日本とその隣人たち。 -3ページ目

朝鮮民主主義人民共和国による脱北支援NGO関係者の引き渡し要求を検証する

2月4日より行われていた、日本人拉致問題、核・ミサイル問題、過去清算問題、国交正常化問題などを話し合う日朝政府間対話が2月8日に終了した。

この対話において朝鮮民主主義人民共和国(以下、「共和国」と略する)は拉致問題を解決済みとし、過去の清算を求めたことは相変わらずの主張だったが、目を引く主張として、脱北者支援を行った市民団体関係者7名の引渡しの要求というものが挙げられる。その対象には「北朝鮮難民救援基金」 の関係者のほか「救え!北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク」 (以下、「RENK」と略す)代表の李英和・関西大学教授も挙げられている。

日朝、拉致・安保の溝埋まらず…北が脱北支援者を非難(讀賣新聞)

拉致・核問題進展せず 北朝鮮、脱北支援者の引き渡し要求(産経新聞)


これは、日本側が拉致の実行犯として辛光洙の引渡しを要求していることに対抗しての要求であると見られる。もっとも、以前より共和国は脱北者やこれを支援する人々を「反動」や「民族反逆者」として非難し、脱北行為をしばしば「外国人による共和国公民の拉致」と主張しており、RENKに関しては、朝鮮総聯が1994年4月15日にRENKの主催する「北朝鮮民主化支援・全国集会」に襲撃を行っているから、今回の引渡し要求もまた、一連の「反・脱北支援NGO」の流れの一部という面もあるだろう。

さて、上記の讀賣新聞・産経新聞の記事によると、共和国側は脱北支援活動を中朝国境における共和国公民の誘拐・拉致に該当する行為で、共和国刑法第59条に違反するとしているようである。この共和国刑法(2004年4月改正版)の日本語訳(金民柱訳)は連合出版 (共和国の人権状況に関する研究書を日本語に翻訳した『北朝鮮の人権』[1] の出版元)のサイトで閲覧できる。これによれば、共和国刑法第59条において「第五九条(国家転覆陰謀罪) 反国家的目的で政変、暴動、示威、襲撃に参加したか、陰謀に加担した者は、五年以上の労働教化刑に処する。情状が重い場合は、無期労働教化刑又は死刑及び財産没収刑に処する。」と規定されている。

しかし、共和国側は俎上に載せた団体・個人が共和国公民の拉致活動を行っていることや、この条文に規定されているような国家転覆への加担を行っていることの証拠を示していない。実際、脱北者支援NGOは脱北者の生活や韓国・日本への亡命の支援などは行っているが、共和国の統治地域内で脱北行為自体を支援しているとは見られていないし、まして公民を当人の意に反して拉致することは考えられないことである。

また、国家転覆への加担に関しても、多くの脱北支援NGOはあくまでも人道的な活動を中心としており、政治的活動からは距離を置く傾向にある。一方、RENKは例外的に強力な「反金正日」姿勢を打ち出しており、デモ活動も行っているから「反国家的目的で」「示威」「に参加した」と言えないことはない。しかし、「暴動」「襲撃」は論外にしても平和的デモ活動を行う自由は(「反国家的目的」であっても)保障されるべきことである(実際、日本には「反日」を目的として示威活動を行っている団体は多数存在するし、その参加者の中には在日朝鮮・韓国人も少なくない)。RENKは「民主化」「独裁政権打倒」などのスローガンを掲げてはいるが、実際に暴動を企てているとは考えにくく、あくまでも平和的活動を通じて共和国の民主化を図っている。これらの行為の性質を総合する限り、少なくとも日本側が引渡しを要求している辛光洙の犯罪行為とは比較するべくもないのではないか。


[1]Richard L. Kagan, Matthew Oh, David S. Weissbrodt, Human Rights in the Democratic Peoples Republic of Korea, Minnesota Lawyers International Human Rights Committee, Asia Watch Committee (U.S.), 1988.
日本語訳: 小川晴久, 川人博, 北朝鮮の人権―世界人権宣言に照らして, 連合出版, 1988.


関連サイト

日本を識ろう - 脱北者支援NGOと拉致問題交渉  

時事ブログ「グースの勿忘草」 - 国益を害するNGO団体  

辛光洙の再浮上

地村・蓮池両氏の拉致事件に関与したとして辛光洙の名前が浮上してきた。

朝日新聞 2005年12月30日
「拉致実行犯は辛容疑者」 蓮池さん・地村さん証言

産経新聞 2005年12月30日
「拉致実行犯」北工作員2人を特定 蓮池さん、地村さんが証言

産経新聞 2005年12月31日
拉致実行犯2人特定 地村・蓮池両氏が証言 略取容疑で捜査

讀賣新聞 2005年12月31日
地村・蓮池夫妻事件、北の拉致犯2人を国際手配へ


辛光洙といえば原敕晁氏の拉致事件に関与した人物であり、その後原敕晁氏になりすまして日本に潜伏、対南工作活動を行い、1985年に原氏のパスポートで韓国に入国し逮捕・拘束されたが2000年に非転向長期囚として共和国に送還されたことなどは有名である。辛光洙事件の判決文はRENKのサイト で閲覧することができる。
それで辛光洙は拉致問題を少しでもかじったことのある人なら知っている人物ではあるが、上記の通り、今回は地村・蓮池両氏の拉致事件の実行犯の一人としての浮上である。
共和国は拉致被害者5名とその家族8名の帰国以降、拉致事件を解決済みとし、日本政府が拉致問題を取り上げることを非難してきた。また原敕晁氏を含めた8名を死亡したとしている。しかし、この死亡説に対しては疑問がある。「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会全国協議会)は、横田めぐみ氏をのぞく7名の死亡確認書(日本での死亡診断書に該当する)がすべて同一書式で第695病院から発行されており、原敕晁、松木薫、石岡亨の三氏のものは、同じ位置に印が押されている(筆者が見たところ大きな印は同じ位置に押されているようだが小さな印は画像不鮮明のため、判別できなかった)、また原敕晁氏については1)結婚登録申請書上の出生地が事実と異なり、国籍が朝鮮となっている、2)拉致実行の時期が異なり、北朝鮮は1985年と言うが、実際には1980年である、という点を指摘した(1) 。その後、2004年11月の第3回日朝実務者協議の報告を受け、先方が死亡診断書が2002年に「慌てて作った」ものであると認めたことから、この死亡診断書が捏造であると指摘し、原敕晁氏に関しては1)海州を入国地点としているが、辛光洙事件の判決文では原敕晁氏を南浦港で引き渡したとしている(上述の判決文では<犯罪事実>(4)に「1980年6月中旬日未詳07:00頃、南浦港に到着し、出迎えに来た金指導員ら3名の指導員に日本人「原 敕晁」を引き渡し、…」とある)、2)遺品が存在しないのは不自然であると指摘している(2)

ともかく、原敕晁氏が死亡したと考える理由は見られないところであるし、辛光洙は2000年9月2日の帰国以降、英雄として迎えられ、それ以降、処罰されたとする発表は聞かれない。共和国は拉致事件を「妄動主義・英雄主義」の過ちであり、処罰されるべきものであると主張しているのだから、拉致事件解決のためには辛光洙を含めた関係者を日本へ引き渡すべきだろう(将来、本国において処罰されたと発表されてもそれを信ずべき根拠はないし、ましてそれが適正な手続きによる処罰である保証はどこにもない)。

ところで、韓国では現在に至るまで多くの工作員が潜伏して対南工作活動を行っており、特に1985年の辛光洙の逮捕に前後して、1983年にはラングーン爆破テロ事件が、1987年には大韓航空機爆破テロ事件が起こっている。そして、辛光洙のように逮捕・拘束された工作員も少なくない。一方、日本では韓国の軍事独裁体制を非難し、韓国の民主化を求める声が強く、韓国において政治犯として逮捕された人々の釈放を求める運動が盛んに行われていた。しかし彼らが釈放を求めた人物は辛光洙のように、拉致事件など良心囚とはいえない犯罪を犯した者も少なくないのである(3) 。韓国政治犯の釈放を求めた人々はこのような「政治犯」の実態を十分に理解しながら彼らを良心囚であると偽ったか、あるいはその実態を誤解していたと言わざるを得ない。また、辛光洙などと違い「良心囚」の条件を満たす人物に関しても、人道的見地からその釈放を求めたのかどうかは疑わしい。むしろ韓国の軍事独裁体制を非難する口実としての運動の色彩が濃厚であると思える。
現在、韓国に批判的な論調、言うところの「嫌韓」を非難する人々がいる。彼らは「嫌韓」を表面的・皮相的・一面的な韓国理解に根ざすものと非難するし、確かに「嫌韓」の中にはある一面を誇張して韓国へのマイナスイメージを煽り立てていると思えるような主張もなくはない。しかし、「嫌韓」を非難する人々の中にはかつて上述したような韓国の民主化運動に携わりながら、韓国の軍事独裁体制のみを誇張して伝え、結果として韓国へのマイナスイメージを煽動していた向きが強い。これもまた非難されるべき「嫌韓」の一種ではないだろうか。
さらに、韓国の軍事独裁体制を非難してきた人々の中には共和国の個人崇拝・人権侵害などには目を瞑るどころか、しばしば共和国を支持するような言動を繰り返した人々も少なくない。元・朝鮮総聯活動家の張明秀氏はこのような人々を実例を挙げ、韓国に対する蔑視においてはかつての日帝と変わるところがなく、韓国の独裁を非難しながら、それ以上に酷い共和国の独裁体制を支持するという矛盾した立場をとるものとして、激しく非難している(4)

辛光洙の存在は、共和国による対南工作の非人道的な実態を知らせるものとして、同時に、それを支持してきた多くの日本人の存在を浮かび上がらせるものとして見ることが出来る。


(1)『拉致被害者は生きている-北朝鮮による「調査結果」の矛盾点』

(2)『捏造された死亡診断書 北朝鮮が提出した「調査結果」の疑問点・矛盾点』

(3)実際に、133名の国会議員が辛光洙・徐勝ら29名の「政治犯」の釈放を求めて嘆願署名『在日韓国人政治犯の釈放に関する要望』を韓国の盧泰愚大統領に提出した。資料:シンガンス釈放嘆願署名 を参照。
(4)張明秀, 徐勝 『英雄』にされた北朝鮮のスパイ―金日成親子の犯罪を隠した日本の妖怪たち, 宝島社, 1994.

