◎ 3 で 1 の神
(ニ) 父、子、聖霊 ーー 神の3 格位
① 父は神である
○ 第1ペテロ1:17
「人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるなら、… 」
○ エペソ人への手紙1:17
「どうか、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、… 」
② 子は神である
○ ヘブル人への手紙1 : 8
「み子については、こう言われました。神よ。… 」
○ イザヤ書9 : 6「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は不思議な助言者、力ある神 … 」
③ 聖霊は神
○ 使徒の働き5:3-4「あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ。」
「アナニヤ。なぜあなたはサタンに心を奪われ聖霊を欺き … 」すなわち聖霊は神である。
○ 第1コリント6:19「あなたがたは知らないのですか。あなたがたは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、… 」註 ‥ 信徒は神の宮であるということは聖霊は神でもある。
(三) 父、子、聖霊はみな永遠であり、且つ同時に存在し、相互内住、かつて分離したことがない。
次に列挙する聖書は、父、子、聖霊は皆永遠であることを証明する。
○ イザヤ書9:6「永遠の父」
○ ヘブル人への手紙1:12
「… あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」ここの[あなた]は[キリスト]を指しているし、また[子]をも指している。
○ ヘブル人への手紙9:14
「とこしえのみ霊(たま)」聖霊を指して言っている。
○ ヨハネの福音書14:16-17
「わたしが父にお願いすると、父はもう1人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。この方は真理のみ霊(たま)です。」
○ 第2コリント13:13「主イエス・キリスト(子)の恵み、神(父)の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。」
○ ヨハネの福音書14:20「その日(聖霊が信徒の中に入ったその日)には、わたし(子)が父のうちに、あなたがたがわたしのうちに、そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、あなたがたに分かります。」
○ ヨハネの福音書17:23「わたしが彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に1つになるためです。」
○ ローマ人への手紙8:2「キリスト・イエス(子)にあるいのちのみ霊(聖霊)の律法が、罪と死の律法からあなたを解放した。」
(四) 3で1
○ イザヤ書9:6
「ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は[不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君]と呼ばれる。」註 ‥ この節は次のことを明言している。すなわち、その人は約束によって将来ベツレヘムに誕生するイエス(子)であり、元来宇宙万有を創造した全能の神であり、永遠の父でもある。父と子は「1」である。したがってイエスは後に、「わたしと父とはひとつです。」と言われた。(ヨハネの福音書10:30)
○ 第1コリント15:45
「最後のアダム(すなわちイエス= 子)は命を与える霊と成った。」(口語訳)
○ 第2コリント3:17「主は御霊(みたま)です。」
以上列挙した聖書の箇所は、人となられ、死んで復活し、昇天したあのイエス・キリスト(子)宇宙万有を創造し全能の神であり、永遠に存在する父であり、聖霊であり、この3にして1 は分けることができないことをはつきりと啓示している。私たちにはこの不思議で比較するものがない神を形容する言葉が無い。
ーー 『3で1の神』完
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* 神の本質 == 霊
○ ヨハネの福音書4:24「神は霊ですから、神を礼拝する人は、み霊(たま)と真理によって礼拝しなければなりません。」
○ ヨハネの福音書1:18,第1ヨハネ4:12
霊は神の本質であり、肉眼で見ることはできない。
「いまだ神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされた。」
○ 第1テモテ6:16
「死ぬことがない唯一の方、近づくこともできない光の中に住まわれ、人間がだれ一人見たことがなく、見ることもできない方。」
以上の聖書が語るように、だれひとり神を見たことがないのであれば、どうして神の像を書いたり彫ったりできるであろうか?したがって何であれ、見ることのできる神は皆偽物である。
神は言われた。「あなたがたは、わたしと並べて銀の神々を造ってはならない。また自分のために、金の神々も造ってはならない。」(出エジプト記20:23)
世の人々の思いは偽(いつわ)りに変わり、心は暗くなり、愚かで拙劣(せつれつ)となってしまった。
○ ローマ人への手紙1:23-25
「朽ちない神の栄光を、朽ちる人間や鳥、獣、這うものに似たかたちと替えてしまいました。… 彼らは神の真理を偽りと取り替え、造り主の代わりに、造られた物を拝み、これに仕えました。」
神は人を造られた時、人に向かって1口息を吹き入れると、人は霊のある活きた人となった。これにより、目では見えなかった神が、人の霊が唯いつ神に接触できる器官となった。私たちが私たちの霊を活用しさえすれば、神を礼拝できるものとなった。そこでおよそ神を礼拝するには、必ず霊と誠実をもって礼拝しなければならない。人の霊だけが唯一の真(まこと)なのである。
ーー つづく
2024.3.11
(次回 ‥ 2024.3.22 [※ 神の心 = 愛])
集会所 ‥ 札幌市西区八軒6条東4丁目4−11