地上から見上げると、常に隠れている月の裏側のように、ひっそりと存在しているあなたのもう一つの顔を、想い出せるだろうか。
あなたは今、現(うつつ)の世界を生きている。
それ故に、現の世界で過ごしている時の、あなたの表の顔に関しては、先刻承知しているだろう。
しかし、あなたには、確実に、もう一つの裏の顔も、存在しているのである。
何故ならば、あなたは夜な夜な、現の世界を抜け出して、幻想的な夢の世界で、過ごしているからだ。
そうして、現の世界において、様々な役割を担っているのと同じように、夢の世界においても、様々な役割を、担っているのである。
その役割のうちの一つに、夢狩人というものが存在する。
夢狩人に身をやつしたあなたは、ふっくらとした薔薇色の頬と、円(つぶ)らで玲瓏(れいろう)な瞳、そしてぷっくりとした珊瑚色の唇を持った少女である。
彼女は実に愛らしく、それでいて、戦士のように凛とした、気高い雰囲気をも併(あわ)せ持っている。
そんな夢狩人は、一見、戦国時代の武将のような、物々しい出で立ちに、そのほっそりとした身を包んでいる。
すなわち、頭には兜を被り、胸には鎧を当て、手の甲は籠手(こて)で覆い、脛(すね)には脛当てを付けている。
それから、夢狩人らしく、小型の弓と矢筒も背負っている。
しかし、それらは全て、可憐な花々と、植物の枝や葉などから、出来ているのである。
兜のように見える物は、真紅のチューリップと、マゼンタ色のアネモネを豪勢な花束にして、そこに早緑色のスイカズラの葉を、てんでに挿した物である。
鎧のように見える物は、胴衣のように象(かたど)った薄茶色の木の皮に、雪白のシクラメンの花を、一面に貼り付けた物である。
そのシルエットは、二十段重ねのフリルのドレスのように、ふわふわとして見える。
籠手のように見える物は、純白のカサブランカの花心の中に、直接腕を通した物である。
脛当てのように見える物は、力強い緑色を放つヒムロスギの葉と、真紅の野薔薇の実を、ふんだんに絡ませた物である。
そうして弓には、伸びやかな菖蒲の茎と、綿花から紡いだ糸が使われており、矢筒はしなやかなアケビの蔓で編まれていた。
矢そのものは、白銀色の花を取り除いた状態の、しんなりしたネコヤナギの枝である。
夢狩人は、花尽くしの華麗な出で立ちで、幾層もの次元が複雑に重なり合う夢の世界を、次元の歪(ひず)みにうっかり填まってしまうこともなく、悠々と渡り歩いて行く。
夢狩人が行く先々で出逢うのは、片足から血を流した野兎や、脇腹から血を流した狐、片翼から血を流して飛べなくなり、地面に蹲(うずくま)っている鷹などである。
夢狩人は、傷付いた獣達を見付けると、背中に背負っていた矢筒から矢を抜き出し、それを弓に番(つが)えて、獣達の傷口を、狙って射る。
すると、風を切って飛び出した矢は、獣達の傷口へと、瞬く間に吸い込まれていき、傷口は、みるみるうちに癒えていく。
獣達は、敏捷に動けるようになった途端、本来いるべき次元へと、速やかに帰って行く。
彼らは、次元の歪みに填まってしまって、怪我をしてしまい、そこで動けなくなっていただけだからだ。
要するに、夢狩人の役割とは、傷付いた獣達を、癒やすことなのである。
それが証拠に、夢狩人が付けた足跡には、次々と、可愛らしい野の花が咲いていく。
ふわふわと夢を見るように咲きこぼれるカスミソウ。
微風と対話をしているように揺れるコスモス。
しっとりとした風情を漂わせるスミレ。
眩しい光を拡散させるように、明るく咲くタンポポ。
少しも臆することなく、真っ直ぐに天空を見上げるガーベラ…‥。
地中で密やかに眠っていた花の種子が、夢狩人の足跡にこもった癒やしのエネルギーを受け取って、次々と育っていくのである。
そんな夢狩人こそが、夢の世界で過ごしている時の、あなたのもう一つの顔なのである。
けれども、目まぐるしい現の世界で過ごしている時には、そんなことは、すっかり忘れていることだろう。
しかし、現の世界と夢の世界は、常に表裏一体であり、互いが互いの世界に、密接に影響を及ぼし合っている。
それが証拠に、あなたにも、これまでに、見ず知らずの他人から、親切に接してもらった経験が、幾度かあることだろう。
彼らは恐らく、夢の世界で、夢狩人であるあなたから、命を救ってもらった獣達なのかも知れない。
現の世界で見(まみ)えるのは初めてでも、夢の世界では既に、交流を持ったことのある面々なのである。
そんなふうにして、夢の世界での行いが、巡り巡って、現の世界に、影響を与えているのである。
きっと今宵も、あなたは現の世界を抜け出して、夢の世界の住人として、生きることになるだろう。
幻想的な夢の世界では、夢狩人として生を受けるあなたの澄んだ眼差しには、どんな風景が、映し出されてくるのだろうか。
それは、深い眠りという名の夜汽車に乗って、夢の世界に辿り着いてからの、密かな楽しみとしておこう。
夢狩人のイメージは、こちらの画集から、インスピレーションを授かりました。美しくも勇ましい作品集です。よろしければ、こちらもどうぞ。
入江明日香作品集 風のゆくえ 生命の真影 2,592円 Amazon |
佐藤美月は、小説家・エッセイストとして、活動しております。執筆依頼は、こちらから承っております。→執筆依頼フォーム