矢田教育差別事件(1)

多忙につき、長らく更新していなかったが、今回久しぶりに更新することにした。読者諸氏には長らく更新をしなかったことを申し訳なく思う。

この記事はもともと、「人権擁護法案に関する考察」第4章第1節として作成する予定だった記事である。しかし、この事件について判決文などを元に、なるべく偏りのないように記そうとすると非常に長い文章になり、これだけで一つの記事となるので、独立させることとした。


部落解放同盟による糾弾が問題となった事件で最も有名なものはこの事件と八鹿高校事件が双璧をなすだろう。また、この事件の重要性はえせ同和行為の温床ともなった「窓口一本化」政策との関わりが深いことにもある。

事件の経過および判決は大阪地裁判決(昭45(わ)1812号・昭50/6/3刑八部判決、判例時報782(1975), 23--32)および大阪高裁判決(昭50(う)776号・昭56/3/10刑四部判決、判例タイムズ443(1981), 151--154)を参照されたい。[中原]第7章にも詳細な経緯があるが「全解連」側の立場に立った文章であるように思われ、事件の経緯に関する記述など、真実性に疑問も残る。これについては後に検証してみたい。


§1. 事件の経緯

1969年3月13日の大阪市教育組合東南支部の役員選挙に、初期次長に立候補した木下浄大阪市立阪南中学校教諭(当時)が、その立候補の挨拶状のなかで、次のように述べた:

「(1)労働時間は守られていますか。自宅研修のため午後四時頃に学校を出ることができますか。仕事においまくられて勤務時間外の仕事を押しつけられていませんか。進学のことや、同和のことなどで、どうしても遅くなること、教育こんだん会などでおそくなることは、あきらめなければならないのでしょうか。
(2)教育の正常化に名をかりたしめつけや管理がありませんか。越境・補修・同和など、どれをとりあげてもきわめて大事なことですが、それに名をかりて転勤・過員の問題や特設訪問や、研究会や、授業でのしめつけがみられて職場はますます苦しくなります。新指導要領についても同様です。『どんなよいことでも、お上(行政)からきめられたことはダメだ。自ら要求し自らかちとったものが身になり肉になる』ことをひしひし思いしらされています。
(3)(省略)」

この挨拶状が部落解放同盟矢田支部(以下、解同矢田支部と略す)に届けられ、「差別文書」と断定され、糾弾文書が作成された。糾弾文書を一部抜粋すると「あいさつ状は部落差別を宣伝し、部落解放運動に反対し、教師の古い意識を同和教育に反対する基盤として結集することを訴えたのである」「同和教育を中傷し、その実践に水をさそうというのである」「教師の苦しみ、困難さの原因が進学のことや同和のことにすりかえられている」「人民解放の斗い(原文ママ)に水をさし、非難中傷し分裂させ、真の敵を不明にし、差別を温存させる、正に差別者以外の何者でもあるまい」というものである。


3月17日、解同矢田支部は岡野博大阪市立矢田中学校教諭に翌日木下氏および山本和男・大阪市立矢田中学校教諭と共に矢田の市民館に来るように要請する。岡野・山本両氏は木下氏の推薦人である。


3月18日、木下・岡野・山本三氏が市民館を訪れ、事実確認集会が開かれた。待ち受けていた役員は三名に挨拶状と糾弾文書を配布し差別性を指摘・糾弾する。役員は「はじめのうちは穏やかに、次第にきびしい調子となってその差別性を糾弾し、右あいさつ状が差別文書であることを認めるように要求した」。(前述判例時報記事p.29第1段)三名は挨拶状が差別文書であることを認め、24日午後5時に他の推薦人全員と共に矢田市民館で解同の糾弾を受けることなどを約束する。


3月24日朝、木下氏は市教組本部で委員長から「部落解放同盟矢田支部の糾弾についての市教組執行委員会の責任と方針」と題した文書(当時は執行部の案で正式決定はその後になされた)を見せられた。この文書は解放同盟は酷すぎるという考えについて「われわれは組合内部にでてくるであろうこのような考え方の克服こそが、最も困難であるだけに、最も重要な課題であると思う」(前述判例時報記事p.29第3段)という立場を明らかにするなど、解同矢田支部による糾弾を全面的に正しいものであるとするもので、これを受け、木下氏は市教組がこのような立場を取るなら今回も18日と同じ結論になるだろうと考え、18日に約束していた糾弾会への不参加を明らかにし、岡野氏や他の推薦人(山本氏を除く)もこれを受け糾弾会への不参加を決める。岡野氏はまた、挨拶状は差別文書とは思われない、自由な話し合いなら良いが糾弾と言う形式では困るということも理由として挙げた。山本氏のみが出席し糾弾を受ける。


3月24日糾弾会が開かれ、教組側から約150名位、解同側から約20名位が出席したが、関係者としては山本氏のみが出席し、糾弾を受けた。市教組は欠席した関係者に対して組合として解同との話し合いに応ずるよう説得することを約束する。また4月2日午後3時から関係者を含め教組と解同との交渉を行うことを解同と合意する。

以降、市教組は関係者に4月2日の集会に出席するよう説得する。ここで挨拶状を配布した金井清大阪市立矢田中学校教諭・組合分会長が4月2日の集会に出席する、また岡野氏にも2日に出席するよう説得すると約束した。同日に至って金井氏は分会員を集めて出席の意思を取り消すが、分会は金井氏が分会責任者として出席すべきであると決議したので、金井氏はこれに従うことにした。


4月2日、教組と解同との交渉が行われ、教組側から約150名位、解同側から約30名位が出席し金井氏のほか関係者の一部(木下・岡野・山本の各氏は出席していない)も出席、金井氏を含む関係者に対する糾弾がなされた。解同は金井氏に挨拶状が差別文書であることを認め自己批判するよう要求したが、金井氏は木下挨拶状は表現が不十分ではあるが差別文書ではないと主張した。一方で、市教組は4月7日に再度交渉を行うことを解同側と合意し、また関係者には4月7日の交渉に参加することを説得することを約束した。4月4日、教組は既に自己批判をした者を除き、金井氏を含む関係者に出席を要請したが、全員がこれを拒否した。4月7日の集会で教組は関係者への説得はこれ以上不可能であると伝えた。これにより、解同は今後独自の糾弾活動を行うこととした。


4月8日、解同関係者が岡野・金井両氏にこれまでは市教組と話合いながら行動していたが、今後は解同独自で行動する旨を宣言し、今までの大会に何故出席しなかったのかと質問。これに対して岡野氏は糾弾と言うことでは納得できない、対等平等な話合いになら応じる、十一人対十一人にしたいといい、解同側もこれを了承した。しかし、岡野氏は関係者と相談した結果、玉石氏が窓口であるのに岡野氏が取り決めするのは困る、対等な話し合いならまず糾弾文書を撤回してからでないと応じられないと決めた。岡野氏は解同側に玉石氏と連絡を取るように求め、一方、解同側がとにかく直接市民館に来るよう求めた。岡野氏は体の調子が悪いとしてこれを拒否した。


以上の経緯は前述判例時報記事pp.28--30による。こうして、問題の4月9日に至る。


4月9日、泉海節一解同矢田支部長らが矢田中学校職員室で岡野・金井両氏にこれまで話合いに出席しなかった理由を追及し、市民館に同行するよう要求したが両氏は糾弾と言うのはおかしい、対等平等の話合いでなければいけないし、窓口である玉石氏と交渉して欲しいとして、これに応じなかった。また泉海氏から岡野・金井両氏を市民館に連れて行くことについて了承を求められて、校長は職員室に行って岡野・金井両氏に市民館に行くよう説得したが、両氏はこれに応じなかった。そこで泉海氏らは岡野氏の腕をつかみ、脇を抱え、椅子から立ち上がらせて校門の自動車に乗せて矢田市民館に連れて行った。岡野氏は連行を拒んだが、立ち上がってからはあきらめたのか抵抗はしなかった。また金井氏に対しては、別の解同関係者が洋服の肩のあたりや両腕を引っ張って立ち上がらせ、腕を引っ張ってズボンのベルトをつかんで押すなどして校門まで連行し、自動車に乗せて矢田市民館に連れて行った。金井氏も連行を拒んだが、立ち上がってからは半ばあきらめたような状況だった。


市民館では解同関係者は岡野氏らに対し、これまで集会に出席すると言いながら出席しなかった理由や、3月18日に挨拶状が差別文書であることを認めながら、その後これを否定した理由について追及したが、岡野氏らは意志に反して連れてこられた上に、このような状況であるから話合いはできないと思って沈黙を続けていた。そこで解同関係者はさらに激怒し「もの言え。差別者。あほんだら」「今まで、解同が差別や言うて差別でなかったものはない。お前ら白切るんやったらどこまでも糾弾する」と言ったり、金井氏が休憩時間に煙草を吸ったことに対して「生意気になんじゃお前は。たばこなんか吸いやがって」と絡んだりした。


同日の午後、泉海氏らは加美中学校で玉石氏に矢田市民館に岡野・金井両氏がいるから来て欲しいと求めるが、玉石氏は同意せず、また挨拶状についてやりとりが続いたが、そのうちに泉海氏がそのことについては市民館で話し合えばいいと言うと、他の解同員が玉石氏の腕を抱え挙げて室外に連れ出し、校門で自動車に乗せ、矢田市民館まで連行した。

解同側は市民館で玉石氏に対して他の関係者や組合との関係を説明するよう求めたが、玉石氏が一向に説明せずにいると「お前は部落の人が足を踏まれている痛さが分かるか、お前の足踏んだろうか」と言って玉石氏のすぐそばの床をどんと強く踏みつけたり、椅子を蹴り上げて「こら差別者、立て」と言ったり座れと言われても立ったままでいると「親切に座れ言うてるのに座らんのか」と言ったり、あるいは殴りかかったりした。

また、「差別者は日本国中どこへ逃げても草の根を分けても探しだしてみせる。糾弾をうけてノイローゼになったり、社会的に廃人になることもあるぞ、そう覚悟しとけ」「こいつら、なんぼ言うても口をききやがらん。お前ら言うようにしてやろうか。お前らの嫁はんや子供呼んできたら口開くやろ。こいつらかて人間輩、女房可愛いで言いよる」「お前らは骨のある差別者や、ともかくも徹底的にあしたでもあさってでも続いて糾弾する」といった発言が出た。

糾弾は深夜まで続き、「今日はこれ以上やってもきりがないから帰ってもらう」「自己批判しない者に対しては、府連の立場で矢田支部とともに糾弾を続けて行く」として終了し、最後に婦人部の炊き出しによる握り飯を岡野氏ら三名も食べた後、午後2時50分ごろ市民館を出た。


以上が、4月9日の糾弾であり、これについては前述判例時報記事pp.24--28を参考とした。


§2. 裁判所判決の分析

大阪地裁は無罪判決を言い渡したが検察は控訴し大阪高裁は有罪判決を言い渡している。

大阪地裁による無罪判決の要旨は次の四点にある。

・差別に対する法的救済には限界があることから、差別に対する糾弾も、その手段・方法が相当と認められる程度を超えない限り、認められるべきものである。それがどの程度であれば相当と認められるかは、差別の内容・程度、差別に至った経緯、差別者との交渉の経緯、差別者の態度など諸般の事情によって決定されるべきである。
・木下氏の挨拶状は部落解放・差別廃止に逆行する内容であり、差別を助長することにつながる内容を包含するものである。
・当事者は、度々一度は話合いに参加することを約束していながらこれを違えており、また4月9日の集会においても沈黙の態度を取り続けており、糾弾はこれに対する怒りが噴出したものでもある。
・部落差別による苦痛の大きさからして、今回の糾弾は、ある程度止むを得ないものであり、いささか行き過ぎではないかと認められる点がないではなく、今後の自重に期待するものがあるが、未だ可罰的評価に値するものではない。


まず、第二の点(挨拶状の差別性)および第四の点(部落差別の深刻さ)についていうと、当時の部落差別は筆者自身が「人権擁護法案に関する考察」第2章第1節 などでも指摘したように深刻なものであり、地裁判決文中でも高校への進学率が大阪府下の平均80%に対して矢田中学校の同和地区の生徒30%と著しい格差があることが例示されている(前述判例時報記事p.31)。その点この挨拶状はそうした部落解放・差別廃止のための同和教育及び越境入学解消に伴う過員・転勤の問題が教師の労働条件を悪化させている原因であると述べている点において、部落差別自体を表現する文書ではないにせよ、間接的にせよ同和教育の推進を阻害し、部落差別を助長することにつながりかねない内容を含むと言えなくもない。しかし、この挨拶状は進路指導や同和教育に言及してはいるが、根本には「お上」、つまり行政当局に対する異議を呈したものであり、これを同和教育の推進を阻害するものとして読むことは困難であると言える。

