あー、すごい物を見てしまいましたね。
羽生選手の四大陸選手権、SP演技。
観た直後は呆然としましたが、とにかく現時点で、あれ以上の演技が出来るスケーターはいない、ということを再認識させられました。
過去に滑ったプログラムをまた使う、というのはフィギュア界ではあまり良く思われていない節もあるようですが、羽生選手が今日、見せてくれた「バラード第1番」はそういった固定観念が全く当てはまらない、という気がします。
すぐに比喩を使いたがるのが私の癖ですが、
彼にとってこのプログラムは、あたかも長年、慣れ親しんできた来た極上のストラディバリウス。手にした途端に素晴らしい音色を奏で、弾き手の才能と技術を天上まで連れて行ってくれる。何も考えず、ただ演奏に酔いしれることが出来る、そういった名楽器のようだと感じられました。
(なるべく若いハイフェッツのお写真を採用)
スケーターたちが新しいプログラムをシーズンごとに滑るのは、ファンにとっても、メディアにとっても、またはジャッジにとっても、「楽しみ」であるのは事実でしょう。単純に「今年はどんな一面を見せてくれるのか、どんな新しいジャンルに挑戦するのか」が期待できますから。
でもスポーツである以上、選手が見せるべきは1)最高の技術、そして最高の芸術性。プログラムは2)それを可能にする手段。
羽生選手はこれまでのキャリアの中で、リリカルなプログラム、ロック調のプログラム、ドラマチックなプログラム、和風洋風、歌詞入り・歌詞なし、などの様々な演目を披露し、それらの全てにおいて世界最高級のスコアを叩き出せることを示してきました。(エキシビションやショーナンバーを入れるとレパートリーの幅はさらに広がります)
その点において、彼に証明することはもはや残っていないでしょう。
獲れるタイトルはほぼ獲り尽くし、シニア10年目のシーズンが終盤に入った今、
ただただその方が「心地よいから」という理由ではなく、
彼が自分で出来ると信じている、「自分らしい、自己最高レベル(つまり世界最高レベル)の演技」をするために、
過去の秀逸なプログラムを用いたとして何が問題なのでしょうか。
あるスケーターにとっての「代表作」とされるプログラムの例はあれど、フィギュア界の記憶・記録に残るプログラム、というものはそうそう生まれるものではありません。羽生選手の「バラード第1番」はまさにその貴重な一例であり、フィギュアスケート史に残る名場面ととともに語り継がれていくことは間違いない。ましてや演じられた各4シーズンでその年の世界最高得点を獲得し、世界記録を塗り替えるのはこれが3シーズン目、だと思います(間違っていたら教えてください)。