「霊感商法」をやる新規隊に異動になった前後で、家族の態度が徐々に変わって行くのが分かった。

あれほどまでに、私に対して
「帰ってこい!」と執拗に電話や手紙をよこして来た父からの連絡が途絶えた。

母からの電話も穏やかな口調となり
教団のことを詮索することは無くなった。
とにかく私の身体をいたわる言葉ばかり口にするようになった。

やがて、
「私たちも統一原理を勉強したい」
と言う教団に対して肯定的な言葉さえ聴けるようになった。

その言葉を裏付けるように
兄が「ビデオセンターに来て学んで欲しい」とお願いしたことにすんなり応じてくれた。

兄にもコンサルタントがつき、統一原理のビデオを見てくれた。

「氏族のメシア」としての使命を果たす第一歩を踏み出せたことに心中は興奮していた。
他の兄弟姉妹に対して誇らしい気持ちでいっぱいだった。



1992年8月、桜田淳子さんが参加したことで世間を賑わせた、三万双の合同結婚式(祝福)が間近に迫っていた。

私は年齢的にも信仰的にも幼いことの自覚から、祝福を受けるつもりは無かったが青年部長から「せっかくだから」と薦められ、希望だけは出していた。

「生涯の伴侶を得る」ことの期待より
「原罪が無くなる」ことへの期待が大きかった。

マッチングの為の写真も撮った。

結局、希望者の中で女性が余っていたことから、若い希望者は後回しになるべく、祝福対象から外された。

最初から切望していたわけではなかったことと、仮に祝福が決まれば家族への説明、説得をしなければならない煩わしさを考えると、ホッとする思いだった。

桜田淳子さんの祝福相手が決まった辺りから、連日マスコミでの教団関連の報道に、実質、家族は気が気では無かったらしい。
私が親に相談なく祝福を受け、遠い外国に行ってしまうのではないかと…。

母親は私のことが心配なあまり、上の空で運転し、電柱に激突する、という事故を起こした。
一人相撲で本人は無傷だったとは言え、そのことがきっかけとなり家族は本気で私を保護、救出する具体的な作戦を立て動き出したのだった。

私に対する反対の姿勢が肯定的に変わったのも作戦の一つだった。

頑なに反対し続ければ、教団は益々、警戒心を強め、私を家に帰そうとしない。
肯定的になることで教団を油断させようとしたのだ。

後日、兄の本音を聞いた。
ビデオセンターで見せられるビデオにサブリミナルなどの手法で、洗脳を施されるのではないかとの恐怖感から、ビデオを見るふりをして目を閉じて、ヘッドフォンから流れてくる音声も心で遮断したのだと言う。

全ては教団を油断させるため、反対ではなく肯定のふりをしてくれた。
正に、妹を救出するべく身体を張っての演技だったのだ。

家族らが私の信仰を認めてくれる態度に変わって来たことで、教団の警戒は弛くなった。

私が帰省した際に、家族が保護、救出という形で教団から物理的に距離を置き、マインドコントロールを解くためのカウンセリングを受けさせる、という強行に至ることがないよう、それまでは日付を指定して帰省することを許されていなかった。

教団が、と言うより、私自身が完全に油断していた。

「お盆休みの◯月◯日に帰る。」

と言うことを数日前に家族に電話で連絡をした。




その日は来た。

実家は商売をしていた。帰ってくると両親は店で忙しそうに働いていた。
世間はお盆休みだと言うのに急ぎの仕事でも入ったのかと、さして気にかけることもなく、私は私で、霊感商法のノルマからひととき解放され、実家の畳の上でごろんと横になりくつろいだ。

兄は高校野球が大好きだった。
子供の頃から、テレビでの中継を一戦も見逃すことなく見ていた。
その日は、テレビ中継を流していながら、珍しく眠っていた。

ビールの飲み過ぎくらいにしか思わなかったが、後日兄が語っていたのは私の救出作戦の決行のため心落ち着かなかったのだと言う。
高校野球どころか、ビールで酔うことも、眠ることも出来なかったのだ、と。



