◎獄中のウオッチマン・ニー (5)

 

ある日、役人がニー兄弟を監房から外へ連れ出しました。ずいぶん時間が経過し、昼食時間も終わったのに、彼は戻りません。だから私はニー兄弟のために、彼の昼食を包んで取っておきました。以前の私なら、彼のことなど気にもとめず捨ててしまったことでしょう。

ようやくニー兄弟が戻ってきました。彼は少し動揺したようすで床に腰を下ろしました。

私は尋ねました。「何があったのですか?」

彼は言いました。「彼らは私に信仰を捨てるようにと言ったのです。」

「で、彼らの言うことを聞いたんですか?」と聞くと、「いいえ、聞きませんでした。彼らは私に、もし当局の言うことを聞いて信仰を捨てるなら、すぐにでも私を釈放して家に帰すと告げました。」

私は、「しかし、あなたは従わなかったのですね!」彼は言いました。「従いませんでした」

彼は更にこう言いました。

「そこにもう2人いました。そのうちの1人の姓は藍(らん)、もう1人は張(チャン)でした。ランさんは上海の有名な病院の院長です。張さんはある県の知事でした。2人ともカトリック教会の著名な信者です。」

私は尋ねました。「で、その2人はどうしたんですか?」ニー兄弟は答えました。「2人とも信仰を放棄しました。そのことはここの人々にも間もなく分かるはずです。」

それからすぐに獄内放送が響き渡りました。

監長の声が拡声器から流れてきました。

「ここに2人の囚人がいる。政府の再教育によって、この度この2人は自分たちの思想を転換した。今、彼らの態度は非常に良くなった。彼らは信仰を公に捨て去り、そして今彼らは反革命的見解を放棄したいと願っている。今からその2人が話しをする。」

そして、元病院長ランと元県知事チャンが話し始めました。彼らはまず自己を批判し、次にこう言ったのです。

「カトリック教会は、帝国主義と反革命に支配された諜報(ちょうほう)機関である。自分たちは今までその宗教に欺かれて来たが、政府の再教育を通し、私たちは公に宗教の迷信を捨て去り、反革命的集団を離れ、徹底的に悔い改めます!」となんと2人とも、激しく泣き叫びながら、その告白をしたのです。

2人が話し終えた後、監長が宣告しました。

「獄長の許可を受けて、この2人は刑期を短縮され、今日、家に帰る。」

これを聞いて、私を含め刑務所中の囚人たちは、みな非常に大きなショックを受けたのです。

私は、目の前にいるニー兄弟をじっと見つめて言いました。

「ニーさん、あなたはつい数日前におっしゃいましたよね。あなたの奥さんはとてもすてきな人で、あなたたち夫婦は深く愛し合っている」と…   。またあなたはこうも言いました。「しかし、妻は重い病気のために、今危険な状態であり、とても心配している」と…   。

「今日、人民政府はあなたを釈放しようとしているのですよ! あなたはたったひと言、信仰を放棄します、と言いさえすれば、今日あなたは解放されるのです。ほんの少し口を開きさえすれば、あなたは家に帰れるのです。なぜあなたはそれをしないのですか?」

それを拒否するとはあなたという人はいったい、どういう人なのですか‼︎そんなにしてまであなたはあなたの神を信じると言うのですか‼︎」

 

私はニー兄弟に言いました。

「そんなにしてまで神を信じるなんて!私にはあなたという人が分かりません… 」と。

 

兄弟姉妹のみなさん、

私は若い頃、あるハンガリーの詩人による1つの詩を学びました。彼はこう書いています。

[人の命はまことに貴いが、愛情の値いはさらに高い。しかし、自由のためならば、私はどちらを捨てても構わない。]

この詩は[自由]がどんなに貴いかを物語っています。今日、人民政府はニー兄弟にその尊い自由を与えようとしました。しかし、ニー兄弟はそれを願わなかったのです。彼は唯一、ただ[主]のために、彼の生活も、愛も、そして獄中からの自由さえも放棄したのです。彼はその3つの全部を捨て去ったのです。

私はそのようなニー兄弟という人に接した時、それほどまでにして主だけを愛し、主のみを信じる人がここにいるという事実に、心底から大きな感動を覚えていたのです。

共産主義者たちは、どうにかしてニー兄弟の魂(たましい)を脅やかし、彼の魂に深刻な打撃を与えようともくろんだのでしょう。しかし彼がどうしても信仰を捨てなかったので、わざわざニー兄弟の目の前で、あの2人を釈放したのです。

けれども、ニー兄弟は動じませんでした。彼の魂は動かされませんでした。

ところが、私の心は動かされたのです。私はこの人、ニー兄弟は障害者でもなく、精神を患っている人でもなく、極めて正常な人であることを知っていました。だから、彼がそれほどの代価を払ってまで主を信じるには、何か格別な理由があるに違いないと思ったのです。言い換えればイエスを信じることには、きっとそれほどまでの[値打ち]があるに違いないと確信したのです。それでその時、私もニー兄弟と同じように、イエスを信じたいと願うに至りました。そして実際その瞬間から、私は遂に主イエスを信じ始めたのです。

 

どんな人でも主イエスを信じるべきです。あなたの罪の贖いのために主が必要です。あなたの救いのために、主イエスが必要です。

ある兄弟姉妹は私に尋ねます。回心にあたって、あなたはニー兄弟のどの著書、どの論説を読んだのですか、と。私は答えます。「主を信じる前、私は彼の文章を読んだことは一度もありません」と。

私は彼の文章を読んだから主を信じたのではないのです。ニー兄弟と知り合った時、私はまだ信仰を持っておらず、それまで彼の文章を読んだことなど全くなかったのです。そうではなく、私はいわば[彼の人格、人柄を読んだ]のです。それゆえに主を信じたのです。

私は彼の実際の人間、その姿、その行動を見、それが私に感染して、それで主を信じたのです。ニー兄弟は1人の弱い普通の人間に過ぎません。しかし、私は彼という人を私の個人的な感性を通して知り、それで主を信じたのです。このことは私に、とても深い影響を与えました。

 

                          ー ー つづく

 

             2022. 8. 9

        (次回‥2022. 8. 19 [獄中のウオッチマン・ニー⑥])

 

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