また、第三の点(被害者の怠慢)について、大阪地裁による判決では「糾弾の状況としては極めて緊迫した厳しいものであり、野次、罵声が浴せられたことも認められるのであるが、これはD(岡野氏)らがほとんど黙否(原文ママ)していることに対する怒り、地域住民の差別への怒りが噴出したもので、従来部落民が受けてきた差別による苦痛の深さ大きさを想像するとき、本件文書がいわゆる差別的な内容を含むものである以上或程度止むを得ないものと考えられる」と指摘している(前述判例時報記事p.32第2段)。

実際において当時「部落民が受けてきた差別による苦痛の深さ大きさ」は筆者自身が「人権擁護法案に関する考察」第2章第1節 などでも指摘した通り著しいものであった。しかしそれによる怒りは、そのような「著しい差別」に対して向けられるべきものである。この場合の「著しい差別」の本質とは、「部落民」であることのみを理由として就職その他の社会との関わりにおいて不当に不利な取扱いをすることだと言える。それによって生じる生活・経済・文化などのあらゆる面における「部落民」の不当な不利益、あるいは「部落民」であることのみを理由として不当な取扱いをするという行為が帯有する排外性・一方的な姿勢そのものが差別として非難されるべきである。しかし実際には、今回の事件では問題となった文章はそのような排外性も一方的な姿勢も見出し難く、せいぜい差別を助長する可能性を潜在的に有しているに過ぎないものであり、むしろ先方の対抗を困難にしながら不当に威力・威圧を行使するという一方的性向は解同側にこそ見出せるのである。地裁判決では「Dらがほとんど黙否(原文ママ)していることに対する怒り」を挙げているが、このように沈黙せざるを得ないのは、また何か発言したら相手はどのような態度に出るか分からない、という意識によるもので、そのような意識を生じさせたのは他でもなく、解同の糾弾が有する性向によるものと考えるのが最も適切であると思われる(これについては、第3節でさらに検討する)。ともかく、「著しい差別」とせいぜい差別を助長する可能性を潜在的に有しているに過ぎない一連の文書とを摩り替えているところに大阪地裁判決の最大にして致命的な瑕疵があり、又この摩り替えによって、大阪地裁は無罪判決を下すことが出来たといえる。

これに対して大阪高裁では、当該文書が差別を助長する性質を有していることを認め、差別に対する法的救済には限界があり、人間として差別に対して堪え難い情念を抱く以上こうした差別に対して見解の説明を求めることは相当と認められる程度を超えない限りかなりの厳しさを帯有することも許されると指摘している(上述判例タイムズ記事p.153第2段--第3段)。その上で一連の糾弾行為に関して「有形力を行使してその抵抗を排するなどして連行し、かつ多衆の面前で激越な言動に出、極めて長時間にわたり、退出することを著しく困難ならしめる状況を作出し」たものであり、また「本件の如き「糾弾集会」が唯一無二の方法であったとは認めがた」いものであるとして有罪判決を言い渡したのである(上述判例タイムズ記事p.153第3段)。

大阪高裁の判決は事件の事実関係については大阪地裁判決の判断を踏襲しているため、事件に至る経緯において疑問を抱かせる事実認定を行っているものの(これは第3節で述べる)概ね解同の糾弾行為の性向を言い当てており、その点においては評価できる。

しかし、大阪高裁による有罪判決は判例タイムズの解説にある通り、可罰的違法性の理論の安易な適用を回避する判例の傾向に沿ったものでもある。と言うよりは、そのような判例の傾向に沿っているという以上の意義は限定的なものだといえる。実際、大阪高裁判決は、上述の通り解同の行為の一方的・強制的性向を指摘してはいるが、上述した大阪地裁判決が有する瑕疵を明確に指摘するに至っていない。したがって解同の糾弾行為の性質が相当と認められる範囲を逸脱していることを十分に指摘しきれずにいると評せざるを得ないのである。逆に言えば大阪地裁による無罪判決は可罰的違法性の理論に沿って無罪を言い渡したもので、糾弾権なるものを認めたのではなく、せいぜい国家はそのような糾弾行為を座視しておくべきであると指摘しているに過ぎないのではあるが。

上述したように両判決は差別に対する法的救済には限界があり、人間として差別に対して堪え難い情念を抱く以上こうした差別に対して見解の説明を求めることは当然であると指摘する。


§3. 事件に至る経緯について

両判決は被害者が糾弾会への参加や解同側との話し合いを約束しながら後にこれを破棄したことについて非難している(判例時報782(1975), p.29第4段--p.30第2段、p.31第4段および判例タイムズ443(1981), p.151第4段--p.152第1段)。

ところで、本節冒頭で述べたように[中原] 第7章でもこの事件について記述されている。事件の経緯については裁判所判決では言及されていない主張も含んでいる。この本は部落問題研究所から出ており、全体の内容からして「全解連」のえせ同和行為追及の流れに沿った文章であるように思われるため、事実を超えて「解同」に攻撃的な記述があるのではないかという疑問を抱かせるが、ともかく重要な主張であるので、それを引用し、検証したい。
3月18日のやり取りについて、同書は次のように記す。


三月十八日午後四時、木下と、彼の推薦状に名を連ねていた岡野寛(当時大阪市立矢田中学校教諭)と山本和男(同)の三人は、解同矢田支部執行委員会から呼びだしを受けて支部事務所を訪ねた。支部役人十余人がまちうけていたが、彼らはいきなり挨拶状と「糾弾文書」をつきつけ、「お前らのやったのは差別だ」とつめより、「糾弾文書」を認めるよう強要したのである。木下が、いくら挨拶状の趣旨を説明しようとしても、彼らにははじめから聞く耳がなく、三時間あまりにわたって一方的な詰問がつづいた。その間にも、「頭はりたおしたいくらいや」「水平社の頃なら、竹槍でブスッとやるところや」「この糾弾文書を認めへんやったら、今晩帰したらんぞ」などと、口ぐちにどなりたてて脅迫した。そのうえ、自己批判書を書くこと、挨拶状を回収すること、さらに三月二十四日午後五時からの糾弾集会に木下を推薦した十一名の教師とともに参加することを、一方的に押し付けてきた。単なる話合いと思って参加した木下らにとっては、全く予想されなかったことであり、あまりにも険悪な字体に気押されて、ついにしぶしぶながら認めてしまった。
しかしながら、話し合いをしようにもあらかじめ「差別文書」という結論にたった「糾弾文書」を用意し、威圧をくわえながら一方的にその承認を迫るやり方は、木下らにとってとうてい承服できるものではなかった。問題の挨拶状はどう考えても差別文書とは思えないし、ましてや話し合いなど期待されないことは、すでに身をもって体験したところである。木下らは一度は約束したことではあったが、山本をのぞいて「糾弾集会」への参加を拒否する態度をかため、解同支部に通告した。
[中原] pp.124--125)

裁判所判決と比べると、この記述は明らかに解同側の強圧的な姿勢を示している。また3月24日以降の経過についても「大阪市教組執行委員会は、解同の言い分を一方的に受け入れて挨拶状を「差別文書」と断定し、木下らを背後から攻撃してきた」「解同矢田支部が四月二日に再度「糾弾集会」を計画するや、市教組本部や支部幹部らは、手分けして推薦者の家を訪問して、「糾弾」をうけるよう強要、二名がその説得に応じて参加させられた」など、「解同」および大阪市教組側を非難する記述が続いている。

この記述の正確性は疑問ではあるにせよ、ともかくも、彼らは3月18日の「糾弾」において相当緊迫した雰囲気の中でやむなく、あるいは冷静さを失って挨拶状の差別性などを認めた可能性が高いと思われる。第2節で見たように岡野氏は3月24日、4月8日、4月9日の三度にわたって糾弾と言うことでは納得できない、対等な話し合いをするなら糾弾文書を撤回してからでないと応じられないという旨を主張しているし、3月24日には挨拶状は差別文書とは思われないとも言っている。また金井氏も4月2日の集会で挨拶状は表現が不十分ではあるが差別文書ではないと主張している。なお4月2日の集会は糾弾が行われたといっても教組と解同との話し合いを目的とした集会であり、金井氏は分会責任者の立場で出席したものだから、3月18日および4月9日の糾弾とは同一に見ることはできない。

これらのことから、彼らは3月18日の「糾弾」において相当緊迫した雰囲気の中でやむなく、あるいは冷静さを失って挨拶状の差別性などを認め、その後冷静になったか、あるいは真意を述べる気になって前言を違えたと見るのが自然である。実際、刑事事件の裁判において、被告人が捜査段階での自白を警察によって強要されたものとして撤回する事例はしばしば見られるものであり、解同も狭山事件 について警察による自白の誘導・強要を主張しているのである。それらの事例の経緯と照合する限り、今回の事例は3月18日の「糾弾」において相当緊迫した雰囲気の中でやむなく、あるいは冷静さを失って挨拶状の差別性などを認めたと考えざるを得ないのである。警察と言えば1971年6月に部落解放同盟は吹田警察署で署長室を包囲し、当時解同に糾弾されており市役所まで襲撃されていたために警察に解同排除の申し入れを行っていた吹田市長を閉じ込めるという事件までも引き起こしている。こうした時期にあってみれば、学校教師に対して差別文書だと「自白」することを強要することくらい、できぬ解同ではないだろう。そうであるなら、その後の集会への出席の拒否や集会での沈黙もまた、こうした経緯によって生じた、話し合いを期待できないという観測、および何か発言したら相手はどのような態度に出るか分からないという恐怖感によるものであるといえよう。

大阪地裁判決はこれらのことを被害者側の姿勢の一貫性の欠如および説明の怠慢として被害者側を非難しているが、事件に至る経緯について十分に検証したのか疑問を感じざるを得ない。大阪高裁判決もまた、判決が事件に至る経緯については大阪地裁の判断を踏襲し、「積極的にその解同側との集会に出席して正々堂々と自己の立場、見解を説明すべきであるのに、これをなさなかつたことが明らかである」とむしろ被害者側を非難している。前節で述べたとおり、大阪高裁による判決は解同の糾弾行為の性向を適切に言い当て、これを強く非難している。しかるに、同じ判決が事件に至る経緯については大阪地裁の判断を踏襲し、被害者側を非難しているのは疑問を抱かざるを得ない。それは警察によって強要されたかも知れない捜査段階での自白に基づいて有罪判決を下すことを躊躇わぬ裁判官の思考のなせるわざなのであろうか。


§4. 部落解放同盟の立場について


糾弾文書には「教師の苦しみ、困難さの原因が進学のことや同和のことにすりかえられている」とある。しかし、既に前節で言及したことであるが、元々の挨拶状は進路指導や同和教育に言及してはいるが、根本には「お上」、つまり行政当局に対する異議を呈したものであり、行政当局からの押し付けではなく、自主的に行うことで初めて『身になり肉になる』という、至極自然な主張であるし、行政による教育への介入に反対しているのは部落解放同盟も同様のはずである。

同和教育に関して言えば、むしろそのような人権・道徳に関する問題に関する教育だからこそ、行政との分離がはかられる必要がある。そうでなければ、全体主義に向かう危険性を孕むことになるのだから。昨今問題になっている国旗・国歌問題、教育基本法問題はまさしく、行政あるいは政治と教育との分離という原則に関わる問題であり、これらの問題に関して部落解放同盟は一貫してこの原則を唱えているはずである。それが同和教育に関することだから、「行政当局からの押し付け」を批判する側を差別者として糾弾するのは御都合主義であるとの非難は免れない。

