姉の家から自教会に帰った。

本来、マイクロ隊から帰ってきたメンバーは実績の大小に関係なく、皆、「英雄」扱いされる。しかし、途中で逃げ帰った私には、周りのメンバー全てから「腫れ物」扱いされている気がしてならなかった。

敗北者でありながら抜けシャーシャーと教会に戻ってきた卑怯者であり、自分の居場所が果たしてここで正解なのかも分からない。
あらゆる思いが交錯する中、その時の私は、教団内で息をするだけで精一杯だった。

霊の親から勧められ、韓国4Daysと言うセミナーに行ってみた。
お父様のゆかりの地を訪ねるツアーであるが
「主の路程」で散々聴かされた苦難の道の跡を辿っても何の感情も無かった。

韓国から帰って来ても、伝道活動など出来るモチベーションなど、到底、戻らず、与えられた役割は「食当(しょくとう:食事当番の略)」だった。

ホームでのメンバーの朝食。
ビデオセンターに来るゲストとコンサルタントをはじめとする献身者に提供する夕食。
それらを作るのが主な仕事だった。

そんな中、家族のパニック状態は治まることがなかった。私が頑なに家に帰ることを拒んでいたからだ。正確には上から帰宅の許可を貰えていなかったのだ。
青年部長のSは、家族が反原牧師(信者の救出{教団側から言わせると拉致監禁}に尽力する既成基督教会の牧師)と繋がったものと決めつけていた。


二番目の姉の結婚披露宴が近づいた。数ヶ月前に式だけは済ませていたが、披露宴はまだだった。母親が私に是非とも出席するよう電話で連絡してきた。
「拉致監禁なんて絶対しないから、教会まで迎えに行き、披露宴が終わればキチンと教会まで送り返す。料理のことなど先方に迷惑をかけてはならないので、行けないなら行けないで、最初からそう言ってくれる方がありがたい。」

私は大好きな姉の披露宴に出席したい思いでいっぱいだった。非原理の結婚を祝福したいわけではないが、純粋に姉を始め家族みんなと久しぶりに笑い合って話をする絶好の機会だと思っていた。部長のSに出席したい思いを告げ指示を仰いだ。

家族からも再三、出欠を確認する電話が入るため、返事を渋っているSに詰め寄ると
「とりあえず出席って言っときましょうか。」
と言う返事が返ってきた。

「とりあえず」と言う言葉に一抹の不安を感じたが、ほぼ許可を得られたものと判断し、親には「出席する」と返事をした。

教団内で信者は上司であるアベルに教理上、絶対服従である。
姉の披露宴当日の朝、
部長に再確認するつもりで披露宴に出掛けることを告げると、
「う~ん、やっぱりやめましょう。」と一転。
私は反論した。
「家族は私が出席するものだと、先方にも既に準備して貰っています。なぜ当日になってダメなんですか?」
「やはり用心に越したことはありません。急に高熱が出たと言って断って下さい。」

適当すぎる、としか思えなかった。

青年部のメンバーは多い、その中でも家庭問題を抱えているメンバーもとても多いのだ。
いちいち相談されても部長一人では対処しきれないし、一人一人、問題の一連の流れを覚えていることもままならないのは当然。結果、その場限りの適当な対応となり指示が二転三転してしまうのも致し方無いことだったと思う。
それでもメンバーにしてみれば、その言葉は絶対だった。

口惜しい思いと、姉や先方に対して申し訳ない思いで、精神的にでは無く、本当に心が痛かった。心が引き裂かれそうなくらい痛かった。

その時浮かんだのはお父様の苦難の道だった。
教団の教えに「イサク献祭」と言うものがある。

イサクは雄羊を神の前に引き裂いてささげた。
引き裂くのは善と悪に分けると言う意味がある。
お父様もみ旨の為に、家族を犠牲にし供え物にしなければならない場面が沢山あった。
その都度、胸が引き裂かれるような辛い思いをしてきたと言う。私たち信者が今、家族を悲しませたり不安な思いをさせたとしても、み旨の為に行かなければならない。その為に味わう痛みや辛い思いはお父様の思いと同じである。

以前、教団で学んだ「イサク献祭」の講義を元にアベルや霊の親から常に
「お父様もそうだった」
と諭され辛い思いを消化してきた。
披露宴に行けなくなった朝も、決して部長を責めたりせず、お父様の苦難の道を少しでも共有出来たことを喜びに変えた。

断りを入れた家族は、当然、憤慨したが、ある程度、想定していたことだったのかも知れない。怒りを超えて呆れかえっているようだった。

私が披露宴もドタキャンし、家にも帰らないので、仕方なく、家族が教会を訪ねてくると言い出した。
それについてはSから許可が出たので一度だけ教会で会って話をした。

母親は事態が発覚してから10キロ近く痩せたと言う。確かに頬がこけ、ゲッソリしており、髪の毛も随分白くなっていた。

そんな姿を目の当たりにするも意外にも私は冷静だった。

披露宴の朝、自らの心の中で「イサク献祭」を行ったことで、投げやりになっていたのか、諦めの気持ちが強くなったのか、はっきりは分からない。

だが、あの時を境に私の気持ちは大きく変わった。
家族が反対して悲しんでも、だんだん自分自身の感情が麻痺していくのが分かった。
現時点で、私が統一協会に入ったことを悲しみ嘆かれたとしても、いつの日か分かる時が来る。
家族、親戚等の氏族一同が、
「よくぞ統一協会に入ってくれた」
と私の前に感謝の意を表して、ひれ伏す時が来る。
そう信じて疑わなかった。
家族に対して冷酷になっていく自分を「強くなれた」と自ら誇りに思うようになっていた。

