2019年GPスケートカナダ(ケロウナ大会):雑感➁ メディアについて | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

今日の雑感記事のテーマはタイトルのとおり、メディア関連です。メディアセンターおよび取材エリアを手伝った視点からの考察を書いていきます。
 

このブログでは過去に何度か「メディア・リテラシー」について記事にして来ました。

 

2015年12月に書いた:

「メディア・リテラシー」が求められる今日この頃(URL訂正あり)

 

そして2017年12月に書いた:

メディアリテラシーについて再び

 

などがそれです。この二つの記事にほぼ、私がこのテーマに関して思っていることが詰まっていますが、今回のGPスケートカナダ、および先月のCSオータムクラシックでの体験を交えて、少し付け加えたいと思います。

 

 

*読む価値のある記事

 

フィギュアスケート人気の高騰によって、巷には色んな記事が色んな媒体で出回っていますが、こういう時だからこそ、情報の受け手としてはなるべく質の高いものを選んで消費したいところです。

 

当然のことですが、本来、大会レポートは現地会場にいた人でなければ書けないはずです。ちゃんと大会主催者にメディア申請を出して、承認をもらい、アクレディテーション(プレスの「P」が付いたIDタッグ)を取得します。それでようやく取材エリアや記者会見場へのアクセスが得られるのです。ファンの観戦ブログと、プロとして記事を書く人との違いはそこにあります。

 

 

 

 

 

 

メディア席で試合を観て、急いで取材エリアに移動して、選手やコーチ、連盟関係者の生の声を聞き、また席に戻って試合観戦を続ける。終わると会見に向かい、質問をして、収集したデータを記述・分析して一つの記事に仕上げる。それが(フィギュアスケート大会での)普通の取材の流れだと思います。

 

収集されたデータの量と質は記者の裁量に大きく左右されます。事前にしっかりと勉強をしているのか、試合以外の取材も時間を割いてやっているのか、選手やコーチ、連盟関係者との信頼関係を築いて他の記者には得られない情報を掴むことが出来るのか、などがレポートに深みを与えるからです。

 

何度も言ってきていることですが、テレビ解説や他の記者の書いた記事を元にしてコラムを書いている人は相手にしない方がよろしい。そういった人はプロのジャーナリストのはしくれとも言えません。(ちなみに今回のGPスケートカナダでは海外メディアは非常に限られた人数しか来ていませんでした。よってオリンピック・チャンネル、International Figure Skating、そしてNBCのニック・マッカーベルさんの書いたもの以外、たいていの記事は現場レポではなく、単なる「コラム」であると思った方が無難でしょう。)

 

女性週刊誌のゴシップ記事などは推して知るべし、です。まあよっぽどヒマがあれば読んでも良いでしょうが、一喜一憂する価値はありません。

 

 

*スケート報道における新たなトレンド

 

取材のお手伝いをしていて、最近感じるのは、日本のメディアにおけるフィギュアスケート報道の仕方が変わって来たな、ということです。

 

私が大会メディアの手伝いを始めた頃、常々疑問に思っていたのは、北米のライターに比べて日本のライターがあまりアスリートのコメントを「VERBATIM(=一言一句)」で引用しないことでした。ほとんどが「PARAPHRASE(言い換えや省略)」になっていて、しかも記事におけるその割合が少ない。

紙媒体であれば「字数に制限がある」といった理由も通るでしょうが、オンラインの記事であればそこまで短くする必要はないように思えます。第一報はとにかく(試合の)結果を、というのも分かります。しかしその後の記事はもっと選手の言葉を重んじても良いのではないかと思っていました。

それが変わってきたのが2016年ごろからでしょうか。言わずと知れたフィギュアスケート・マガジンの山口氏の登場によって、とにかく羽生選手が何を言ったのか知りたい、というファンの願いがかなえられたのです。

 

 

細切れではなく、丸ごとほしい。

出し惜しみなく、全てを放出してほしい。

 

