NHK杯前に思う | 覚え書きあれこれ

覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

ケロウナで大興奮したのがついこの間と思っていたら、もう今週でGPシリーズは最後の大会、という事態になかなか追いついて行けていません。

 

しかしこの時点で幾つか、思うことを羅列しておこうというのがこの記事の主旨です。

 

1)大会にはそれぞれ独特の「空気」というものがある。

 

ライブで行われているものであれば、どんなイベントにおいても言えることだと思いますが、その日、その場所に集まった人々によって創り出される「空気」というものが存在します。何時間かにわたるイベントであれば「流れ」だとか「MOMENTUM(勢い)」というものも出てきます。

 

ここ最近、ジャッジングに関して色々と議論がなされていて、テクニカル・パネルやジャッジに客観性が求められるべき、大会ごとに基準が変わってどうする、といった非常に妥当な疑問がスケートファンから寄せられています。

 

私も当然、ジャッジは公平であることが望ましいと思っているし、テクノロジーによって是正される点はどんどん、取り入れて行ってほしい。ただ、それとは別に、一つの大会において、

 

シーズンのどの時点で、どこで開催されているのか、

選手は誰が出ているのか、とか、

どのグループのどの滑走順、だとか、
はたまた振り付けは誰が行い、キスクラには誰が座っているのか

 

などなど、たくさんの要因が複雑に入り混じって「ある特定の演技に対して絶対的な評価」というものが与えられないのも、フィギュアスケート界の出来事を追っていると理解できて来ます。

 

それが良いか悪いか、とかの問題ではなく、

今後是正されるべきかそうでないか、

は別として。

 

なので、ある選手のある大会での演技の動画だけを取り上げて、別の大会の別の選手の演技と比較して、スコアを議論するのはそう簡単に出来ることではない、と私は思うようになっています。

 

コンテキスト、つまりその演技を取り巻く色々な状況を無視して、評価は成り立たない、と思うのです。

 

そのことに改めて気づかせてくれたのは、一緒に試合のライストを見ていたMさん(自身もフィギュアスケーターのお母さん)でした。スケートカナダでのナム選手のあの素晴らしい演技と高い得点、あれはあの状況(最終グループ、最終滑走者、しかも羽生選手のGODLIKE演技の後)だからこそ生まれたものであり、フランス杯でコストルナイヤ選手の見事な演技の後にすぐ後にクリーンなフリー・プログラムを滑ったマライア・ベル選手に高い得点が出たのと似ている、と彼女に言われ、納得したことでした。ジャッジもその場の空気に全く影響を受けないではいられない、ということです。

 

 

2)「空気」を支配する選手

 

大会の流れ、観客の歓声と高揚感、それらを自分の味方に付けるのか、それともそれをプレッシャーや障害と感じて集中力を失ってしまうのか、それはもちろん選手の度量によると思います。前述のナム選手やマライア選手、最終滑走者として見事に試合の良い流れに自分を乗せることが出来たのは彼らの手柄でした。

 

しかしそれをもう一つ上のレベルに持って行き、自分で「流れを変える」あるいは「流れを作る」ことの出来る選手がいます。

 

これは演技力を求められるアイスダンスなどであれば、空気、または流れを我が物に出来る選手と、出来ない選手との差がより良く分かります。どんな状況においても「どっからでも掛かって来なさい」のオーラを漲らせてリンクの中央で音楽のスタートを待っていたテッサ・ヴァーテュー&スコット・モイヤー、「この場には自分たちしかいない」という雰囲気を醸し出すガブリエラ・パパダキス&ギヨーム・シズロン、などが良い例です。

 

最近のシングル競技でそれが出来る選手と言えば、羽生結弦選手が思い浮かびます。


演技後、勝つか負けるかはジャッジの手に委ねられるけれど、演技中のその場の空気を完全に掌握できるのは自分だけ。そんな強い波長がスケートカナダの「オリジン」の演技の間中、伝わってきました。

 

プログラムとしてもオータム・クラシックの時より数段、進化して、「これに低い点を付けられるものなら付けて見ろ」とジャッジに挑戦状を叩きつけるかのような、あの場にいた誰もが、ただただひれ伏して降参するような、そんな気迫がありました。

 

ここまでの境地に達している選手は、現時点で羽生選手の他にはいないように思えます。

 

そんな意味で(今となってはよりいっそう明らかなのですが)、あのケロウナでのGPスケートカナダは今シーズンの一つのハイライトとも言うべき大会だったと思います。

 

3)何も証明することはないけれど

 

英語で良く、"He has nothing left to prove" という表現が使われますが、これはすでに幾つものタイトルを獲り、記録も塗り替え、しかしまだ現役を続けるベテランの競技者に対して「彼にはもう何も証明することはない」、つまり今さら駆け出しのアスリートの様に必死になって「俺を認めてくれ」と人々に訴える必要がない、ということです。

 

しかし羽生選手の驚くべきところは、彼が自分自身に対して「まだ証明することが残っている」と思い続けられるところなのです。誰が納得していようとも、皆が満足していようとも、彼自身が過去の栄光に甘んじたくない。圧倒的に勝ちたい、ぶざまな自分はイヤ、といったような事を口にするのは、他の皆が五輪二連覇した伝説のスケーターへのリスペクトを払うのは当然のこととして、それだけにぶら下がっているのは我慢できない、ということ。

