フランス歳時記 10月8日 人工港湾都市ル・アーブル創設決定 | mkparisのフランス歳時記、日々のフランス、フランス人

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10月8日 港湾都市、ル・アーブルLe Havre創設決定

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1517年10月8日、フランス国王フランソワ1世が署名した王令(Charte de fondation)によって、セーヌ川河口に位置する港湾都市ル・アーヴル(Le Havre)の建設が正式に決定されました。

フランスで最大の港湾都市ル・アーブルは人工的に造られた都市でした。



現在のル・アーブル

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現在のル・アーヴル周辺には、中世から

Harfleur(アルフルール)

Honfleur(オンフルール)

Graville

Ingouville

Leure

などの町や村がありました。

しかし、ル・アーヴルそのものの場所は、当時は「Grâce(グラース)」と呼ばれる小さな船だまりでした。漁師などが利用していた場所ですが、大都市ではありませんでした。

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セーヌ川河口にあるアルフルールは、かつて重要な港でした。

ところが15世紀末になると、

土砂がたまる → 水深が浅くなる → 大型船が入りにくくなる

という問題が深刻になりました。

一方、グラースの場所は海へのアクセスに比較的恵まれていました。

特に、満潮が長く続くという特徴があり、船を入れるのに適していました。

そこで、「アルフルールではもう限界だ。新しい港を造ろう」となったわけです。

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1515年に国王・フランソワ1世が即位します。

彼は単に商業港が欲しかったわけではありません。

軍事的理由がありました。

当時のフランスにとって最大級の海上のライバルがイングランドでした。

フランス北西部の海岸に、強力な港と要塞を持つことは、イングランドへの防衛上非常に重要でした。

さらにフランソワ1世は、スコットランド王ジェームズ5世の同盟者でもあり、イングランドに対抗するためにも海軍力を必要としていました。

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1517年は、コロンブスの航海からまだ25年ほどしか経っていません。

スペインとポルトガルは、アメリカ、アフリカ、インド・アジアへ次々と進出していました。

フランソワ1世は、「スペインとポルトガルだけに、新世界への道を独占させてよいのか?」と考えます。

そこで必要になったのが、大西洋へ直接出られる大規模な港でした。

フランス文化省の資料でも、ル・アーヴル建設の目的は軍事と商業の二重の目的だったと説明されています。

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1517年2月7日、フランソワ1世はフランス海軍の提督、ギヨーム・グフィエ・ド・ボニヴェGuillaume Gouffier de Bonnivetに、グラースに要塞化された港を建設するよう命令しました。

つまり最初は「都市を造ろう」ではなく「軍事・商業港を造ろう」だったわけです。

実際の建設を担当した重要人物が、Guyon Le Roy, seigneur du Chillouです。

彼は海岸を調査し、グラースが新港に適していると判断しました。

さらに石工のMichel Féréらが工事を開始。

1517年4月頃には建設が始まっていたことが記録から分かります。

 

1536年当時のル・アーブル

 

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1517年10月8日、フランソワ1世はアルジャンタンで文書を発行。

そこには、「forteresse et ville close」

つまり、「要塞と城壁に囲まれた都市」を建設するという国王の意思が示されました。

そして新しい都市に人を呼び込むために、かなり大胆な政策を取ります。

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フランソワ1世は、新しい都市に住む人々の税負担を軽くすることを決めました。

具体的には、「taille」一般的な直接税、そして「gabelle」(塩税)などについて、10年間の免除を与えました。当時、塩は生活必需品です。しかも塩税「ガベル」は人々にとって非常に重い税でした。そこで、「ル・アーヴルに引っ越してくれたら、税金を優遇します!」という政策を取ったわけです。

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これは、新都市に人を集めるための一種の移住促進政策です。

港だけ造っても都市にはなりません。

船が来ても、

商人

船員

漁師

職人

大工

石工

商店

宿屋

倉庫業者

などがいなければ機能しません。

そこで国王は、「あらゆる職業の人々」に住んでもらうことを考えました。

1517年10月8日の国王文書にも、新しい都市を人口で満たす必要性が明記されています。

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「税金を免除します!」と言われても、簡単には人は来ません。

なぜなら、

湿地+海+潮汐+強風

という、かなり厳しい環境だったからです。

しかも建設途中の1525年には、若い都市が大きな高潮・高波(male-marée)に襲われています。

つまり、「国王が都市を作るぞ!」

と言っても、自然との戦いが待っていたわけです。

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現在は、Le Havreですが、当時の正式名称にはフランソワ1世の名前が関係しています。

当初は「フランソワポリス(Francisopolis)」や「ヴィル・フランソワ(Ville Françoise)」と呼ばれましたが、地元の教会(Notre-Dame-de-Grâce)にちなみ「ル・アーヴル・ド・グラース(Le Havre de Grâce = 恵みの港)」と称されるようになり、これが現在の「ル・アーヴル(港)」という市名の由来となりました。(Havreにはもともと「港」という意味があります。ですから今の名は、「The港」です。)

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面白い事件もありました。

宗教戦争の混乱の中、1562年にル・アーヴルはプロテスタント勢力によってイングランド側に引き渡されます。イングランド側は、この都市をカレーと交換する材料にしようとしました。

しかし翌年、1563年7月29日フランス軍がル・アーヴルを奪還。

こうしてル・アーヴルは再びフランスの手に戻ります。

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1517年の創設は、単なる地方港の整備にとどまらず、「フランス国家が主導した初の大規模な近代都市計画」の代表例として位置づけられています。

しかしル・アーブルは第二次世界大戦でほぼ壊滅するほどの大空襲を受けました。

その後、建築家オーギュスト・ペレによって戦後復興が行われました。

そして2005年、「オーギュスト・ペレによる再建都市ル・アーヴル」としてユネスコ世界遺産に登録されています。

つまり現在のル・アーヴルには、1517年のフランソワ1世による「計画都市」と1945年以降のペレによる「再建都市」という、二つの大きな都市計画の歴史が重なっているのです。

モネが描いたル・アーブル