の存在を初めて知ったのは1990年代半ばで、「BRIO」というライフスタイル誌の掲載記事だった。この雑誌は現在の「LEON」のような雑誌の先駆け的存在で、その中に横浜のマニアックな料理店を紹介する特集企画があって、当時の奇珍の店主(創業者)のインタビュー記事が掲載されていた。そういえば、あの天龍菜館を初めて知ったのもこの特集だった。
記事によると、奇珍は広東省から日本へやってきた創業者が1918(大正7)年に開いた店。もともとは本牧の小港町で開業したものの、戦時統制で外国人の港湾付近での居住が禁止されたため、1942(昭和17)年に現在の麦田町へ移ってきたという。この創業者の人は熱烈な毛沢東主義者で、戦時中に店の移転を余儀なくされたことを恨みに思っていて、2代目である息子に「日本政府は信用できないないから気を許すな」などと語っていたのが印象的だった。
で、創業者一族がその後どうなったのかというと、4代目がセンター南で「ウミガメ食堂」という店を経営していて、そこで独特の甘みがある奇珍伝統の料理を味わうことができる。つまり、仮に今の奇珍がこのまま廃業したとしても心配ないということ。とはいえ味だけでなく、店の内観のレトロな雰囲気も含めて奇珍の魅力だったから、やっぱり店がなくなるのは寂しい。それに竹の子ソバがいかに美味くとも、たかだか町中華を食べるためだけに、わざわざ電車を乗り継いで石川町からセンター南まで出かけるのは超イヤ。そもそもセンター南なんて行ったことがないし。。