このように見ると、部落解放同盟こそ行政に対する疑問を差別問題にすりかえ、行政から教育の自主性を守る(それは、同和教育自身のためにも必要なことである)動きを「非難中傷し分裂させ、真の敵を不明にし」ているといえる。


こうした矛盾点も問題であるが、そもそもそうした矛盾があるにせよないにせよ、第2節から第3節で分析したように強権的な言動をもって、特定のスタンスを強要すること自体著しく問題であると言わざるを得ない。もとより差別問題に関しては自由な議論がなされることが重要なことであり、木下挨拶状に関しても、それが同和教育を不当に軽視しているのではないかという疑問を掲げ、それに関してとか、あるいはその背景にある教育と同和問題との関わりについて自由な議論を行うのならば望ましいことである。したがって、第2節から第3節にわたって指摘してきたような言動はそもそもこうした自由な議論を阻害するという根源的な点で非難されるべきものであると言わざるを得ない。それは「進学のことや、同和のことなどで、どうしても遅くなること」「教育の正常化に名をかりたしめつけや管理」を問題にする主張ばかりでなく、同和問題に関するその他の主張をも萎縮させるものだからである。


[中原] 中原京三, 追跡・えせ同和行為, 部落問題研究所, 1988.
(続く)

人権擁護法案に関する考察, 第3章 人権擁護法案の解釈(下)

§5. 人権委員会の権限

第四の論点は、これも第4節 で論じた差別の認定に関する問題と並ぶものだが、人権委員会の権限に関するもの、つまり人権委員会が実際に何らかの処分を行うことに関するものである。

人権委員会の権限は、対象となる人権侵害の態様によって異なるが、問題になっているものは第41条に規定される一般救済措置、第44条に規定される特別調査、および正当な理由なくこの規定による処分に違反したときの罰則(第88条)、第60条に規定される勧告および第61条に規定される勧告の公表である。


第44条に規定される特別調査は、第1号から第3号をそのまま掲載するが、

*事件の関係者に出頭を求め、質問すること(第1号)
*当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人に対し、その提出を求め、又は提出された文書その他の物件を留め置くこと(第2号)
*当該人権侵害等が現に行われ、又は行われた疑いがあると認める場所に立ち入り、文書その他の物件を検査し、又は関係者に質問すること(第3号)

である。そして、第88条では(「」内が同条各号の記述)

*正当な理由なく第44条第1号に基づく要求・質問に「違反して出頭せず、又は陳述をしなかった」場合(第1号)
*正当な理由なく第44条第2号に基づく提出要求に「違反して文書その他の物件を提出しなかった」場合(第2号)
*正当な理由なく第44条第3号に基づく「立入検査を拒み、妨げ、又は忌避した」場合(第3号)

において、30万円以下の過料に処するとしている。ただし正当な理由があれば過料に処せられざるべきである。

なお、ここに規定される特別調査は第42条第1項第1号から第3号に規定する人権侵害のうち、同項第1号中第3条第1項第1号ハに規定する不当な差別的取扱いと第42条第1項第2号中の労働者に対する職場における不当な差別的言動等(これらは、法案第5章の労働関係特別人権侵害及び船員労働関係特別人権侵害として扱う)を除いたものに関連する事件について必要な調査を行うためのものである。


次に第60条では、上記の人権侵害に第42条第1項第4号から第5号に規定したものを加えたもの(特別人権侵害)が現に行われ、又は行われたと認める場合において当該人権侵害に対して、「理由を付して、当該行為をやめるべきこと又は当該行為若しくはこれと同様の行為を将来行わないことその他被害の救済又は予防に必要な措置を執るべきこと」の勧告ができるというものである。そして第61条ではこの勧告を受けた者がこれに従わないときに、その旨及び当該勧告の内容を公表することができることを定めたものである。ただし、勧告および公表に先立って、対象となる者の意見を聞く必要がある。


いずれの場合にも、重要なことは第42号第1項に規定する人権侵害であるから、これがどのようなものかを見ていく必要がある。

第1号および第2号は第3条で規定されたものの一部に該当するものであり、第4節 で議論したものだから、ここで改めて議論しない。

第3号は公権力の行使に当たる職員、社会福祉施設、医療施設、学校などの管理者・職員・従業者による虐待行為、配偶者・児童・高齢者・障害者への虐待を規定したものである。この虐待行為については同号イおよび児童虐待の防止等に関する法律 (平成12/5/24法律第82号, 改正平成16/12/3法律第153号)第2条で明確に規定されており、本規定における虐待の定義に関する問題は少ないだろうと思われる。ただし、これらの虐待に関してはしばしば事実認定において誤りが犯され、冤罪事件の温床になることはよく指摘されるとおりであるから、これを注意しなければならない。

第4号は放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関やその関係者による犯罪少年・被害者・および犯罪者家族・犯罪被害者家族に対する人権侵害を規定したものである。ここではこれらの者が取材を拒んでいるにもかかわらずつきまといや待ち伏せ、電話攻勢などを反復して行うことを人権侵害としている。

第5号はこれらの人権侵害に準ずる人権侵害で、その被害者の置かれている状況等からして、当該被害者が自らその排除・被害回復のための措置をとることが困難と認められるものを規定している。したがって、既に第1号から第4号で議論したのと同じことが言えるだろう。

したがって、これらの行為自体は、いくつかを除けば、それなりに深刻な行為であり、特別に扱う価値はあるだろうと思われる。問題なのは第44条では調査の対象として「事件の関係者」「当該人権侵害等に関係のある文書その他の物件の所持人」を挙げていることである。人権侵害を行った当人とは記していないことに注意しなければならない。このため、人権侵害を行ってもいない人物がこれらの行為を要求されることがある。第88条によれば正当な理由があれば拒否できることになるが、拒否した時点で(それが正当な理由でないとして)第88条の適用の対象とされる可能性が生じるという点で、第60条および第61条の場合と違い事前に防御する機会が与えられていないという問題があるのである。


また、第44条に規定されている特別調査行為を見ていくと、「出頭を求め、質問する」(第1号)、「~場所に立ち入り、(中略)又は関係者に質問する」(第三号)とある。これらの機会に第2章第2節 であげた矢田事件のような、「確認・糾弾」として問題視されているような暴行・脅迫が行われるのではないかという問題が生じる。ただし、矢田事件の高裁判決(判例タイムズ443(1981), p.151--を参照)では、問題となった木下挨拶状を「結果的に差別を助長することにつながりかねない内容を包含する」と認定した上で、糾弾についても「差別というものに対する法的救済には実際上限界がある」ために「かなりの厳しさを対有することも是認されよう」としたが、暴行・脅迫行為自体については違法性を認定し、有罪判決を下した。したがって、特別調査行為においても、暴行・脅迫行為が合法化されるわけではなく、本法案が「差別というものに対する法的救済」の道を定めたものである以上、逆に特別調査行為の機会に便乗した糾弾なども越権行為と認められなければならないだろう(しかし、この高裁判決は、後に本法案の他の条文を検討するにあたって一つの問題を提起する)。


次に第41条に規定する一般救済処置であるが、むしろこちらのほうが問題があるといえる。というのは、同条第1項第1号から第3号を見ると、

第1号 人権侵害による被害を受け、又は受けるおそれのある者及びその関係者(第三号において「被害者等」という。)に対し、必要な助言、関係行政機関又は関係のある公私の団体への紹介、法律扶助に関するあっせんその他の援助をすること。
第2号 人権侵害を行い、若しくは行うおそれのある者又はこれを助長し、若しくは誘発する行為をする者及びその関係者(次号において「加害者等」という。)に対し、当該行為に関する説示、人権尊重の理念に関する啓発その他の指導をすること。
第3号 被害者等と加害者等との関係の調整をすること。

とある。したがって、第3条で規定されていなかった、「人権侵害を行うおそれのある者」や、単に「人権侵害を助長し、若しくは誘発する行為をする者」に対しても啓発その他の指導をなしうること、また被害者等との関係の調整をなしうることが規定されているのである。したがって、対象となる人物の範囲が極めて広く、また指導や関係の調整の具体的手段も明確ではない。

もちろん、上述した第44条および第88条との均衡からいって、これらは対象となる人物が拒絶することが可能なものでなければならない。ただ、それにしても「人権侵害を助長し、若しくは誘発する行為をする者」全般を対象とする(人権侵害を助長・誘発することを*目的とする*必要はない)ことは、広きに失するといえる。

第2章 で掲げたような各種マイノリティ団体の不正や横暴を問うような議論、あるいはマイノリティ問題に関連した行政の姿勢を問うような議論でも、同章第4節 で論じたように、それが人権侵害を誘発することになると言えるには言えるのである。目的性を要求しないなら、本来正当な行為である者が心無い人物の人権侵害行為に利用されるからといって法案第41条第1項第2号に記載した行為に該当してしまうというしかないのである。先にも述べた、矢田事件高裁判決において「結果的に差別を助長することにつながりかねない内容を包含する」と認定された木下挨拶状はその好例といえよう。

また、第1号における「関係のある公私の団体への紹介」という文言にしても、当該団体の適性に関する言及が不足している感がある。第2章 で問題にした団体にしても人権擁護に関して、一定の功績を挙げているのはその通りであるから、関係のある公私の団体には違いないからである。


§6. 総括

以上に人権擁護法案の法的な考察を行ってきた。これらのことから、

*人権委員・人権擁護委員の選定に関しては国民は投票を通じて間接的に制御することができる
*人権侵害の認定および人権侵害事件に関する処分については、従前の判例に沿いながら、適切に運用することで多くの場合、問題を回避することができる
*その上で問題として浮上したのは第3条第1項第2号ロに規定する性的言動の禁止、第41条第1項第1号の「関係のある公私の団体」、第2号の「人権侵害を助長し、若しくは誘発する行為」という過度に広汎な規定、第44条および第88条の適用に関する、事前防御の機会の不存在といった問題といったものに限られる

ことが結論できた。


繰り返すが、これはあくまで人権擁護法案がどのように解釈・運用されるべきかという問題で、現実にどのように運用されるかということは全く別の問題である。次章では、実際に人権団体によって人権擁護の名の下に起こされた事件を議論することで、この法案の運用に関して現実にどのような問題が起こるのかを検証することにしたい。

BSEと言論規制

自由民主主義国家として認知されている国家でありながら、(国防の観点から規定を別格としても)言論の自由を相当に規制している、あるいは結果的に言論の自由への相当な規制につながる法律が存在する国家は少なくない。ドイツ刑法典第130条を根拠にナチスの礼賛やホロコーストの否認を事実上処罰しているドイツはその代表例であり、日本において現在議論されている「人権擁護法案」も、その例に該当する可能性が濃厚である(これについては筆者が現在本ブログで執筆中の論考で明らかにしていくだろう)。


ところが、自他共に認める自由民主主義国家の雄であるにもかかわらず、これらの例を上回る深刻な言論規制がまかり通っている国が存在する。すなわち自由の国・アメリカである。といっても、国家としてのアメリカ合衆国ではなく、その中のいくつかの州ではあるが。


アメリカの多くの州に存在する"veggie libel law"というものが問題の法律である。

日本語に訳すると、「農産物名誉毀損法」というもので、農産物について中傷、具体的に言えばその安全性を否定する行為を禁止するものである。

たとえば、オクラホマ州のVeggie Libel Law (Effective July 1, 1995, Title 2, sections 3010-12)をみると、

>Section 3011.
>
>As used in this act, unless the context otherwise requires:
>
>1. "Disparagement" means dissemination of information to the public in any manner which casts doubt on the safety of any perishable agricultural food product to the consuming public; and
>2.(略)
>
>Section 3012.
>
>Any producer of perishable agricultural food products who suffers damages as a result of another person's disparagement of any such perishable agricultural food product, when the disparagement is based on false information which is not based on reliable scientific facts and scientific data and which the disseminator knows or should have known to be false, may bring an action for damages and for any other appropriate relief in a court of competent jurisdiction.
>
>The provisions of this section shall not be construed to limit or prohibit any cause of action which may be available to any producer of perishable agricultural food products pursuant to the Oklahoma Deceptive Trade Practices Act or any state or federal slander or libel law.

