GPF前に、雑感です:その②羽生結弦の出ない試合で、彼の存在の大きさを再認識する。 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

一日開くかも知れない、と言いながらついつい、いつもの調子で何日も遅れて記事をアップしています。

 

GPFに出かける前に色んな仕事を片付けておこうと思い、ちょっとオーバーロードしてしまいました。えらいこっちゃ。でも頑張る。

 

 

さて、気を取り直して

 

 

ひとつ前の記事へのコメント、ありがとうございます。

 

選手が長年慣れ親しんだコーチから離れて練習拠点を移す、ということには確かに色々なパターンがあり得ます。単に練習環境を替えたかったのか、新しい指導法を試してみたかったのか、テクニカルな面を見直して滑りを一新したかったのか、これら複数の要因が絡み合っている場合もあるでしょう。また、その選手がキャリアのどの局面で変化を求めるのか、によっても違いがあります。伸び盛りの時なのか、伸び悩みの時なのか、などなど。

 

そこに「国境を越えて」の移動となると、さらにプロセスは複雑になってきます。私はもともと、国際移動が子供の成長に及ぼす影響というものが研究テーマの一つだったので、過去にこんな記事も書いてました:

 

石の上にも三年、五年目ともなれば。。。

 

2017年の四大陸選手権に出場した羽生結弦選手に関連付けて書いた記事ですが、ちょっと懐かしく読み返しました。あれから1年半以上経った今、羽生選手にとってカナダに渡ったことの意味を再度考えたり、つくづく、現時点でのフィギュアスケート界における「ユヅル・ハニュウ」の存在の大きさを実感したりしています。

 

あと数日で私はバンクーバーへと飛びますが、きっとGPFの会場現地に到着すれば(本来ならいるはずの)羽生選手がいないことに対して一抹の寂しさを覚えるに違いありません。

 

いえ、彼が欠場したことはもちろん、正しい判断だと思っていますよ。休んでくれてホッとしているのも確かです。

 

でもでも、羽生選手が出るのと出ないのとでは、大会の雰囲気が全く変わってしまうのです。特にここ二年ほどはそれが顕著で、羽生選手目当てのファンが多く詰めかけて来ているからだとか、セキュリティが必要だからだとかいうのではなく、メディア関係者も、大会主催者も、そしてもちろん選手たちも彼の一挙手一投足に注目して、彼と一緒の試合に参加できることの興奮を味わっている。そんなワクワク感と良い意味での緊張感が漲っているからなのです。

 

前にも言ったと思うのですが、これは別段、羽生選手以外の選手へのディスリスペクトでも何でもなく、単なる事実を述べているだけ。

 

「ユヅルのいない大会は、クリープを入れないコーヒーのようだ」

 

という表現を日本以外の人々は使ってないかも知れませんが、思いは皆同じ。(日本でも使ってないか)

 

元から出ないはずの大会ではなく、出るはずなのに欠場してしまった大会ならなおさらです。

 

 

 

 

(そう言えばどっかでこの画像、使ったなあと思ったら、

昨年のGPFの時でした。。。)

 

 

 

ちなみにGPFの主催者であるカナダ連盟が、羽生選手の欠場によってようやくカナダ人選手が一人(=キーガン・メッシング)、参加できるようになってホッとしているだろう、というコメントがどこかに載っていましたが、それは「違う」と私は言っておきます。これまで何度もカナダ連盟が主催した試合(オータムクラシック4回、スケートカナダ3回)に羽生選手が出てくれて、どれだけ各部署のスタッフたちが「YUZURU」に感謝し、彼が会場に到着すると皆がテキパキと働き出し、どれだけ彼を大切に扱っているかを知っているだけに、そんな短絡的な考えを押し付けてほしくない、と思うわけです。

 

ほんと、そこんとこよろしくご理解ください。

 

 

ここからちょっと話が飛びますが、平昌オリンピックで羽生選手が二連覇を達成した際に、ジャッキー・ウオンさんが書いた記事:

 

Opining on Olympic men (part 2): Yuzuru Hanyu, no doubt, the greatest

 

を読まれた方は多いかと思います。(確か翻訳も出ていたようが気がします)

 

