◎獄中のウオッチマン・ニー(4)

私は声を挙(あ)げて泣きました。

たとえ私の泣き声が監獄中に響き渡ろうと、気にもとめませんでした。看守がやってくるでしょう。彼が仮に私を殴り、銃で撃ち殺そうとも構いません。私はぎりぎりのところまで追いつめられているのです。私はもはや死んでもいいのです。しかし、不思議なことに、その時看守がやってくる気配はありませんでした。

私は泣き疲れて、ついに泣くのをやめました。

その時ニー兄弟は私に涙を拭くタオルを差し出してくれ、喉の渇きを癒す飲み水を持ってきてくれたのです。

 

私たち2人は床に座り直し、私は初めて彼と話をしました。私は自分の境遇について語りました。意外なことに、ニー兄弟も、何の隠し立てをすることもなく、自分について、また自分の家族をとりまく状況について話してくれたのです。そしてその日を境いにして、私たちの会話はだんだんと多くなって行ったのです。

彼は、自分がとても忙しい身であったこと、彼はクリスチャンであり、教会を指導する立場にあったこと、彼の妻は重い高血圧を患っており、低い方は104. 105. 高い方は200以上もあり、いつ死んでも不思議ではない状態であるとのことでした。すべては主なる神の守りと憐れみのおかげです、と語りました。

彼は、早く刑期を満了し、出所して妻と再会することを願っていました。彼は言いました。もしも、彼の刑期が少しでも長引くことがあるならば、彼が彼の妻に会うチャンスはニ度となくなるであろうと。そして彼の妻も私の妻と同様、とても夫を愛しているようでした。

彼はその他のことでも多くのことを話してくださり、2人の会話は、ますます親密なものとなって行きました。彼は「クリスチャンは国の指導者に対して反対することができません。なぜなら、彼らは主によって立てられたものであるから」と言いました。そして、彼は私に福音を語り始めたのです。

 

彼の話を聞いて私は考えました。私は自分のことを全く無実であると思っているが、そのようにしてみると、彼も無実のようだ。彼も政府に反対しなかった。クリスチャンは政府の指導者たちに反対しない。それなのに彼は反革命分子と見なされた。これも全く不条理極まりないことではないか!

そこで私は彼に尋ねたのです。「ニーさん、あなたはこんなにも酷(ひど)い仕打ちを受けているのにそれでもまだキリストを信じるのですか?」と。彼は答えました。「信じます。仮にあなたが信じなくても、私は信じます。なぜなら、あなたには見えていないとしても、私には見えるからです。」

これは彼が言ったことそのままの引用です。それは彼の短い言葉でしたが、私は今でもはっきりと覚えているのです。

 

釈放された後の1979年、ある兄弟が私を訪ねて来ました。私はその人に[あの奇跡]について語りました。([あの奇跡]のことは前号に書いた。)私は言いました。それは私には理解できないことであったと。

なぜ私は手を上げようとしたのに上げられなかったのか、私の力は当時とても強かったのに、ニー兄弟が私の手を握った時、振り払おうとしても、なぜそれができなかったのか、と。しかし、来訪したその兄弟は納得したようすで言いました。「あなたは自分では決して手を上げられなかったでしょう。なぜなら主がそうさせなかったからです。」

それを聞いて私は初めて理解したのです。「自分は卑しい人間に過ぎず、実は主の方から、私に来てくださったのだ、主が私を見つけ出してくださったのだ、主が私を選んでくださったのだ。私はこれからも決して自分からは手を上げることなどできないだろう」ということを…   。

今やニー兄弟と私との関係はとても良くなり、さらに多くのことを話し合うようになりました。あの

精神疾患の青年も嬉しそうに、私たちのそばでずっと笑っているのです。彼もたくさん話をするのですが、私にはほとんど理解できません。最も分かる時で、半分くらいでしょうか。しかし、ニー兄弟は彼の言うことをすべて理解しており、それを私に通訳してくれました。そんなふうにして、私たち3人は牢獄の中の日々を共に過ごしていたのです。

しかし、その[幸福な日々]は長く続きませんでした。

 

                ーー つづく

 

        2022.7.30

      (次回 ‥  2022.8.9  [獄中のウオッチマン・ニー⑤]

 

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