といったものである。

すなわち、農産物の安全性に疑いを生じさせる情報の流布によって被害を受けた生産者は、信頼しうる科学的事実に基づかない虚偽の情報によるときは損害賠償を求めることができるというのである。

それで、「遺伝子組み換え大豆は通常の大豆よりも栄養価値が低い」とか「BSE牛が多数存在している」といった発言をすると、生産者から損害賠償を求められる可能性が生じるのである(生産者というのは、日本でイメージされるような「農家」だけでなく、農業生産を企業経営的に行っているようなものも含む)。

現にこの規定によって、アメリカにおける食物に由来する病気について議論することが困難となっている。有名な事件としては、テレビ司会者のOprah Winfrey氏が危険な食品についての特集を組んだ際に、元牧場経営主のベジタリアンであるHoward Lyman氏を招いて狂牛病についての議論を行ったことがテキサス州のProduct Disparagement Statutes第96章 違反に問われたというものがある(この記事 を参照)。ただし、この訴訟は棄却されているが、ともかくこのような議論が訴訟の対象とされること自体が問題なのである。筆者に言わせれば、これはその対象が、政治的な問題でもなんでもなく、人間生活の根幹である「食」の問題であるという点からして、国歌侮辱やナチス賛美・ホロコースト否認を禁ずるなどの言論規制を設けているドイツ刑法典や現在筆者自身が俎上に載せている「人権擁護法案」など問題にならない悪法である。

(ところでテキサス州Product Disparagement Statutesによると、情報が虚偽であると知っていることが責任を負うための必要条件として規定されている。これによれば、そもそもOprah Winfrey氏らは自らの正しいと思うところを述べたのだから責任を負うはずはないのである。にもかかわらず訴訟沙汰になっているところにこの法律の本質が読み取れ、また日本における「人権擁護法案」問題に大きな示唆を与えるものだろう)


日本においてもO-157に関するカイワレ大根の風評被害(今村知明「過去の食品事件に見られる情報提供側の意図と報道との格差(特に風評被害について)」 を参照)など、数多くの風評被害事件が発生している。しかし、例えばカイワレ大根事件については厚生省の曖昧な公表を受けて、断定的な報道を繰り返したマスコミに多くの責任がある。また、O-157の主な感染源としては奇しくも牛肉がよく知られているが、マスコミはこの情報を無視ないし軽視し、カイワレ大根バッシングを繰り広げていたのだった。O-157による大規模集団食中毒事件の舞台となった大阪府は同時に食肉偽装事件など牛肉に関わる多くの不正事件の舞台でもあった。このことは何を意味するのだろうか。

日本では農産物に関する風評は消費者団体などの市民運動からよりも、マスコミなどによって、興味本位意識や(他の事件から世間の耳目を逸らすなどの)政治色の濃い意図をもって流布されることが多い。これは農産物に限ったことではなく、凶悪な少年犯罪事件や小児性愛事件が起こるたびにゲームやアニメの害を云々する論調が現れるなど、他の問題にもいえることである。

もっとも、「買ってはいけない」事件に示されたように、消費者側の運動の中にも、科学的根拠を欠いた主張を平気で行う勢力は存在する。それは日本でもアメリカでも同様である。しかし、このような主張に対しては、あくまで科学的観点からの反論をもって対抗すべきだろう。実のところ、このような科学的観点からの議論ということにかけてはアメリカの方が日本よりも優れている。日本では消費者団体などの市民運動に批判的に触れることを避ける風潮が存在する。筆者が人権擁護法案に関する考察で触れた、部落問題に関するタブーと状況は似ている。

本論考は、あくまで日本ではなくアメリカの問題を考察するものである。ここで重要なことは、このような日本においてさえ「農産物名誉毀損法」など存在しないのに、少なくとも日本よりは科学的議論が可能な風土が形成されているアメリカにおいて「農産物名誉毀損法」が存在するという、実に理解しがたい事実である。


もとよりアメリカは牛肉輸入問題をめぐる交渉で、日本が全頭検査の費用を全額負担するという条件で輸入を再開するという提案をしたのを自ら拒絶しておきながら、日本を輸入再開に応じようとしないと非難するなど、拉致問題で今なおシラを切り続ける共和国政府を連想させる程に、筋の通らぬ虚言を弄しているのだが、個別の州の問題とはいえ、アメリカ国内に既に問題は存在しているのである。そして、我々はアメリカの外交について考察するとき、こうした実情を常に念頭に置きながら、同時にアメリカの掲げる自由主義・民主主義・人権尊重の理念を共有し、傍若無人さにおいてはアメリカの比ではない権威主義国家に対して臨む必要があるだろう。

人権擁護法案に関する考察, 第3章 人権擁護法案の解釈(上)

まず最初にここに記すことが「人権擁護法案擁護」にあたるとの誤解を防ぐために注記したいことがある。ここに記すことはあくまで法律論として妥当と思われる解釈の一つであって、実際の運用について保証するものではない。

例えば本章第4節 で単なる不特定多数に対するネガティヴキャンペーンを法案第3条で禁止される人権侵害には当たると解釈されるべきではない旨を論じているが、これはあくまで「第3条が当該行為を禁止していると解釈されるべきではない」というに過ぎず、「当該行為は第3条で禁止される人権侵害にあたらないから、第3条をもって当該行為を禁止したものと見るのは誤りだ」というのでは決して無い。

妥当な法的解釈がどうであれ、法律の存在を示唆しての脅迫を受ければ、多くの人は正式な法的手続きをもって争う面倒さを回避して先方の要求を呑むというのがわが国の伝統である。妥当な法的判断を差し置き法律の存在をただの口実として利用し市民を圧制するのは権力ないし擬似権力、あるいは社会的権力の常套手段である。そのことは、例えば今井亮一氏が今井亮一の交通違反相談センター で指摘している交通取締りに於ける横暴などに実に良く表れている。そして、代表的な人権団体でもあり、また人権擁護法案の制定に向けて尽力している団体でもある部落解放同盟もまた様々な暴力・脅迫行為の経歴を有していることは第2章第2節 に示し、また次章以降でさらに詳しく考察していくことである。

ここからは、以上を踏まえた上で、本法案の妥当と思われる解釈についての考察を、本法案に対して提起されている各種異論を検討する形で行うことにする。


§1. 人権委員会の行為

人権擁護法案の法的問題点を論ずる前に、この法案に出てくる人権委員会というものが法的にどのように位置づけられるかを確認し、その上で人権委員会がどのように行動すべきかを検証しなければならない。

まず、人権委員会の行為は行政処分の一種であり、その処分の合法性の最終的な判断の権限は司法に委ねられる。したがって、人権委員会の行為の合法性の判断は司法によって、これまでの人権侵害事案に関する訴訟に関する判例に沿って下されるべきである。

ただし、これは「人権侵害」の有無そのものや、その不法性に関する判断ではなく、人権委員会の行為の合法性に関する判断であることを念頭におきたい。人権侵害事案に関する訴訟では、人権侵害に対する賠償などの必要性を判断するが、人権委員会の行為の違法性を問う訴訟では、人権侵害事案に関して人権委員会が行った処分の不当性が問題にされるのである。ただ、だからといって「人権侵害」の認定の基準に関する判断が変化すべきということはない。したがって、人権委員会が処分を行ううえでの「人権侵害」の認定は従前の判例の蓄積によるべきだと考えられる。


§2. 人権委員会の独立性・人事

人権擁護法案において問題にされる第一の論点は、まず人権委員会の存在そのものについてである。すなわち、これを問題にする主張によれば、国家行政組織法 (昭和23/7/10法律120号、改正平成15/6/11法律70号)第3条第2項・第3項の規定に基づき、法務省の外局として人権委員会を設置する(第5条)規定のために国家からの独立性が達成されないのではないか、特に法務省というのは人権侵害事件が多発している拘置所・刑務所・入国管理施設などを所管する機関であり、よりによってそのような省庁の外局として設置することは人権擁護の実効性を果たせないのかというのである。

確かに、法務省は人権侵害事件が多発している拘置所・刑務所・入国管理施設などを所管する機関でありながら、これらの人権侵害事件に十全に対処せずにいると思われる。しかし、人権委員の任免は国会および内閣総理大臣によってなされるもので(第9, 11, 12条)、法務省および法務大臣よりもむしろ国会・内閣総理大臣の影響下にあるといえるから、法務省および法務大臣からの独立性は十分に満足されているといえる。


もう一つには人権委員の人事に関する規定である。第11条にあるように、人権委員が罷免される条件は限られていることが問題にされている。しかし、人権委員の罷免が容易に行われては政府からの独立性に反する。むしろ「職務上の義務違反その他委員長若しくは委員たるに適しない非行があると認められたとき」のような曖昧な規定であれば、これこそ政府の介入を招く余地があるともいえる。「第十三条第一項に違反したとき」といった具体的な文言があることが望ましい(ここで例示した規定は人権委員の守秘義務を掲げたものである)。

なお、いくら政府からの独立性が保障されるといっても、第9条にあるように人権委員会の人事は国会同意人事であるから国民の投票によって左右される。


§3. 人権擁護委員の人事

第二の論点は、人権擁護委員の人事に関するものである。人権擁護委員の選考は人権委員に委嘱されているので、その点では、第2節 で取り扱った人権委員の選考の問題に帰するが、人権擁護委員自体の選考に関する規定も検討しよう。

まず、人権擁護委員制度に関しては、第2章冒頭 で書いたように、1948年に既に制定されており、人権擁護委員法 (昭和24/5/31法律139号、改正平成11/12/22法律160号)として法制化され、現在も存在している。そこでこの法律と比較する形をとりながら検証してみよう。


人権擁護法案において人権擁護委員の人事について定めたものは第22条であり、人権擁護委員法の第6条に対応するものである。

そこでこの2つを比べるが、ここで変わるところはといえば、第3項の表現が一部削除されているのと、第6項が削除されているところである。


人権擁護委員法の第6条第3項は

「市町村長は、法務大臣に対し、当該市町村の議会の議員の選挙権を有する住民で、人格識見高く、広く社会の実情に通じ、人権擁護について理解のある社会事業家、教育者、報道新聞の業務に携わる者等及び弁護士会その他婦人、労働者、青年等の団体であつて直接間接に人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員の中から、その市町村の議会の意見を聞いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない」

となっているが、人権擁護法案の第22条第3項は

「市町村長は、人権委員会に対し、当該市町村の住民で、人格が高潔であって人権に関して高い識見を有する者及び弁護士会その他人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する団体の構成員のうちから、当該市町村の議会の意見を聴いて、人権擁護委員の候補者を推薦しなければならない」

となっており、現行法が「社会事業家、教育者、報道新聞の業務に携わる者等及び弁護士会その他婦人、労働者、青年等の団体」と事例を複数例示しているのに対し、法案においてはそのような例示を削除していることである。