羽生結弦選手の抜群のコメント力に目を付け、ファンの需要をいち早く察知した山口さんの嗅覚はすごいものがありました。その後、彼の示した傾向に沿って、新聞社の何人かの記者が(一問一答形式の)コメント重視の記事を提供するようになっているし、羽生選手だけではなく、他の選手たちにもその効果が波及しているのは喜ばしいことだと思っています。

ただ、それでは記者は単にテープ起こし作業に終始していたら良いのか、という疑問も出てきます。ファンによっては取材の生のデータがほしいだけではなく、得られたデータに関して何らかの分析・解説もしてほしいと思うのではないでしょうか。演技の中継でも、ライストで解説なしで見るのが好き、という人もいるでしょうが、解説があるとより楽しめる、という面もあるのと似ているのかな、と思います。

 

また、テレビにおける報道については、「細切れ」「出し惜しみ」はどうしても仕方ないところがあるのかも知れません。いっぺんに全部放出してしまうと、次の番組から誰も見てくれなくなってしまうからでしょう。そのため、ちょっとずつ、折を見て、小出しにしたいのですね。

 

試合の一夜明けの取材がどのように行われているのか、現場に立ち合ってみると分かるのですが、その大会におけるテレビの放映権所有局、それ以外のテレビ局、新聞および通信社、そして雑誌、とそれぞれの領分というものがあるのです。その辺りの棲み分けは非常に興味深いものがあり、最近はそこに海外のオンライン媒体などが割入って来て、また新たな治政図が描かれて来るような予感がします。

 

まあそれについてはまた別の機会に。

 

 

 

*視点の多様性は重要

 
すでに過去記事にも書いた通り、オータムクラシックではメディアの人数に規制をかける必要性が生じました。消防法上、一定以上の人数がメディアセンターとして使われていた部屋には入れない、といったことが主な理由です。フォトグラファーに関しても、リンクの一箇所にしかポジションが作れなかったので、20人以上を承認することが出来ませんでした。
 
まあ、あれは珍しい例ですが、スケートカナダでも、途中でテーブルを増設しなければいけないほど、メディアセンターは大入り満員でした。私がこれまでボランティアをして来た過去7シーズンを振り返っても、羽生選手が出場する大会はたいてい、押しかけるメディア関係者の人数が多く、年々新しい媒体や記者、フォトグラファーの方々が集まって来ています。でもそんな中で10年、15年、時には20年以上も昔から地道にフィギュアスケートの取材を続けて来られている方々もいるわけです。羽生選手、日本選手、だけに留まらず、世界各国の選手、そしてペアやアイスダンスの競技も丁寧に記事にして、写真に収めて来ているメディアも存在するのです。
 
どんな分野でも特定の時代に特定の人だけ、を追いかけるメディアがあるのは当然のことですが、フィギュアスケートの競技全体のことを考えるのであれば、色々な国から色々な視点を持った人たちが取材をしてくれる方が有難いと思います。競技の歴史に通じ、関係者の中にも人脈がある、そういった縦にも横にも広い視野を持った記者の書いたものは一読の価値があると私は思います。読んだ上で納得するか、憤慨するか、は別として。
 
でなければ記事の内容もフォーマットも似たものばかりになってつまらないですよね?そうならないように願っています。
 
 
*フォトグラファー達のせめぎ合いが面白い
 
面白い、って傍から見ていたら、ということで当事者たちはものすごい熱い戦いなのだろうな、と思います。
 
私の得意文句になりますが、「皆さん、聞いてください」と人生幸朗師匠になってしまいます。大会時、毎度カナダ連盟のメディア担当者と私がドキドキするのはフォトポジションのドロー(くじ引き)の日なのです。
 
30名以上のベテラン・若手カメラマンたちが揃っている前で、点呼をして、一人ずつくじを引いてもらう。引いた番号順にポジションを選んでもらうわけですが、皆さん、黙った中にも「なんで俺がこんな順番やねん」といった表情の方もいらっしゃいます。
 
用意したマップの中から残ったポジションを選んでいただき、その番号の札を渡します。
 
皆のポジションが確定して、席にお連れすることになります。そこからはもう、どうやったら自分らしいショットが撮れるのか、を皆さん、一心不乱に模索して行かれるのでしょう。
 
