ようやく暖かい気候がやって来ました。
毎年の事ですが、オンタリオでは4月から5月にかけて気温の寒暖の差が激しく、冬のダウンコートを着ていたと思ったら、いきなり半そでTシャツでも良さそうな陽気となったりします。
おかげでこないだまでつぼみも固かったマグノリアが
一気に全開しそうな勢い。
優しい香りを放つ木々が散歩をいっそう、楽しくしてくれます。
せっかく美しい季節を迎えたということで、自粛生活にそろそろ飽きて来た人たちが散歩に出たり、自転車に乗ったりして、けっこう道も賑やかになって来ました。公園の遊具はまだテープで囲まれているけれど、立ち止まらずに歩くのはOK。5月の中頃からちょっとずつ、様子を見ながら制限が緩和されて行くようです。
月曜日からはガーデン・センターが開いて、植木や花の苗を買うことが出来ると聞いています。ただし、店の中で自由に選ぶのではなく、curbside pickup=店員に注文して店の外で売買が行われるそうなので、実際はどういうやり取りになるのか行ってみないと分かりません。例年、ガーデニングが盛んになる時期ですから、こういった店は優先的に再開が許されるのでしょう。
しかし屋内のスポーツ施設はまだ、いつ開くのかが不明です。スケート選手たちはまだまだ我慢の時、ローマン・サドフスキー君の動画が語っていたとおり、彼・彼女たちは皆、「GROUNDED」なままです。
前の記事でも書いたことですが、この「GROUNDED」という言葉は色んな意味に使われます。
直訳すると、「地上に留まっている」ということになりますが、「彼女はとてもGROUNDEDな人(地に足が着いている人)だ」とか「理論的にGROUNDED(しっかりした根拠がある)な仮設」といったニュアンスもあれば、親が子供に対して「お前は今日、GROUNDED(謹慎、外出禁止)だ」と言ったり、「吹雪のせいで全ての飛行機がGROUNDED(飛び立てずに地上待機)になっています」などの場合にも使われます。
ローマン君はパンデミックの中、世界中のスケーターたちが自粛生活を強いられ、リンクで滑ったり、跳んだり、空中を舞う場を奪われた、ということで後者の意味で使っているのですね。
この中で、印象的だったのは、ローマン君がスケートで何が好きって、自由にどこにでも行ける、という感覚、解放感、だと言っているところ。スローモーションで綺麗なトリプルアクセルを跳んで、見事な着氷をしている姿が映し出されます。
そして「僕たちは用具に不具合が生じるとか、怪我とか、そういった状況に対応するのは慣れているけど、こんなパンデミックなんてものを想定していたアスリートはいなかったと思う」とも言っています。
カートさんの様にインラインスケートで代用して、コンクリートの上を滑って見せているスケーターもいますが、
https://twitter.com/KurtBrowning/status/1252413698255155203
どんなことをしても、氷の上で、あのひんやりとした空気を顔に受けながら、自由自在に広い空間を滑る感覚は再現できません。
怪我以外の理由で氷上練習を長期間、休まざるを得ないという状況は多くのスケーター達にとって珍しい事だと思います。しかし一人一人の選手がいかにこの強制的な離脱期間を過ごすのか、によって競技再開後に大きな差が生まれて来るであろうことは、カートさんが言っていた通りでしょう。
そう考えると、我らが羽生選手ほど、パンデミック中の過ごし方に関してノウハウを備えたアスリートはいないのではないか、と思えて来ます。
エリート選手に共通する「自制心」とストイックさを持ち合わせているのはもちろんの事、彼には様々な「外から課せられる不自由」に対応する習慣が付いているであろうから。
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ここでちょっと話が飛躍しますが
私達は今、パンデミックのせいでおいそれと友達と集まることも、好きな時に外に出ることも、出来ないような状況に置かれています。ステイホーム、と言われて政府に行動制限をされているのもありますが、実際問題、どこに行っても感染する・感染させる不安が常に付きまとう。それがプレッシャーとなり、ストレスとなるので、いっそのこと家にいた方がマシだと感じるようになっています。
そんな異常事態は現在、皆に課されていることだし、仕方がないので我慢しますが、これがいつまで続くのだろうかと考えると頭がクラクラしてしまいます。
このような閉塞感から解放された暁には、私達は再び手にした行動の自由をどれほど貴重に思うでしょうか。いつ、何時、突然奪われるかも知れないものであることを痛感し、大切にするのではないでしょうか。(少なくともしばらくは)
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私は、これまで何年か羽生選手の出場する大会を手伝って来た経験からしか語れませんが、彼ほど始終、周囲に注意を払わなければならないアスリートはなかなかいないのではないかと思います。(芸能人には似たような環境に置かれている人もいるかも知れませんが)
大会中はコアなファンを含む観客全般、メディア、スケーター仲間、大会関係者から常に注目される。会場外でも、ホテルとの往復中、ホテル内、空港、飛行機の中に至るまで人の目に晒されるという緊張感から解放されることがない。
だからこそ、彼は氷の上に乗るとあんなにも生き生きとしているのか。公式練習でもそうだけれど、普通の選手なら最も緊張するであろう本番の演技の時、もしかすると彼はもっとも自由を感じるのかも知れない、と考えさせられます。
見られて当然、注目されてなんぼ、の場であるから。
そんな場を失ってもちろん、苦しいだろうけど、彼は度重なる怪我によって氷に乗れない時期も十分すぎるほど、経験して来ている。滑ることが出来ない間、精神的にも身体的にも、シャープであり続けるためには何をするべきなのか、誰よりも分かっているはず。
行きたいところに行けない、会いたい人達に会えない、そんな不自由は今に始まった事じゃない。だからその点においても、凌ぎ方は心得ているはず。
この暗いトンネルを潜り抜けて羽生選手がまた我々の前に姿を現してくれた時、彼はどれほど輝きを増しているでしょうか。その時が来るのを楽しみにするとともに、(この数週間だけですが)自分も不自由を味わったことによって、少しだけ彼の背負っているものを実感できたような気がします。
あくまでも、少しだけ、ですけれどね。
何だかしつこい様ですが、次の記事も似たようなセンチメンタル・モードで書こうと思います。(あんまり間を開けないつもりですが、さてどうなるか)