なぜ羽入結弦が "Greatest Of All Time" であるのかについて、ジャッキーさんが挙げている点は私も全く同感です。つまり2012‐2013年のシーズンのSP世界記録更新から始まって、ソチ五輪以降の圧倒的な強さ、数々の主要タイトルや度重なる世界記録の更新、四回転時代に入ってからの熾烈な男子フィギュア競技において最大の舞台で頂点に立つべき時に立ったこと、そして負傷を乗り越えての五輪二連覇。

 

成績だけを見てもこれほど長い間、これほどコンスタントにトップレベルを維持したことは驚異的だとジャッキーさんは言います。

 

しかし私は、羽生選手がGOATと呼ばれるに値する根拠として、上記の戦績や記録だけではなく、1)フィギュアスケート競技の目指すべき方向性と、2)純粋にいちアスリートとしても見習うべき姿勢を示した点も含めるべきだと思うのです。

 

クリケット・クラブで理想とされる「トータル・パッケージ」のスケートとは、高難度ジャンプはもちろんのこと、全てのエレメンツを高いレベルで揃えつなぎの部分もおろそかにせず、振り付けと音楽を融合させるものだと私は理解しています。シニア男子ではこれを全うしたのが羽生結弦とハビエル・フェルナンデスの二人で、2014年から2017年までの間、常にどちらかが世界タイトルを獲得し、2018年には羽生選手が五輪を制していることからも「トータル・パッケージ」の威力が伺えます。(ジャンプがなくてもダメだけど、ジャンプだけでも僕らには勝てないよ、と。)

 

羽生選手が凄いのは、新しいジャッジング・システムの下でも全くひるむことなく「ノーーー・プロブレーーム!」とでも言うかのように新しいコンビネーションに挑んだり、二回転ジャンプを外すような構成を組んだりしているところ。そしてその結果、一人だけSP100点越えを二度も果たして見せ、「トータル・パッケージ」は依然として有効なのだ、と示したところ。
 
今年の夏の終わりにクリケット・クラブで公開練習が行われた時、コーチたちは口をそろえて「ユヅにとって、+-5GOEの新しいジャッジング体制は有利に働くはず」と言いました。「そりゃあ自分とこのスケーターなんだから、それくらいは言うだろう」と思った人もいたかも知れませんが、単なるリップサービスではないことがGPヘルシンキとGPロステレコム杯であっさりと証明されました。
 
そうやって常に天井に向かって挑戦し、届き、突き破り、新しい天井を作ってしまう。真のアスリートの姿、その競技におけるリーダーのあるべき姿です。
 
羽生選手がスケート界に若手のホープとして登場した時に、何かすごい事をやってくれそうだ、という期待を抱かせてくれましたが、ソチ五輪の後も、次の五輪までの四年間も、そして平昌五輪の後までも先頭に立って、男子スケート界全体を鼓舞して来た功績はあまりにも大きい。
 
え、まだこの先があるの?じゃあ行ってみてよ。
あ、行っちゃった。
え、まだこれ以上やるの?じゃあやってみてよ。
あ、やっちゃった。
 
羽生選手をフォローしているファンは毎シーズン、くる年もくる年も、エンドレスにそう言い続けて来ました。
 
彼が競技に取り組む様はあくまで「RELENTLESS」(絶え間なく)、怪我や病気にもくじけることなく、淡々と、しかし熱く突き進んでいくから、我々はそんな彼をずっと見守って付いて行くのです。
 
そしてそんな我々を、羽生選手は置いてきぼりにするのではなく、いつも一緒に連れて行ってくれようとする。そこも彼を際立たさせている点だと思います。
 
2014‐2015年シーズンにデュアメル&ラドフォードが使った名曲「Un peu plus haut, un peu plus loin」じゃないですが、もう少し高く、もう少し遠く、と昇って行くのはそこから見た景色が美しいから。でもそれを独り占めするのではなく、他の選手にも、我々ファンにも、「ほら、こんなに綺麗だよ、みんな、見に来てごらん」と誘ってくれる。
 
(そういえば昨年のオータムクラシックでライストを解説していたケベックのコーチ、エリーズ・アメルさんが言った言葉にもありましたね。「彼は(観ている者を)一緒に連れて行ってくれる」と。)
 
彼が決して豊かではない体力を使い果たして、強靭ではない身体を痛めつけていることを知りながら、もう少しだけ長く、綺麗な景色を見せてほしいと我々が願うのは欲深いことであるに違いありません。
 
 
でもやっぱり、あと少し、あとほんの少し、と思ってしまうのです。
 
 
 
(2020年のワールドはモントリオール開催でっせ)