◎ 獄中のウオッチマン・ニー (3)
⑤
その後、妻は面会に訪れた時、自分の置かれている境遇を一部始終、私に話して聞かせました。
私はそれを聞いて大きな怒りを覚えたのです。そんなめちゃくちゃな話があるでしょうか。無実の私に反革命の罪を着せただけでは飽き足らず、彼らは私の妻と娘まで見逃さないのです。
妻は言いました。「私は今日、自分の腕時計を売ってからここに来たの。でもこれからどうやってやりくりすればいいのか、もう分からない…」
兄弟姉妹の皆さん、私は殺人も放火もしていません。盗みも、詐欺も、爆破工作もしていないのです。私は国民党員でもなければスパイでもなく、地主でもないのです。何も悪いことをしていないのに、私がどんな反革命分子だと言うのでしょうか?すべてが納得できません!
しかし、私にはどうすることもできません。妻は泣きじゃくっていましたが、私は1滴の涙もこぼれませんでした。私は幼い頃から「赤旗」の下で成長して来ました。共産党は、敵の前で涙を見せないようにと私を教育して来たからです。だから今日も1滴の涙も見せられません。そもそも私は彼らの敵ではなかったのです。むしろ私は彼らを支援して来たのです。人民解放軍が政権を握った時、私はわずか12歳でしたが、私は解放軍を祝して、[大輪の真紅の花束]を贈りさえしたのです。それなのに彼らは、私を一方的に敵とみなしました。この「敵」とは、彼らが勝手に作り出したものに過ぎないのです。
面会の5分間はまたたく間に終わりました。妻は娘を抱いて私から去ろうとしています。そして去り行く彼女の後姿を見つめながら、私は全くなすすべもなく立ち尽くすばかりでした。彼女が私と離婚しない保障はないのです。その時です。突然、妻は私に振り向いて大声で叫んだのです。
「からだに気をつけてねっ!」
その叫び声はいつまでも私の耳に残り、ここに立っている今でさえ、私の心臓は張り裂けそうです。しかし私にできることはありません。走って外に飛び出すことは不可能です。機関銃を持ち出し、彼らと闘うこともできません。ただ黙って、この責め苦を忍ぶこと、それが私にできるすべてでした。
看守に背中を押されて、私は監房に戻りました。
その時に至り、私はもう涙をこらえることができませんでした。監房には机も椅子も寝台もありません。私は壁にすがってただ泣いたのです。
するとその時、誰かが私の手を握ったのです。それがあのうっとうしいニーであることが分かりました。腹が立ちました。彼は私にとって最も嫌悪(けんお)すべき人物だったのです。彼は私の手を握って何をしようというのでしょう? 彼とは口もききたくありません。私は、彼の同情などほしくはなかったのです。だからその時、実は私は彼の手を振り払おうとしたのです。私は実は元ボクサーで、当時まだ若かったのに対し、彼は年老いており、その上心臓病を患っていました。私がただちょっと彼を振り払いさえすれば、彼は鉄の扉まで吹っ飛んで行ったことでしょう。
ところが兄弟姉妹、その時とても奇妙なことが起こったのです。これは1つの奇跡です! 私がそうしようと思っても、どうしてなのか、ニーの手を押しのけようとする私の手が上がらないのです。ニー兄弟の力は弱いのに、少なくとも私は3回、彼の手を持ち上げようとしたのに、どうしても私は自分の手を持ち上げることができなかったのです。
その時、私はニー兄弟が私の耳のそばでこう言うのを聞いたのです。
「友奇(ヨウチ)さん、泣きなさい、泣いた方がいいです。そうすれば気持ちが晴れますから。」
その彼の言葉は私の心を打ちました。
監獄には規則があり、それによれば、声を出して泣くことは規則違反なのです。なにしろ、囚人全員はいつでも悲しみに暮れています。1人が泣き出せば、誰も彼も泣き出し、監獄全体が泣いてしまって収拾がつかなくなったでしょう。それは[再教育]に良くない、というわけです。
だから、私はニーがきっとこう言うだろうと想像していたのです。「泣いてはいけません。泣くのは間違いです。私たちは再教育に従って、正しく振る舞わなければなりません。」
彼は小組長であり、政府の側に立たなければならない人間です。なのに彼は今、声に出して泣きなさい、と私に勧めたのです。これは全く私が考えもしないことでした!
このことを通して、彼に対する私の見方は変わったのです。
ーー つづく
2022.7.20
(次回‥ 2022.7.30 [獄中のウオッチマン・ニー④])
集会所 ‥ 札幌市西区八軒6条東4丁目4−11