◎   獄中のウオッチマン・ニー  (1)

      (1903年生、1952ー1972の20年間入獄、享年69歳)

 

○  下記はウオッチマン・ニー兄弟(本名倪柝声)の最晩年、獄中の同房で9年間を過ごし、ニー兄弟によって主イエス・キリストを信じて救われ、その後、釈放された人の極めて貴重な証しの全記録である。

 

○証し者‥呉友琦(ウ・ヨウチ)兄弟 ○ 場所‥ハワイ州、ホノルル市

親愛なる兄弟姉妹、私の出身地は中国、上海です。私の名前はウ・ヨウチ、今年2003年現在68歳になります。

私は高校の教師でした。私は「3つの赤い旗」というものに反対したという理由で、1960年に反革命分子という罪で告発され、7年の刑を宣告されました。(当時43歳) そして極東最大の刑務所である「上海T刑務所」に入れられたのです。

ニー兄弟は1952年に逮捕されましたが、その後は、あたかもこの人物がこの世から消え去ってしまったかのようでした。なぜなら、その時点から、ニー兄弟の身に何が起こったのかを誰ひとりとして知る者はいなかったからです。

しかし主を賛美します。主は私のような卑(いや)しい者に恵みを与えてくださったのです。主は私を愛してくださり、私を守ってくださいました。

というのは獄中のウオッチマン・ニーというひとりのクリスチャンに関して、他の誰も知り得ないことの全てを皆さんに語る機会を与えることができるからです。

前述したように、私は9年間(1963ー1972)ニー兄弟と獄中の同じ部屋で過ごしました。その間、約2年間は別々でした。しかし主を賛美します。主は結局、私たちを再び一緒にしてくださいました。そしてこのことは彼が亡くなる3日前にまで及んだのです。

(1963年に、この監獄で、ある調整が行われ、その結果私とニー兄弟とは同じ建物、同じ階、同じ小組に入れられ、さらには同じ監房内で眠ることになったのです。)

T刑務所は非常に大きな刑務所でした。計10の建物から成っており、1つ1つの建物は5つの階で構成されておりました。そして各階には90もの房がありました。1つの房には3人が入れられ、1つの建物で1000以上の同室者を持ちます。したがってこの巨大な刑務所には、数万人もの人が収容されていたことになります。

私は「第3房」でニー兄弟に会いました。そのような数万人もの人々の中で、ある特定の人と一緒になるというのは簡単なことではありません。それはまちがいなく主の主権のもとで起こったことだったのです。

私たちの監房には、ニー兄弟と、私と、20代の青年がいました。この青年は精神疾患のために、はっきりとしゃべることができません。「おー、おー、おー」と声を出すことしかできず、いつも頭を垂れて、右手を胸元から離しませんでした。それなのに、彼も反革命分子とされていたのです。

 

兄弟姉妹、正直に申し上げます。この監房に入った時、実は私はニー兄弟に少しも友好的ではありませんでした。それどころか私は彼に反感を持ち、敵意さえ抱いていたのです。私は彼を軽蔑していました。彼と話したくなかったのです。なぜかというと、彼が「小組長」だったからです。

監獄には、何人かの囚人に対して小組長という人がおりました。私の目から見ると、あらゆる小組長が、政府のご機嫌(きげん)取りをしておりました。彼らは政府の犬(スパイ)でした。彼らは他の囚人を踏みつけ、踏み台にして出世し、自分が減刑されるためならば、他人の刑期を増やすことを厭(いと)いません。

そもそも、いったいどうして私が投獄されなければならないのでしょうか?

私は窃盗も、強盗もしていませんし、殺人も放火もしていません。ささいな雑談を友人に告げ口されて逮捕されたのです。ですから、私は当初ニーという人間を恐れました。あえて話しかけようとは思いませんでした。

             ーー つづく

 

        2022.6.30

      ( 次回 ‥  2022.7.10[獄中のウオッチマン・ニー②])

 

           集会所‥ 札幌市西区八軒6条東4丁目4ー11