これによって、選考の基準が曖昧になるという指摘もあるだろうが、それをいうならばこのように事例を例示することで曖昧さを避けることは、すなわち例示された事例を特別視することになり、現行法の条文は差別的な条文と見なければならなくなるだろう。むしろ、教育者、報道業関係者といった特定の職業(弁護士会は別格としても良いかも知れないが)や婦人・労働者・青年といった特定の属性に拘るのでなく、「人権の擁護を目的とし、又はこれを支持する」団体全般として規定するほうが(第2章第2節で取り上げ、この後にも問題にするように、マイノリティの特権化が問題視されている現状から見ても)望ましいのではないだろうか。


また、人権擁護委員法第6条第6項では

「人権擁護委員の推薦及び委嘱に当つては、すべての国民は、平等に取り扱われ、人種、信条、性別、社会的身分、門地又は第七条第一項第四号に規定する場合を除く外、政治的意見若しくは政治的所属関係によつて差別されてはならない」

と規定されている(第7条第1項第4号は現在削除されている)。この規定は字義通りに見れば至極もっともな規定であるし、差別撤廃を目的とする人権擁護委員の推薦において差別があるというのはあってはならないことである。それが人権擁護法案において削除されている理由は不明である。


ともあれ、人権擁護委員法に比較して、人権擁護法案での人権擁護委員の人事に関する規定が大きく変わっていない事が分かる。そこで、人権擁護委員が何をなしうるかが問題になるが、これは第5節で議論したい。


§4. 人権侵害の認定

第三の論点は、実はこれこそが第5節で扱う問題と並ぶ問題なのであるが、人権侵害の認定に関連するものである。

第2章第2節 および同章第3節 で取り上げたように、在日共和国公民団体である朝鮮総聯や部落解放運動団体である部落解放同盟による暴力事件や利権問題が以前から問題にされているが、こうした行為に対する批判、その他個々の(在日・本国在住などを問わず)外国人や被差別部落出身者やその系列の団体・企業および国家としての外国の行為に対する批判が差別と認定されるおそれがあるのではないかということである。

序文において、実際の運用においてこのような問題が発生する危険性が極めて高いことを記したが、ここでは法律上の扱いを述べたい。


法案第2条において「人権侵害」は「不当な差別、虐待その他の人権を侵害する行為」としか定義されておらず、なるほどこれでは極めて曖昧である。ただ、これらの事案に関する判例は相当蓄積しており、「不当な差別」については第1章第2節同章第3節 で書いたように、「合理的な区別」から峻別される必要がある。だから、本章第1節 に書いた通り、人権委員会においても判例の方向性に沿って「不当な差別」と「合理的な区別」を峻別する必要があるということになる。したがって、これまでの判例の蓄積に反した判断がなされた場合、当然裁判所において検討されなければならないことになる。


一方、法案第3条で禁止されている人権侵害はかなり明確かつ詳細に規定されており、この規定は後にしばしば言及される。もちろん、この規定を運用するに当たってもこれまでの判例の蓄積に沿って判断することになるだろう。ただ、この規定自体についても後に実際上の運用において生じる問題を考察するために、具体的に検討してみたい。


まず、第1項第1号で規定されている「不当な差別的取扱い」は、公務員や「物品、不動産、権利又は役務」の提供を業とする者、事業主による不当な差別的取扱いを規定するものである。

そこで、企業が被差別者を解雇(たとえ正当な解雇であっても)できなくなる、またそのような事態を恐れて被差別者を雇用しなくなる(雇用段階での差別は解雇段階での差別に比べて明確になりにくいため)という事態が考えられる。ただ、雇用・解雇に関連する差別問題については労使裁判でもたびたび問題にされているが、筆者はそれらの判例のうち、限られたものしか把握していない。ここでは代表的な事例について挙げるに留めておく。

三菱樹脂事件判決 (最大判昭48/12/12, 昭43(オ)第932号, 民集27巻11号1536頁)では間接適用説をとりながら、「企業者が特定の思想、信条を有する労働者をそのゆえをもつて雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできない」としている。

*一方、日産自動車事件判決 (最三判昭56/3/24, 昭54(オ)第750号, 民集35巻2号300頁)では定年年齢を男子六〇歳、女子五五歳とした事例を不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると判示している。

また、公務員、「物品、不動産、権利又は役務」の提供を業とする者、事業主など、いずれも社会的権力性が問題とされる存在である。ただ、その社会的権力性は一様ではなく、権力的公務員と非権力的公務員の間、大企業と小企業の間では差異があるから、この点も考慮されなければならないだろうということを注意して、第1項第1号に関する考察を終えたい。


続いて、第1項第2号および第3号を見ると、特定の者に対して属性を理由としてする差別的言動、職務上の地位を利用した性的言動(すなわちセクシャル・ハラスメント)、および優越的な立場においておいて行う虐待が掲げられている。いずれの場合も、不特定多数からなる集団そのものに対する言動は該当しないので、被差別部落や在日コリアン、それに関連した団体に対する批判はもとから該当しない(ただし、性的言動に関しては先方の意に反する言動をことごとく禁止することに妥当性があるのかという疑問はありうる)。


それでは、被差別部落、その他のマイノリティに属する個人に対する批判はどうなるか。

もしそれが、それらの個人の単なる犯罪行為に対する非難であれば、「属性を理由とし」たものではないと認められるべきだろう。

それでは、ある個人の同和事業への関与に対する批判はどうなるか。批判の対象となる事象が同和事業であるから、属性に関連した言動ではある。だが、批判の対象は同和事業への関与形態であって、属性そのものにはない。

一方で、ある在日コリアンの、南北朝鮮に関する問題への関与を歴史的観点から議論しようとするなら、それは朝鮮民族の歴史に触れることであり、また当事者が(在日の)朝鮮民族であることを前提としたものになるだろう。それは属性を理由としてする、不当な差別的言動になるのではないかという疑問が出てくる。しかし、個人に関する言説とはいえ、世界の各民族、各地域がそれぞれ歩んできた道を踏まえて議論することがそれらの民族や地域といった「属性」を理由としたものだというなら、むしろそういった属性を徹底的に無視することこそ民族の多様性を無視した同化主義・排外主義だという議論もありうる。結局は個々の状況によってどちらがより現状を反映した議論であるかを検証するよりないだろうが、いずれの議論にも相当に妥当性はあるのであって、「不当な」差別的言論というべきではないだろう。


第1項についての考察は特定の個人に対するものであったが、第2項を見ると、ここではいよいよ「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者」に関連する行為が問題となっている。

第1号では「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをすることを助長し、又は誘発する目的で、当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の頒布、掲示その他これらに類する方法で公然と摘示する行為」が挙げられている。したがって差別を助長・誘発する行為全体ではなく「当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」の摘示に限って禁止される。逆に、そのような情報であっても、差別を助長・誘発することが目的でなければならない。

第2号では「人種等の共通の属性を有する不特定多数の者に対して当該属性を理由として前項第一号に規定する不当な差別的取扱いをする意思を広告、掲示その他これらに類する方法で公然と表示する行為」とある。

まず、いずれにしても差別を助長・誘発するだけでは禁止の対象とならないことに注意しなければならない。したがって、それ自体が差別とはならないが差別を助長するという理由でマイノリティの集団・団体に関する批判を行うことが禁止されると解釈すべきではない。また、第1号に掲げられている「当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報」の摘示に関しては、被差別部落や在日コリアン集住地域の地名や被差別部落出身者・在日コリアンに多い苗字などが該当するだろうが、差別を助長・誘発する目的でなされることが必要であるから、地域開発事業などの行政に関する論評、差別問題の現状に関する調査研究に関して対象とした地域を明示することまで禁止されるべきではないと考えられる。

そこで、「前項第一号に規定する不当な差別的取扱い」という行為について問題となるが、これは既に議論した通りである。


このように、いずれの場合も、「合理的な区別」と「不当な差別」の区別に留意しつつ解釈することで差別の認定に関してよく言われる問題は防ぐことができるし、防がなければならないだろう。


(第3章(下)に続く)

人権擁護法案に関する考察, 第2章 人権擁護の現実

第1章 では人権の概念について考察したが、ここでは、これまでに人権擁護運動がどのように進んだのかを考察したい。

第1章第3節 で述べたように、1965年に人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)が第20回国連総会において採択され日本も1995年にこれに加入したのであるが、人権擁護委員制度自体は既に1948年に創設されており、翌1949年には人権擁護委員法 (昭和24/5/31法律139号、改正平成11/12/22法律160号)の制定により法的位置づけが明確になった。現在、約14000人の委員が人権擁護活動を行っている。人権擁護法案自体に関連する歴史の詳細については人権擁護法案10年史 に解説されているので、これを参照されたい。そこで、以下、人権擁護運動の功罪を考えていく。


§1. 人権擁護の歴史

1922年に全国水平社(現在の部落解放同盟 、なお水平社博物館 という施設が存在する)が創立されたことにはじまり、差別事件との闘争を行い、京都市など一部地域では同和対策事業に相当する措置が行われていたが、本格的な同和対策事業の始まりは1951年のいわゆる「オールロマンス事件」を契機としている。

この年、雑誌「オールロマンス」10月号に京都市職員執筆の『特殊部落』と題する小説が掲載された。これを被差別部落を極めて劣悪な状況にあるものとして差別的に描いたもので、被差別部落に対して誤った認識を与えるものとして部落解放委員会(今日の部落解放同盟)によって糾弾されたのである。

なお、この小説は実際には在日コリアンの生活風景を描写したもので、そこに介在する朝鮮人差別問題が題材とされていたという指摘がある。れんだいこ氏のページ「補足・オールロマンス事件考 」でこの問題が触れられている。

ただ、筆者は小説原文を読んでおらず、上記のページにおける小説引用が的確であることも保証し得ないのでこの問題はここではこれ以上触れない。とにかくもここでは、この小説が差別小説として糾弾されたという事実を押さえておきたい。


ここに至って、この小説のみならず、そもそも部落の低位な実態そのものについて何ら対策を採らずに放置してきた京都市にこそ最大の責任があるという指摘がなされた。差別事象と行政闘争とを結合させるという運動論の嚆矢となったのである。

以来、京都市では本格的に同和事業が行われ、各地区に改良住宅、診療所などが建設され、大きな改善を見た。そして、全国においても同様の運動論が実践され、部落解放運動の高揚期に至る。そして、同和対策事業特別措置法が成立し、被差別部落内外の格差の是正を目的とした同和事業はいよいよ本格化するのである。

実際、同和対策事業の本格的実施まで、被差別部落内外の格差は著しいものがあった。その実態を表した書物や記事はいくつかあるが、それらは現代の日本人の目から見れば、かえって被差別部落に対して誤った負の印象を与え、差別意識を助長するために書かれたのではないかとさえ思わせる。(雑誌「部落」の1950年代の記事など, また角岡信彦『部落解放運動が残してきたもの』解放出版社『「同和利権の真相」の深層―何がリアルや!』第2章も参照)

こうした状況の改善のために、積極的に同和事業が行われたのであるが、この時点ではこうした措置は適切であったといえる。ただ、被差別部落を対象とし、在日コリアンやその他のマイノリティ・貧困層への配慮を後回しにしたことは問題であった。

また、行政闘争との結合による運動という形態が人権擁護を離れ、単なる行政への圧力へと変質し、「同和利権」などと呼ばれ問題になるのだが、これは第2節 で取り上げたい。


