(一) 「神が喜ぶみこころ」のつづき
神がキリストイエスにあって人を選んだのは、神が喜ぶみこころのためであり、永遠のご計画のためである。
○ ローマ人への手紙9:16
「神が人を選ぶのは、人の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。」
神がヤコブを選んだのは、ヤコブの行いがエサウよりも良かったからではない。
○ ローマ人への手紙9:10−12
「すなわち私たちの父イサクによって身ごもったリベカの場合もそうです。その子どもたちがまだ生まれもせず、善も悪も行わないうちに、選びによる神のご計画が、行いによるのではなく、召してくださる方によって進められるために、『兄が弟に仕(つか)える』と彼女に告げられました。」
なぜなら神は ○「あわれもうと思う者をあわれみ、いつくしもうと思う者をいつくしむ」(ローマ9:15)からである。このようにしてみると神はまるで不公平で非常に気ままなように思われる。ところがそうではない。次のように書いてある。
○ 第1サムエル記16:7
「主はサムエルに言われた。『彼の容貌や背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』
神が人を選んだ目的が神の永遠のご計画のためであるなら、当然その選びの標準は人が神を必要としているか否か、あるいは神をいのちとして受け入れるか否かにかかっている。人がまだ造られず、後代の多くの人が未だ生まれていないとしても、神は時間と空間の制限を受けない。神はご自分の先見によって、誰が神を必要とする心を持っているか、また、誰が神を信じようという願いをもっているか、誰が神を求めており、誰が神を信じて神を命として受け入れるかをあらかじめ知っておられる。彼らの行為は他の人々より良い、能力も他の人々より強い、知力も高いとある人々は自慢するかも知れない。○ ローマ人への手紙1:22に「彼らは自分たちは知者(ちしゃ)であると主張しながら愚かになり、」とある。福音を聞くには聞いたが、神を求める心はなく、この偉大な救いの恵みを棄ててしまう人がいる。
○ 第1コリント1:18
「十字架のことばは、滅びる者たちには愚かであっても、救われる私たちには神の力です。」
○ 第1コリント1:20
「神は、この世の知恵を愚かなものにされた。」
○ 第1コリント1:27ー29
「神は知恵ある者を恥じ入らせるために、この世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、この世の弱い者を選ばれました。有るものを無いものとするために、この世の取るに足りない者や見くだされている者、すなわち無に等しい者を神は選ばれたのです。肉なる者がだれも神のみ前で誇ることがないようにするためです。」
主イエスがこの世におられたとき、パリサイ人や律法学者は自分たちを義人であるとし、救いの恵みを軽視し、批評論断していた。主イエスが取税人(自国の民から税金を取り立ててローマ政府へ納める人)や罪人が同席しているのを、冷ややかな目で見ている彼らに主は言われた。
○ マルコ2:17「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく、病人です。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためです。」
実際、神の目から見るとローマ人への手紙3:10ー23にあるとおり「義人はいない。1人もいない。… なぜなら、人はだれも、律法を行うことによっては神の前に義と認められないからです。」
自分を義人だとし、自分の行いを誇り、神の救いなど必要なしとする人々はたとえどんなに良い人であろうと、やはり罪人であり、永遠に神の公義の要求を満足させることはできないであろう。
その反対に、神の前で謙虚に自分の愚かさ、弱さ、卑(いや)しさ、不義と罪を認める人、そのような人たちは自分自身の駄目さや無能さを知り、敢(あ)えて自分を誇ることなく、神の恵みの救いを尋ね求めるのである。彼らは神を欲し、神は彼らに神ご自身を得させる。
○ ルカの福音書11:10
「だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」
○ エペソ人への手紙2:8−9
「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」
以前は ○「律法が肉により無力になっているためになし得なかった事を… 」(ローマ8:3)
が、今や○「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです。」(ピリピ4:13)
○ 第1コリント1:30
「あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と聖と贖いになられました。」
彼らは選ばれた者であり、神は彼らの身の上から神を現し出させたい。
○ 第1ペテロ2:9
「あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神のものとされた民です。」
選ばれた人は、キリストの形に似せられる前に、その過程の中で失敗や弱さがあったかもしれないが、しかし、これらは彼らに何ら影響を与えていない。
○ ローマ人への手紙11:29
「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」
神は何があろうともご自分のみわざをなさり、且つ彼らは信仰によって神に義とされる。
○ ローマ人への手紙8:33 神は言われます。
「だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。」
○ ヨハネの福音書13:18
「わたしは、自分が選んだ者たちを知っています。」
神は私たちの本性を知っているし、また私たちの今日の状況も知っている。しかし神は、ご自分の選びを変えたりはしない。
○ ヤコブ1:17
「父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。」
○ ヘブル13:8
「イエス・キリストは、昨日も今日も、とこしえに変わることがありません。」
○ ヘブル4:16
「ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折(おり)にかなった助けを受けるために、大胆に恵みのみ座に近づこうではありませんか。」
環境が劣悪で、信仰が弱る時、
○ ヘブル12:2
「信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。」
○ 第2ペテロ1:10
「ですから、兄弟たち。自分たちの召しと選びを確かなものとするように、いっそう励みなさい。これらのことを行っているのなら、決してつまずくことはありません。」
私たちがもし務めて霊を訓練し、主を追求し、神の豊富を得ようと信仰を活用するならば、○ エペソ4:13「1人の成熟した大人(おとな)となって、キリストの満ち満ちた身丈(みたけ)にまで達するのです。」
○ 第1テサロニケ人への手紙2:12
「神はご自分のみ国にふさわしく歩むようにと召してくださいました。」
ーー つづく
2024.5.20
(次回 ‥ 2024.5.30 『 ◎ 神の預定 』)
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