大会中にカメラマンが欲しいのは競技の写真だけではありません。主に羽生選手の場合は練習中、ウオーミングアップ中、記者会見に登場する時のショット、記者会見中、記者会見後、などなど色んな表情が求められます。少しでも良い写真、他の人が撮っていないアングル、を撮ろうとして椅子によじ登る人、カーテンを割って撮る人、階段で待ち受ける人、とまあせわしない。体力勝負、重い機材をかついで、時にはパソコン片手にすごい姿勢で走り回ってらっしゃいます。
 
その中で大きな分け方としては、大会の記録を撮る人、選手のパーソナリティを撮る人、芸術作品として撮る人、競技として撮る人、などがあるかと思いますが、これはカメラマンさんの個性、選手との関係、媒体の種類、色の合わせ方、背景の取り入れ方、ファンからの要望、などで色々と違った写真が出来上がるようです。
 
記事もそうですが、色んな種類の写真が見られるようになり、カメラマンさんたちの名前もファンに認知されるようになり、ものすごい世界になって来たんだなあ、と感じ入ります。
 
 
さて、最後にちょっと真面目な話ですが:
 
 
*日本独特のメディア文化
 
メディア文化、というかエンターテインメント全体に言える事かも知れませんが、ちょっと気になっていることがあります。
 
私は以前、日本のバラエティ番組にアスリートが出て来ることに関して何ら、疑問を持っていなかったので、お相撲さんたちが「のど自慢大会」に出たり、プロ野球の選手やオリンピックで活躍したアスリートたちが「ジャンク SPORTS」などで弾けているのを面白いと思って見ていました。
 
それが変わったのは2014年に「炎の体育会TV」を見てからだったと思います。パトリック・チャン選手(当時まだ現役で一時休養中)が番組中にレポーター(女優)にけっこう失礼なことを言われて、私は非常に不快になったのでした。それから何となく、特に海外のアスリートが日本のバラエティ番組に出るたびに微妙な気持ちになるのです。
 
チヤホヤされている様で、適当にディスられている。言葉が分からないから、笑われていても理由が分からない。時にはすごく危ない事もさせられて、現役生活に支障をきたすのではないかと心配になってしまう。それでもアスリートの側としては、出演したらそれなりの特典があるから出るのでしょう。
 
何故この話をしているのか、と言うと、GPスケートカナダ大会で羽生選手に次いで、日本のメディアにひときわ大きく取り上げられたのがロシアの15才のスケーター、アレクサンドラ・トルソワ選手だったからです。私の目には紀平選手よりもその扱いは大きかった様に映りました。
 
演技後の記者の囲み取材、テレビ局のブースでのインタビュー、などはまあ良いとして、エキシビションの後、特別に長いテレビインタビューを受けていました。エキシビションの練習でも本番でも、羽生選手と一緒に滑ったりポーズを取ったりしているところも注目されましたね。次のNHK杯で日本に行った際に、その注目度はさらに上がるでしょう(失礼しました、NHK杯に行くのはコストルナイヤ選手でしたね。トルソワ選手はロステレでした)
 
ひと昔前はリプニツカヤ選手、その次がメドヴェデワ選手、一番最近ではザギトワ選手。特に後の二人は日本で人気が出て、アイスショーに出たり、バラエティ番組に招待されたり、様々なプレゼントをもらったりして、大の大人が彼女たちを囲んで燥いでいました。けれどもすぐに次の対象が表れると、忘れ去られる。
 
こういった一時的な(度を過ぎた)騒ぎ、そして忘却、って、まだ中学生や高校一年生くらいの若い選手にとって、どういう影響を及ぼすのかな、と心配になる私です。
 
余計なお節介と思われるかも知れませんが、トルソワ選手、そして今をときめく二人のジュニア上がりのコストルナイヤ選手とシェルバコワ選手がアスリートして無事に開花できるよう、適度な距離を持ってメディアは見守ってほしいな、と思います。
 
 
次の記事は、トレイシーさんの解説について書こうかな。
 
中国杯も始まりますが、冬眠する前にラストスパートだ。