 

今、この時点で、

誰から見ても文句なしに、

十分余裕を持って勝てる競技者でありたい、

 

と羽生選手が思っているからでしょう。

 

他の選手がどう評価されているか、あるいは誰それが台頭してきている、といったスコアの分析やメディアの煽りなどに、時には気持ちが揺さぶられることもあるかも知れません。しかしジスランコーチが言っている様に、"Yuzu just needs to be Yuzu"彼はただ、彼らしくあるべき。それさえやっていれば、自ずと道は開ける、ということがGPシーズンの6週目を迎えた時点ですでに証明されています。一人だけ、突出したスコアはジャッジの「誤差」などを吹っ飛ばしてしまうもの、どんなコンテキストをも超越したもの。そして何よりも、まだまだ羽生結弦は男子フィギュア界の第一人者なのだ、という事実を表しているのです。

 

4)煽りには気を付けよう

 

選手も煽られて大変ですが、我々ファンも気を付けなければなりません。表面だけを見ると「すごーい!」というような事象は、しっかりとデータを分析してみれば、違った様相を呈して来ることも多々、あります。

 

現在、ロシアが女子・男子・ペア・アイスダンスの四競技を通して万遍ない強さを見せている、ということがGPシーズンのこの時点で注目を浴びていると思います。しかし中でも驚愕に値するのは高難度ジャンプを駆使してGP大会を全て制覇しかねない勢いのエテリコーチの教え子トリオでしょう。

 

これを受けて、今では女子も四回転を跳ばないと勝てない時代がやって来た、ロシアに遅れを取った日本は焦るべきだ、と皆が考え始めている様ですが、本当にそうなのでしょうか。

 

そもそも、四回転を跳んでいる女子は数えるくらいしかいません。「正確に」跳んでいる選手となると、もっと少ない。シニアレベルではトルソワ選手とシェルバコワ選手がグランプリの5大会中、4つを優勝しているから数以上のインパクトがあるのだと思いますが、あと一つの大会、フランス杯ではコストルナイヤ選手がトリプル・アクセルを着氷させ優勝しているのです。つまり、現時点ではシニア女子で二人の選手が、四回転を駆使して大会で優勝した、ということでしかありません。


また簡単に「ロシア女子」、と言いますが、厳密にはエテリコーチのチームの女子、でしょう。トルソワ選手たちのもっと下の世代にもすでに四回転を跳んでいる子がいるそうで、なんだかそんな話を聞いているとロシア中で続々と四回転を跳べる選手が出て来ている様な錯覚に陥りますが、私が知る限りではそんなことは起きていないと思います。

 

もちろん、だからと言って呑気に構えていても良い、という意味ではありません。高い得点をもらえるのであれば誰よりも早く、四回転ジャンプを習得しようとするのは当然だと思います。が、私が気になっているのは、これまで男子においては色んな体型の選手が四回転ジャンパーとして成功して来ているのに比べ、今のところ女子の四回転ジャンパーは特有の体型の持ち主しかいない、というところです。要するに非常に細く、軽く、ちょうどトルソワ選手やシェルバコワ選手のようなタイプです。その体型を保ちつつ、長期間、怪我をせずに跳び続けるのはなかなか難しいのではないかと思うのです。例えば、昨シーズンはカザフスタンのツルシンバエワ選手がエテリコーチの指導の下、シニア女子で初めて4サルコウを着氷させましたが、今シーズンは怪我に悩まされています。

 

一方、トリプル・アクセルは同じ高難度ジャンプと言えど、より多くの女子選手が跳ぶようになって来ています。歴史的に見るとトリプル・アクセルを着氷させた選手は体型的にも年齢的にも様々だったことから、長期的に、持続可能なジャンプではないかという気がします。成功させている選手の国も日本、アメリカ、ロシア、韓国、と徐々に多様になって来ていますが、日本は女子選手のトリプル・アクセルの習得においては他国に遅れを取っているとは言えないでしょう。

 

なお、実を言うと女子の高難度ジャンプのスタンダードは四回転よりもトリプル・アクセルなのかも知れない、と私が思うようになったのは、こないだのスケートカナダ大会で某コーチのインタビューを聞いてから、なのですが、このインタビューはまだどうやら出版されていないようなので詳細は伏せておきます。

 

しかし、ほんの限定的な体型の選手しか跳べない四回転を無理して追い求めるのは危険性が伴う。むしろトリプル・アクセルを最高難度のジャンプとして習得に力を入れ、その他のエレメンツを磨く努力をするべきなのではないか、という考えには大いに頷かせられました。また、男子でも四回転時代が本当に根付いてきたのは最近のことで、その過程でアップダウンはあった、と。つまり女子においては四回転を跳べないと絶対に勝てなくなる、という時代はまだ到来していないのではないか、と考えられるのかも知れません。

 

なかなか興味深いですね。

 

 

さあ、NHK杯!これから怒涛の様に入って来るであろう、日本からの情報を心待ちにして、フォローしていきたいと思います。