食当の仕事は「真のお母様」の路程だと聴かされていた。
お母様はお父様と御成婚なされたとき、周りの女性信者から嫉妬され、随分辛い思いをされた。
その時のお母様の役割は、一番下の立場である台所での食事作りだったと言う。

そのような話をアベルらから聴かされて、自らの気持ちをお母様の気持ちにリンクさせていた。

様々な講義や、アベルや霊の親から牧会(信者の迷い等を正し導くこと)を受けたりする度に、「お父様はこの様に…」と手本とすべき話を聴かされる。
最初の内はいちいちアベル等に相談していたことも、同じ様な場面に遭遇することで、だんだん自ら悟れるようになって行った。
やがて、思考も停止し、更には感情さえ停止してしまう。

それにより親のことを気にしなくなった私は、マイクロ隊での失敗からも徐々に立ち直り、食事作りの合間を縫って伝道に出掛けるようになっていった。
その時、街頭でアンケートを取った女性を「霊の子」として導くまでに成功する。
そして食当から青年部に戻り、更に霊の子を導くことに成功する。

このころ、「自分のことなんてどうだっていい。ただお父様のことだけ信じて歩むだけだ!」
と繰り返し言われたマイクロ隊のキャプテンの言葉「完全自己否定」をやっと理解出来るようになっていた。
思考停止と感情停止が完了した私にはもはや、たやすいこととなり、
逆に「完全自己否定」が出来ないメンバーに対して蔑みの目で見るようになっていた。

実践トレーニングの時から合わせて、霊の子が三人となった。

その実績を認められ、ブロック長から「伝道機動隊」という特別部隊の隊員として抜擢された。
記憶が定かではないが教団内で何らかの摂理により伝道を強化すべき時があった。

「伝道機動隊」は青年の部隊。同時期に壮年壮婦では何人かが抜擢され「グリーンベレー」と言う部隊が結成された。

伝道機動隊に抜擢されたのは私を含む五人でブロック長が直接アベルとなったが
「あなたたちがやりたいことをやりなさい。私は毎日来ることが出来ないから、何かあれば交換日記に書いておいてね。」と言う指示をされただけだった。

自主性を重んじる。
と言えば聞こえは良いが、それまで常にアベルに報連相し、小さなことでも全て指示をもらいながら動いていた私たちは、実質投げ出された形だった。

正直「やりたいことを」と言われても何がやりたいのかも分からなかった。
自分で考えようとすると、睡魔に襲われる。
そのまま伝道にも万物復帰にも行かず五人揃って眠ってしまう、と言うことが続いた。
良く睡眠を取れたことで冷静に思考を巡らせることが出来たのか、青年部でバリバリ実績をあげていた一人のメンバーが伝道機動隊に入って数日してから「実家に帰る」と言い出し、そのままおちた。

間もなく伝道機動隊は解散となり、私は表札や仏像を売る部署(世間で所謂、霊感商法と言われていた万物復帰の部隊)、「新規隊」に配属となった。

【追記】
イサク献祭について、引用元の聖書や原理講論から文章を抜粋して掲載しようと試みた。
ところが驚いたことに、当時、教団から教えられた解釈はどこにも載っていなかった。


【聖書 創世記 第22章】
【原理講論 後編 第一章復帰基台摂理時代 第三節アブラハムの家庭を中心とする摂理②アブラハムのイサク献祭】

イサクが雄羊を善と悪とに引き裂いて献祭したと言う記述はどこにもない。
教団が聖書を曲解していたことは知っていた。
しかし、原理講論までも曲解、と言うか都合良く解釈して信者に教え伝えていたとは、知らなかった。

だが、それは意図的に嘘を教えたのではなく、み旨を歩む上で心身ともにあまりにハードな環境を行かなければならない信者をいかに導くか考えた挙げ句、ある信者がお父様の苦難の道に重ねて解釈したことを、他の信者が感動し、自然と伝え広まって行ったに違いない。
それをいちいち原理講論を紐解いて検証する暇など信者らにはない。

み旨の道はとにかく睡魔との闘いである。

青年部のある姉妹(教団内で女性メンバーのことを姉妹と呼ぶ)は、伝道に出掛ける運転中の車内で、赤信号になる度、運転席のシートを倒し、後ろに乗っている私に「信号が青に変わったら起こしてね」と言って、僅かな信号待ちの時間をも睡眠に充てていた。

またある姉妹は、運転中、ウッカリ居眠りをしてしまった。その際、対向車と接触し自らが運転する車のサイドミラーが壊れて車内に飛び込んで来た。
彼女は自分を責め、同乗のメンバーを危険に晒したことを悔やんで号泣した。

新規隊での、送迎担当の兄弟は任地に着くまでの道中、爆睡している後部座席の姉妹を激しく叱責した。運転している側も睡魔との闘いでいっぱいいっぱいだったのだろう。

脱会当時、教団の悪行や教祖の本性を知り憤慨したが、正直なところ最近まで忘れていた。

改めて怒りが再燃してきた。
文鮮明のことが憎い!
ぶっ殺してやりたいくらい、憎い!
だが、ヤツは既に死んでいる。

復讐すべく教祖がいなくなった現在。
かくなる上は自動化されたマインドコントロールシステムをぶっ壊してやる!
そして非力ながら一人でも多くの現役信者を脱会へと導く手助けをしていきたい。