もう一つには在日コリアンに関する差別問題がある。

在日コリアンに関しては、国籍において韓国籍・朝鮮籍(かつての日本統治下の朝鮮出身者という意味で、朝鮮民主主義人民共和国の公民という意味ではない)・帰化したコリア系日本人という違いがあり、日本への移住の原因においても、戦前の出稼ぎ労働・官斡旋や徴用(現在「強制連行」と呼ばれ問題にされているものである)による来日・戦後の朝鮮半島の南北分裂、政治対立、各種弾圧事件(北における旧ブルジョア層や民族主義者への弾圧・南における共産主義者への弾圧や済州島虐殺事件など)、朝鮮戦争などの混乱による難民化と多種多様であり、同和問題のようには単純に議論できない。

ただ、どのような経緯で日本に定住し、いずれの国籍を保持するにせよ、その生活実態が日本社会と深く結びつき、本国からの保障を受けることが困難である限りにおいて、その状況に照らして適切と見られる範囲において一定の保障があってしかるべきだろう。しかし、実際においてこの施策が十分になされてこなかった感がある。もっとも、外国人学校等の卒業者に対して、大学入学資格検定の受検による大学入学資格の取得を可能にすることや、地方公務員の国籍条項の部分撤廃などの差別的な条項の撤廃は行われていた。一方では、在日コリアンの民族団体で、朝鮮民主主義人民共和国の海外同胞団体である在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総聯) の本国への送金、日本人拉致問題への関与などの疑惑が浮上してくる。これについて第3節 で取り上げていく。


§2. 同和問題の利権・言論蹂躙への変質

同和対策事業によって、多くの被差別部落においては周辺との格差が大幅に縮小したにもかかわらず、同和対策としての多数の措置が残存している地区があり、一方では依然として「低位な実態」が改善されずにいる地区が存在している([北] )。周辺との格差が大幅に縮小した地区においてなお、同和対策としての多数の措置が残存していることが批判されるべきなのであって、事業そのものを、その初期まで遡って批判するのではない。

それ以上に重要なのは、差別問題を口実とした圧力を通じて、運動団体の一部の幹部や一部業者などが独占的に利権を享受したり、ある種の表現・言論・議論を封じようとしたりする事例が表面化していることである。

利権問題については詳しい解説は[中原] に譲り、表現・言論・議論への介入を含む事件については詳しいことは後述し、簡単に実例をあげると

*矢田教育差別事件([中原] , 第7章)
*八鹿・元津事件(橘謙, 『八鹿・朝来暴力事件と言論表現の自由』, [成澤] , pp.175--181)
*「橋のない川」撮影妨害事件(湯浅貞夫, 『「解同」による映画「橋のない川」撮影妨害』[成澤] , 第3部第3章)

といった例が挙がってくる。


§3. 朝鮮総聯にまつわる疑惑・事件

朝鮮総聯による朝鮮民主主義人民共和国への組織的な献金、帰国者を人質にとっての在日コリアンに対する恐喝はよく知られている。また、日本人拉致事件に関しては、工作員の密上陸や拉致対象者の選定への関与、被害者家族あるいは被害者救済運動を行っている人物への嫌がらせの疑惑が強い。そして1993年には大阪で開かれたRENK(救え!北朝鮮の民衆/緊急ネットワーク) の集会を襲撃するという、1990年代とは思えぬ事件([李] )が発生している。

もっとも、朝鮮総聯による献金や嫌がらせ、報道機関に対する抗議活動は次第に減少しているようである。1990年代以降の朝鮮総連とその関連団体によるマスコミへの抗議活動としては、

*上述した93年のRENK集会におけるマスコミへの取材妨害、同集会について報道した毎日新聞社への抗議([李]
*同年のAERAの朝銀の融資疑惑の報道に対する抗議
*97年のAERAの東明商事事件の報道に対する抗議
*同年の毎日新聞の朝銀大阪破綻問題の報道に対する抗議
*98年の産経新聞の朝鮮商工連脱税疑惑の報道に対する抗議(以上4つは[野村, pp.190-192]

などがあるが、次第に下火になっているようである。日本人拉致問題に関する嫌がらせも沈静化していると見られるし、最近ではむしろ共和国の拉致問題のほか、飢餓状況や人権問題についてかなり取り上げられている。ただ、依然として安心は禁物であろう。

なお、拉致問題に関しては、この問題を追っていた兵本達吉・元共産党議員秘書が1998年に「警備公安警察官と会食し、この際に警備公安警察に就職斡旋を依頼をした、警察のスパイ」とされて共産党から除名される事件が起こっている。これに対して兵本氏は拉致問題を追及する政府のプロジェクトチームへの参加を紹介され、当局から参加を依頼されたのだとしてこれに反論している。ここではこの問題の真相を追及することは行わないが、共和国においては「美帝(アメリカ)・日帝(日本)・南朝鮮(韓国)のスパイ」という口実での粛清は、南労党粛清事件をはじめ枚挙に暇がない。部落解放同盟への追及において実績をあげている(事実、本章では部落解放同盟の功罪を論ずるにあたっては、全国部落解放運動連合会(現・全国地域人権運動総連合)や部落問題研究所といった共産党と関連の深い団体の資料を大きく参考にした)共産党がこのような国家と同類でないことを祈るばかりである。


さて、朝鮮総聯による事件、すなわち「北」に関連する問題を取り上げたが、「南」に関連する問題はどうであろうか。実はこちらのほうが謎が多く、日本社会の問題より根深く関与しているとも言えるのである。しかし、その全貌を取り上げるには多くの準備が必要となる。ここでは、人権擁護法案への反対運動や、自虐史観批判に深く関わっている勢力に、「南」との関わりが強く問われている勢力が存在するとだけ言っておこう。この論考を書くことにした動機の一つはここにある。すなわち、人権擁護法案への賛成論だけでなく、反対論の中にも何かしらの他意が潜在しているのではないか、それを検討することが本論考の目的の一つなのである。


§4. 総括

以上で部落解放運動が現在、歪んだ形に変質していること、また在日コリアンの人権擁護を目指していた朝鮮総聯が実際には帰国者を人質にとっての恐喝や、本国に批判的な報道・活動への集団的圧力を度々行ったことなどを述べた。


このように部落解放同盟や朝鮮総聯といった団体の事件を挙げたからといって、これをもってそれらの団体の一般の構成員、ましてそれらの団体に所属してすらいない一般の被差別部落出身者や在日コリアン、その他のマイノリティを攻撃するというのではない。これらの団体の横暴によって利益を享受しうるのは、多くの場合一部の団体幹部、業者、共和国本国の高級幹部などに限られる。朝鮮総聯に至っては、在日コリアンの人権を擁護するといいながら、彼らから帰国した親戚を人質にとって恐喝を行ってさえいる。そのような横暴に関しては、当該団体の構成員においてさえ批判する声は相当に強い。

ただ、人権団体の関与する事件を差別するための理由付けに利用する人々がいることも確かである以上、そのような事件を指摘することはこうした人々が自らの差別的主張に取り込むことのできる議論を用意することになるだろう。しかし、これは差別するための理由付けに用いること自体の誤りを意味するものである。この点は、何を差別と見るかということを議論するために後にしばしば取り上げるだろう。


さて、第1章 および本章において、人権擁護法案を考察する背景を準備してきたのだが、次章では人権擁護法案の法的な解釈、第4章では人権擁護法案の現実上の運用に関して考えられる問題について記していきたい。


参考

[北] 北孔介, 放置された1000部落―事業未実施地域をみて , 人権ブックレット 15, 解放出版社, 1989.
[中原] 中原京三, 追跡・えせ同和行為, 部落問題研究所, 1988.
[成澤] 成澤榮壽, 表現の自由と部落問題, 部落問題研究所, 1993.
[野村] 野村旗守, 北朝鮮送金疑惑, 文春文庫, 2002.
[李] 李英和, 朝鮮総連と収容所共和国, 小学館文庫, 1999, または 李英和, 北朝鮮収容所半島, 小学館, 1995.

憲法改正国民投票法について

10月6日に衆議院日本国憲法調査特別委員会で憲法改正国民投票法が議論された。
この国会審議の状況は衆議院TVのビデオライブラリ に記録されているので、これを参考にされたい。

現在、人権擁護法に関する考察を掲載中だが、今回はこの国民投票運動について議論したい。というのは、国民投票運動の規制によって、憲法に関する議論の自由が侵害される危険があるのではないかということが問題となっているからである。

これについて、上記の国会審議でもさまざまな意見が出されているが、大体において

*国民投票は、国民が直接的に政策を選択するもので、公職選挙とは異なったものとして扱う必要がある
*したがって、国民投票運動についても原則として自由とすべきである
*ただし、もちろん投票箱の破壊など、投票そのものを妨害する行為は許されない

という立場では共通しており、議論が起こっているのはメディアによる虚偽の報道と買収行為の2点に絞られている(筆者は公職選挙においても選挙運動の規制を大幅に緩和すべきだと考えているが…)。

ここでは、個々の意見についての紹介・論評はここでは行わない。上記のビデオライブラリを参考にされたい。


なお、超党派の議員連盟である憲法調査推進議員連盟(改憲議連)は2001年11月に国民投票法案の草案を作成しており、2004年12月、国民投票法等に関する与党協議会実務者会議報告(ヤメ蚊氏の情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士というサイトにある(こちら )ので、こちらを参照)で自由民主党はこの草案に若干の修正を加えたものをもとに国民投票法案の作成を進めるとしている。もとの改憲議連案はやはりヤメ蚊氏のサイトにある(こちら )ので、これを参照されたい。この法案を見る限り、特に報道規制に関して規制の対象が非常に大きく、非常に深刻な問題があると考えられる。本当に「虚偽報道および買収」の必要最小限の規制に留めようとしているのかどうかすら疑わしいものである。


以下、この問題に関する筆者の考えを述べる。


§1. 本考察

まず、国民投票運動とは、(憲法改正のための)国民投票に賛成又は反対の投票をさせる目的をもって行う行為であり、そのような目的で行う虚偽の報道(むろん故意的なものに限られる)や買収行為を規制するか否か議論しようというのである。

しかし、そもそも目的の有無はどのように判断するのか。国防問題や人権問題など、憲法に関わりの深い問題を議論するにあたって、虚偽の報道を行った場合はどうなるのか。こうした憲法に関連のある問題であれ、憲法そのものであれ、単に自己の見解を開陳し、あるいはこれについて議論するだけの意図で、これについて報道し、その際に虚偽の報道を行った場合はどうなるのか。あるいは、買収に関していえば、憲法とその関連問題に関する議論と金銭のやり取りが偶々同一の機会に行われた場合はどうなるのか。このような問題がある。

また、虚偽の報道というが、単なる誤報や解釈の相違に関しても(故意的な)虚偽の報道とみなされることはないのかという懸念も生じる。

いずれにせよ、文理解釈では規制されるような虚偽報道や買収には該当しない。しかし、実際には「目的性」の判断はきわめて困難であるし、実際、公職選挙法では、選挙関係者でも判断に困る事例はしばしば起こっている。だからといって、憲法とその関連問題に関する議論にあたって、警察や司法当局の裁量に任せることは、言論の自由という観点からはもとより、国家権力のあり方を律する基本法規としての憲法の性質からして、到底受け入れがたい。


むろん、メディア、とりわけマスメディアによる虚偽報道は、憲法改正論議だけでなく、政治・経済・社会問題など多くの領域において現在既に問題にされていることであり、このような虚偽報道は当然、追及され、訂正されなければならない。だからといってそれが規制されるには、名誉毀損などの不法性が要求されるべきであるし、また公共性の強い大手新聞やテレビ放送と、地方のミニコミ誌や同人誌、インターネット(そもそもインターネットを含めるか否かも問題なのだが)を同様に扱うわけにはいかない。