「R子!今夜、久しぶりにカラオケに行こう!」
兄の誘いに私は二つ返事でOKした。

非原理時代、カラオケが大好きだった。
新規隊のメンバーや店長に対して、少々心苦しい思いもあったが、久しぶりに帰ってきた実家で羽を伸ばしても良いだろうと、自身を労うつもりだった。

しばらくしてから兄が
「カラオケにNちゃんも一緒に行くから…」
と付け足すように言った。

近所に住む従兄のことである。
「ふーん、そう」

親しくしている従兄がカラオケに一緒に行く、と言ったところで何も不思議はなかった。

夜になり、待望のカラオケに出発することになった。以前は家族みんなで行ったのに、今回は祖母は留守番すると言う。

従兄が運転する8人乗りのワゴン車が玄関に着いた。
サンダルばきで乗り込もうとする私に母が
「ズックを履いて行きなさい」と言った。

後部座席の奥に母が、次に私が、入り口側に兄が座り三人並んだ。
真ん中の列には父が一人で座った。

運転席には従兄がいた。
そして、兄には聞かされて居なかった「Y先生」が従兄の隣の助手席に座っていた。

Y先生とは、実家で古くから信仰している宗教の学生部のお世話をしてくださっていた方で、歌が上手で話も面白く、困った時には親身になって相談に乗ってくれる…子供の頃から、私たち兄弟姉妹がずっと頼りにしてきた人だった。

学生時代、一緒にカラオケに行くこともあった。
その夜一緒にカラオケに行くことになっても、従兄同様、不思議はなかった。

だが、私は統一協会に入ったことで随分心配をかけていることは知っていた。顔を合わせづらいところもあったが、敢えて何もない素振りで
「Y先生こんばんは!お久しぶりです。」
と明るく挨拶しておいた。


私たち家族を乗せたワゴン車が夜の町を走り始めた。
その段階で、まだ私はカラオケに行ける喜びでいっぱいだった。

いつも家族が行きつけにしていた国道沿いのカラオケ店の前を通り過ぎた。
私は兄に訊いた。
「どこのカラオケ屋さんに行くの?」

「M市」

おかしい…

カラオケに行くだけのために、そんな遠いところに行ったことはなかった。

まさか、私の家族が私を拉致、監禁しようとしているのか?

そんな筈はない。
私の早合点でここで「拉致、監禁か」
などと騒ぎ出せば、もし本当にM市のカラオケ店に到着した時、滑稽極まりない。
取り敢えず、M市まで大人しく車に揺られた。

M市を過ぎた。

「まさか」「もしかしたら」と言う疑念が、確信に変わった。

私は声を上げた。
「どこに行くの?
私を拉致、監禁するつもりなの?
そんなことしたら、家族みんな大変なことになっちゃうよ!
早く引き返して!
私を車から降ろして!」

家族みんな、私の反応をある程度、想定していたのか、どんなに悲痛な叫びを上げても全く動じない姿勢だ。

身を乗り出し、車のドアに手をかけようとする私の身体を兄がブロックした。
後ろでは母の手が私を抱えるようにつかまえている。

私は無駄な抵抗であることを悟り、一旦、様子を見ることにして眠りについた。

夜中、兄がトイレ休憩だと私を起こした。
ドアが開くと、ワゴン車の周りを親戚、従兄の友人等々、沢山の人が私を見張っていた。

まるで、護送中の凶悪犯を大勢の警察官が見張っているような構図に見えた。
見張っている人間は、昔からよく知っている人ばかりだった。

「カルト教団に洗脳された可哀想なR子ちゃん」
私を見張る彼らからそんな視線を浴びているようで、歯痒い気がした。ばつの悪さもあった。

「皆さん、お騒がせして申し訳ありません。」

私は洗脳なんてされていない至ってまともな人間であることを見せつけるためと、
「かかってこいや」
ぐらいの挑発を込めて、挨拶した。
両脇を兄と母に抱えられトイレに行くと、個室に入る前に兄が言った。

「このトイレは高いところに窓があるだけで逃げ出せるようなものではないから諦めて」

悔しかった。
全てが用意周到だった。
逃げる余地などない。

どこに連れて行かれるか分からない。
移動中に逃げることは不可能だ。
ここは諦めて、
到着した先で改めて逃げる策を考えることに決め、
私は再び車内で眠りについた。