※(2) 聖書の預言が全て成就したことは、聖書が神のことばであることを証明する

 

聖書には無数の預言が記録されており、しかも極めて詳細に解説されている。預言が語られてから、それが成就するまでかなり長い年月が経過してはいるが、皆1つ1つ、明らかに成就していることは、聖書が神の言葉であることを人は信じないわけにはいかないであろう。もしそれが神が語ったものでないならば、このように時間空間を超越し且つ人の知恵を超越して、このような不思議な預言を語り出すことはできなかったであろう。では、その中でも比較的有名な預言を幾つか書いてみよう。

 

①  ツロに関する預言

 

○  エゼキエル書26:3-14 「それゆえ神である主はこう言われる。ー ツロよ、わたしはおまえを敵とする。海が波をうねらせるように、多くの国々をおまえに向けて攻め上らせる。彼らはツロの城壁を荒らし、そのやぐらを壊す。わたしはそのちりを払い去って、そこを裸岩(はだかいわ)にする。ツロは海の中の網(あみ)干場となる。ー 神である主のことば ー ツロは諸国の餌食(えじき)となり、…石や木までも、水の中に投げ込む。…  わたしはおまえを裸岩(はだかいわ)とする。おまえは網干し場となり、二度と建て直されない。主であるわたしが語ったからだ。」

およそ紀元前590年頃、神は預言者エゼキエルの口を通して、ツロに向かってこう預言した。すなわち懲罰を下した上、ツロを滅ぼす、と。ちなみにツロという町は地中海に面した海港都市であり、そこに住む人々はペリシテ人で、行商や航海が盛んで当時その地方随一の商業都市であった。人心は横暴で罪悪も市中に蔓延していた。神はかつて多くの預言者によって警告していた。(たとえばアモス、ヨエル、エレミヤなどは皆、預言していたことがあるが、しかしエゼキエルの預言ほど詳細ではなかった。) しかしツロは悔い改めることはなかった。そこで神は預言者エゼキエルによってツロの町が懲罰を受けることを預言した。その預言が発せられてからまもなく、紀元前(B.C)586年、バビロン王ネブカドネツアルが軍隊を引き連れてツロの町を包囲し、13年に渡る戦争の末、ツロを陥落(かんらく)させた。ツロの王は町が陥落する前に、町の財宝を1Km 離れた島に全部移した。そのためその後、ネブカドネツアル王がツロの町へ入ったときには、目ぼしい物は何もなく町は粉砕されていた。

このようにして預言の前半の部分が成就したのである。

○  預言の前半 …「バビロンの王ネブカドネツアルを、馬、戦車、騎兵、そして大軍勢とともに、北からツロに連れてくる。彼はその沿岸側の町々を剣で滅ぼし、おまえに向かって塁(るい)を築き、城壁崩しを設け、大盾を立て、太い丸太ん棒でおまえの城壁を突き崩し、やぐらを斧(おの)で打ち壊す… 。」

(1972年に中国共産党によって殺されたウオッチマン・ニー兄弟は、若い頃ツロの海岸を車で通ったとき、その窓から漁師が岩の上に網を干している光景を見て驚き、改めて聖書を信じ直したと述べている。[エゼキエル書26:4-5…「わたしはそのちりを払って、そこを裸岩にする。ツロは海の中の網干し場となる。」])

 

さて、ツロの町が陥落した後240年が経過したが、廃墟は依然として存在していた。エゼキエルの預言の前半は成就したが後半はいったいどうなったのかと思われた。

そのようなとき、ギリシャのアレキサンダー皇帝が台頭し、各地を征服し、勇名をとどろかせた。彼は332年BC、軍を率いてツロに侵入した。当時、ツロの人々はすでに島に新しい町を建設していた。アレキサンダーは、ツロ人に町を開け渡すよう通達した。しかしツロ人は自分たちの町は島の上にあるし、島の周辺は潮の流れが極めて急であり、頑丈(がんじょう)な要塞がある、と考え、投降をきっぱりと拒絶した。ところがアレキサンダーという人物は傑出した天才軍事家であった。その上、強固な意志の持ち主で中途で諦めるということのない人であった。彼は新しいツロの町へ侵攻するために大陸から直接島へ通じる石の堤防を築かせた。工事の規模が莫大なため、旧ツロの町の木材や石などを皆、海中へ沈め、且つ旧ツロの町やその付近の土をきれいに剃(そ)って海中を埋め、ついに海に堤防を築き上げた。そのようにして臨時に修築した海の堤防を、陸路大軍が新ツロの町へ侵攻し、とうとうツロを陥落してしまった。

このようにして、預言の第2部「石や木や土までも水の中に投げ込む。わたしはそのやぐらを壊す。わたしはそのちりを払って」などの預言が成就したのである。では最後の預言「わたしはおまえを裸岩とする。おまえは網干し場となり、二度と建て直されない。」などは、どのように成就したのであろうか?

その預言成就の次第はこうであった。

旧ツロの廃墟は、地面上の土(粘土の部分)は洗われて取り除かれ、砂の層の部分は雨水で洗い流され、土台になっている岩盤‥‥   エゼキエル26:14で言う裸岩(はだかいわ)が現れ、漁夫が網を干す所となった。ところで、同じくエゼキエル26:14の「二度と建て直されない」は、その成就が困難と思われた。なぜならこのような預言は大冒険と思われたからである。1つの都市が滅亡するであろうというならば有り得るが、「二度と建て直されない。」(エゼキエル26: 14)と普通では言えないであろう。

言うまでもなく、当時のローマはツロの町よりもはるかに大きかった。しかし当時の暴君ネロはまた狂気の人でもあり、芸術熱に浮かされて奇想天外な手法によってローマ全域を焼き尽くすよう命令した。しかし、ローマはまもなく再建される。しかもその規模たるや旧市よりも更に広大であった。さて、廃墟となったツロは居住には適していた。というのは、そこに1本の泉の源があり、毎日1000ガロンの淡水が湧き出て飲料に適していたし、近辺には肥沃な田畑があり、遥か山ろくまで続いていた。しかしツロの町は陥落された後、すでに約2600年経過しても依然として今日まで再建されていない。この事実はすべて神の主宰(しゅさい)下にある。

かくして、エゼキエルの預言は神から出、完全に成就したのである。

 

                         ーー  つづく

 

                      2023.9.23

           (次回 ‥   2023.10.3[②シドンに関する預言])