したがって、少なくとも国民投票法案において特別に虚偽報道規制をおくことは適切でないと見られるし、大手メディアの虚偽報道問題に関しては、別個に論ずるべきだろう。


買収行為に関してはどうか。これは憲法問題に限らず、明示的に当事者の懸案事項に関連してなされるよりは、暗黙の同意のうちに金銭のやり取りが行われるのが普通である。もとより暗黙の同意の慣習の強い日本のことであるし、金で票を買う勢力がわざわざ証拠を残すようなつまらないことはしないだろう。しかし、日常的に行われる金銭のやり取りに対しては、干渉することが適切だろうか。

買収に限らず、法的・社会的な権力地位関係を濫用し、己と価値観・見解を同一にするかしないかを以って有利あるいは不利な取扱いを行うという事例は現実に存在するし、それは許されることではない。しかし、専ら私的な金銭のやり取りについては、たとえその背後に憲法に関する見解の同異による好悪の感情があったとしても、これに干渉することが適切とは思われない。そもそも国民投票は国民全てが判断の主体となるものである。だからといって、その判断に影響を及ぼしうるからといって、金銭のやり取りを規制するというのは経済活動の自由に反することだろう。たとえ、その当事者が上司対部下のような関係にあったとしても、私的な金銭のやり取りが「法的・社会的な権力地位関係の濫用」にあたるとは見るべきではないだろう。


§2. 結論

以上のことから、国民投票法案において、特別に虚偽報道規制をおくことは適切でないと考えられる。また、買収行為に関しても、政党による献金や、その他組織的な献金活動に限定するべきであり、私的な金銭のやり取りまで規制の対象とするべきではないと考えられる。その他には暴行脅迫、あるいは権力地位関係や利害関係の濫用その他の投票に対する威圧行為や投票そのものの妨害に対する規制で事足りるだろう。


2005-10-15 ヤメ蚊氏の情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士にトラックバックを追加

人権擁護法案に関する考察, 第1章 根源的問題-人権と国家


そもそも人権とは何であるのか、そして人権問題に関して国家がどのように関与すべきなのかという基本的な問いから考えなければならない。残念ながら、人権擁護法案に関する多くの議論はこの根源的な問題を十分に考察していないように思える。したがって、本章ではこの問題を議論したい。


§1.人権と国家

人権の起源については自然権によるもの、人間社会上の取り決めに基づくもの、等々様々な見解があり、これに対応して法における人権の起源についても、自然法にこれを求める見解・実定法にこれを求める見解などあり、唯一のものとして確立した見解が存在するわけではない。
しかし、いずれにせよ歴史を見る限り法における人権は対国家的なものとして確立されてきた。欧米における人権の概念の成立の歴史は国家と市民との衝突の歴史であり、そうした歴史を欠いている日本においても、しばしば国家権力による人権侵害が行われる、またはその可能性を潜在的に有していることから対国家的な人権概念を受け入れたのであった。

事実、現在発生している最も過酷な人権侵害はスーダン・朝鮮・ミャンマー・中国など、つい最近まで存在していたものではタリバーン政権下のアフガニスタンやフセイン政権下のイラクなど、による国家による人権侵害である。

したがって、私人の間における人権侵害に対して国家が救済を行うことはそれ自体が私人の人権の侵害となりかねないことから回避すべきだと考えられ、私人の私法的な生活関係は個人の自由な意志と自己の責任において決定処理するべきという原則が建てられた。

これは私的自治の原理として、自由主義社会における私人の生活関係に関する大原則として現在に至る。

むろん、不法行為法や刑法の適用などによって、生命・身体・財産・性的自由などの最も基本的な自由・権利の侵害、それに名誉毀損などに関しても救済することができる。ただし、人権が直ちに不法行為法における「権利」に該当するとは考えにくいので、そのような私的な人権侵害についてはこのままでは救済することは困難になる。


§2.私人相互間に対する人権の効力

さて、産業革命以降、資本家が成長する一方、労働者においては劣悪な労働者待遇、両者の貧富の差の拡大という事態が発生し、また資本家と消費者との間でも品質の保証などをめぐって問題が発生するようになった。また経済の発展・メディアの浸透に伴って資本家・企業のほかにも労働組合や経済団体その他各種の私的団体・あるいはマスコミによって一般の個人の人権が侵害される事象が多発するようになった。

そして、こうした企業その他の私的団体と個人との間の関係においては、双方の合意に基づいて契約が締結されるにしても、実際には当該契約の締結には、個人の自由意志が反映されているとは言い難いことがしばしばである。

そのため、これらの私的団体による人権侵害に対して、人々の人権を保護するべきなのではないかという問題は当然提起される。これは人権規定の私人間効力を議論する際に最も典型的な論点である。


従来は、「無適用説」といって法における人権は対国家的な人権として考えられていたし、実際において人権は憲法において規定されたもので憲法はあくまで私人と国家との関係を想定して作られたものだから、人権規定は私人の間の問題には適用されないと考えられていたこともあった。しかし、上記のように私人の一種である私的な法人・団体による人権侵害が繰り返されるに及んで、やはり「人権」は人権である以上、擁護されなければならないと考えられるようになった。

そこで、私法の一般条項(例えば「公序良俗」を規定した民法第90条)の解釈において、憲法の趣旨を充填することによって、間接的に憲法を適用して法を運用すべきだという「間接適用説」が登場する。これは現在の日本での判例でもある。

だが、ここで憲法の直接適用を回避するのは、それによって私人の人権・自由の侵害が引き起こされる恐れなしとしないからであった。その恐れは間接適用説の立場に立って私法を運用するとしても存在する。ただ、間接適用説においては、どのように憲法の趣旨を私法の解釈、例えば民法第90条の例で言えば、「公序良俗」の解釈に反映させるかにおいて、柔軟性を持っていることも確かだろう。

一方、直接適用説をとるにしても、無制限に憲法の直接適用を行うのではなく、人権規定の効力を相対化し、対象となる状況を限定するという考えがある。例えば、よく知られているのは「社会的権力」の法理であり、上に記したような私的な法人・団体を国家権力とは異なるにせよ、それと類似した一種の権力であると考え、これによる人権侵害を救済可能にするのである。

さらに、直接適用か間接適用か、という観点ではなく人権を対国家権力的なものという前提の上で、社会的権力性から私的な法人・団体を国家権力と同一視し、あるいは国家権力に準じて取り扱うことによって人権侵害の救済を図るという(国家同視説・国家類似説)見解もある。


このようにして、私人相互間において人権規定を間接的にせよ効果あるものとすることができるのであるが、いずれの場合においても私人双方の利益や権利を比較衡量する必要があるだろう。差別問題に関して言えば、当該行為に相当の合理性・公益性があり、なおかつより差別的でない手段を選択する余地が無いような「合理的な区別」まで法によって規制されるべきではないといえる。


§3. 差別の撤廃

一方では、理想的政体と言われたワイマール政体のもとで、元来弱小政党でしかなかったナチスが権力を掌握し、特殊な優生思想に基づいてユダヤ人・障害者・同性愛者などに対する迫害を行ったことが人々に大きな衝撃を与え、さらにはナチス・ドイツに限られない欧米諸国の有色人種への差別が次第に問題視されるようになり、日本においても被差別部落や在日朝鮮・韓国人への差別が問題視されるようになった(これについては相当に虚実混交しているため、後に検証していきたい)ことから、対国家権力の枠組みを越えて、人種等の属性に対する差別そのものを積極的に撤廃するべきだという主張が台頭した。これこそが人権擁護法案に関する問題点の焦点である「差別禁止問題」の原点である。

こうして、1962年の第17回国連総会において、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する宣言案及び条約案の作成」に関する決議が採択され、1963年の第18回国連総会には、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国連宣言」が採択された。そして1965年には人種差別撤廃条約(あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約)が第20回国連総会において採択され、1969年に発効した。ただし日本政府がこれに加入したのは1995年である。
(人種差別撤廃条約、およびそれに関する日本政府の姿勢については外務省のサイトおよび人権擁護法案10年史を参照)。

ナチス・ドイツによる国内でのユダヤ人種迫害政策にしても、アジア・アフリカに対する植民地政策にしても、(当時どのように考えられたのかは別として)まさしく国家権力による人権侵害であり、その点においてこれを厳重に禁止することは妥当であるといえる。また、例えば企業による就職差別などの機会上の差別に関しても、第2節で述べたように、その社会的権力性によって処理することができないことはない。しかし、個人によって行われる差別についてはどうであろうか。

第2節で取り上げた「間接適用説」を取るにせよそうでないにせよ、個人によって行われる差別に関しても、不法行為論に基づいて救済することは可能ではある。ただし、個人によって行われる差別に関しては、第2節で述べたような「社会的権力」の法理の適用はなされず、したがって差別を行ったとされる人物の権利保障を相当に考慮する必要がある。例えば、差別発言を問題にするなら、発言者の言論や表現の自由といったものを考慮し、利益衡量をし、「合理的な区別」まで規制することを回避すべきであり、特に個人によるものであれば一層慎重に対処されるべきだろう。

これに対して、個人によってなされる不特定多数の人物に対する差別発言は私法上の救済の対象とはならない。刑事処分や行政処分を行うことはできるが、これは国家による言論・表現への規制となる。それを正当化するなら、(少なくとも現在の日本の憲法の下では)公共の福祉による制約という論理をとるほかないだろう。筆者はこのような不特定多数への差別発言への規制には今のところ全く反対する立場であるが、もしそのような規制を行うにしても、慎重に利益衡量を行う必要があるだろう。

§4. 総括

以上に、人権問題に対する国家・公権力の関与のあり方について述べてきたが、これらをまとめると、次のように言える:

*人権は国家・公権力と私人との関係を規律するもので、今なお最も恐るべき人権の侵害者は国家権力であるから、これが私人に対して介入することはかえって私人の自由・権利への制約の可能性が生じる
*しかし、私人による人権侵害、特に差別が確かに存在するため、このような行為からの救済手段として、当該行為を私法上の公序良俗に反するものとして取り扱う、あるいは特定の状況に限定して憲法を適用するという手法がある
*ただし、私人相互間の人権問題、あるいは不特定多数の集団に対する差別行為については、それを規制するにしても十分に利益衡量を図る必要がある


次章では、実際に人権擁護の歴史とその過程に於ける人権擁護運動の功罪について述べたい。



2005-10-10 一部修正(タグ・リンク追加)

人権擁護法案に関する考察(はじめに)

ここ最近、人権擁護法案に関する議論が盛んであるが、これについて法案に関する誤った解釈に基づく議論、人権擁護に関する現状を反映していない議論などが相次いでいる。そこで、ここでは人権擁護法案を人権論、法解釈、人権擁護の現状論など多様な側面から考察していきたい。

また、これを単なる人権擁護法案の分析に留めず、人権問題、および人権問題と言論・表現の自由との関連全般に関する考察、そして人権擁護のあるべき姿に関する考察へと発展させていきたい。


まず、ここで議論する人権擁護法案とは第154回国会へ提出されたが廃案となった人権擁護法案である。これは衆議院のサイト(ここ )で公開されている。また、これについて法務省はこのようなQ&A を製作、公開している。

注意しなければならないのは、現在、自民党は人権擁護法案の製作を完了しておらず、まだその全貌は明らかになっていないことである。ただ、それは第154国会に提出された法案と類似したものになるであろうといわれている。

そこで、ここでは上記の第154回国会へ提出された人権擁護法案について考察したい。