◎黙示録12章の[女]について …  ②

 

※ NO. 237号のつづき

 

では、黙示録12章1. 2. 5節のこの[女]は誰であるか?あるいは何であるのか?

 

旧約聖書によれば、蛇に出会った女はただ1人いる。言うまでもなく、それは創世記2章のエバである。新約聖書にも蛇と出会った女が1人だけいる。それが前号から書き続けている黙示録12章の[女]である。(黙示録12: 1. 2. 5節)前号に記したとおり、聖書の始めと終りとは不思議に一致し、関連している。さらに、黙示録12: 9で神は、かの巨大な竜は年を取っていると特に指示している。神はそれがあの1匹の年を経た蛇、古い蛇のことである点を明確にしている。強調点はあのただ1匹の老蛇の[あの]という言葉にある。こういうわけでここに述べられている女は[あの]女、つまり創世記2章のエバを指している。(筆者は通常「新改訳2017」版を使用しているがこの版には[あの]が無い。しかし前の1970年版新改訳黙示録12: 9には「全世界を惑わす[あの]古い蛇」とある。因みに中国語訳、英語訳は[あの]がついている)

 

さて、黙示録12章の[女]は誰であろうか?それは前号に書いたとおり、イスラエル民族のことではない。この[女]は個人の女ではなく、団体の宇宙的な女であり、神の民全体の[象徴]である。

前述したように、創世記と黙示録は類似している。創世記1章で述べられた太陽、月、星が黙示録で同じ原則で述べられているし、創世記3章に蛇がいたように、今書いている黙示録12章にもいる。もし聖書のこれらの2つの部分を一緒にするなら、黙示録12章のこの[女]は、(iPad の説教者が言う)イスラエル民族ではなく、神が永遠のみ心によって目ざされたものであり、終わりの時の事を啓示しているものである。

 

さて、これに関連して黙示録12: 5の「男の子」のことを述べなければならない。

なぜなら、先のiPad の教師は「男の子とはキリストです。」と言っていたから…

この「男の子」とはキリストを指しているのではなく、神の民のうちの比較的強い部分を象徴するものである。黙示録12: 2では、この男の子は女の中にいたが、み言葉は彼を赤ん坊と呼ばずに、男の子と呼んでいる。つまり、それは女の内側の比較的強い部分を指している。

 

黙示録12: 2は、「女は身ごもっていた」と言っている。また同12: 5は「女は男の子を産んだ」と言っている。ここの「男の子」とは、先に述べたように、神の民のうちの比較的強い部分を象徴するし、女は神の民の全体を代表する。すべての時代を通じて、神の民の間には幾らかの比較的強い者がいた。

歴史は、神の民の中の誰もかれもが、強いものでないことを説明している。そうではなく、神の民の中の少数の者だけが強かった。たとえばノアの時代、ノアのほかに神に属する者たちがいなかったか、といえば神は何百人という民を持っておられたはずである。しかし、ノアは強い者であった。

またイスラエルの時代、神に属する者は何十万といたはずである。しかし、その内の少数の者だけが強かった。たとえば、エリヤやエレミヤは強い者だった。疑いもなく神の民の大多数は、本物ではあったが、必ずしも強くはなかった。

さて、新約時代になって、初期には数千というクリスチャンがいたが、多数の者が真に強かったのではなかった。現在でさえ、クリスチャンは多いけれど皆が皆、強いわけではない。マタイ22: 14で言っている。「招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」

黙示録12: 5の後半に「その子は神のみもとに、その御座に引き上げられた」とあるのを見て、iPad の説教者はそれっ[男の子]はキリストです」と即断したのであろう。しかし、主イエスは、生まれるとすぐ引き上げられたのではない。主はこの地上に33年半生活し、死んで復活し、それから天にのぼられた。従って厳密に言って、この「男の子」はイエス・キリストではなく、教会の中の勝利者たちのことを指している。(なお、その男の子は主イエスを含んでいる。主イエスは最初の勝利者であったし、また全ての勝利者は、主イエスの中に含まれているからである。)

さて、同12:5前半に、「この子は、鉄の杖を持ってすべての国々の民を牧することになっていた。」とあるのを読んで、先の説教者は、それっこの男の子はキリストです、と言ったのであろう。

この節、黙示録12:5の「女は男の子を産んだ。この子は鉄の杖をもってすべての国々の民を牧することになっていた」、このみ言葉はいかにもキリストを指して言っているようであるが、実はこのみ言葉は黙示録に3回出てくる。1回目は黙2:26〜27であり、この所では教会の中の勝利者を語っている。もう1つは黙19:15であり、この所は主イエスのことを言っている。(「… この方である、この方である」) そして3つ目は、今書き続けている黙12:5の前半である。このみ言葉は前述したとおり、この男の子は教会の中の勝利者たちにほかならない。

 

                 ーー つづく

 

          2022.11.17

    (次回‥2022.11.27[黙示録12章の[女]について‥ ③])

 

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