平昌オリンピック観戦雑感①:歴史的瞬間を目撃できたことに感謝(早速追記あり) | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

皆様

 

昨晩、無事に日本に戻って参りました。

 

おかげさまで出発前の心配をよそに、非常にスムーズに最初から最後まで運び(まあ、一つ二つくらいは躓きはありましたが)、とても気持ちよく旅を終えることができました。私の平昌(厳密には「江陵」)訪問記はまた別の記事にするとして、まずは男子競技を観戦した感想を述べたいと思います。

 

。。。と言っても、実は(2015年NHK杯時の)ブライアンではありませんが、

 

"NO WORDS"

 

というのが率直な気持ちです。

 

 

2018年2月16日・17日に羽生選手が成し遂げたことは、どんな言葉を使って語っても無粋、無駄、になるような気がして、果たしてブログを書くべきかどうかさえも迷いました。しかしやはり記録を残すことには意義があるだろう、と思い直した次第です。

 

いや、本当に行って良かった。

 

体調が今一つ優れない母を残し、兄や友人たちの協力を得て決行した韓国行きでしたが、歴史的な瞬間を現地で目の当たりに出来たのは一生の思い出となりました。

 

二日近く経ってようやく自分でも理解できて来たのですが、私はたぶん、17日の試合後、これまで経験したことのないような不思議な精神状態に陥っていたのだと思います。一緒に行ってくれたNちゃんが「黙ってよ、人が感動に浸ってるのに!」とウザがるほど、変に冷静で全く関係のない話をしたりしていたのですから。

 

でもこれはおそらく、ひとつの防衛本能というか、二日間の観戦を経て感情や感動の収納場所が満杯になったため、一時的にシャットダウンしていたのだと思います。

 

16日のショート・プログラムの日、私は二階の席で、たくさんの日本人ファンの方々に囲まれて観戦していました。最終グループの一番滑走で羽生選手が登場すると、ブワッと皆の祈りの気持ちと悲壮な覚悟で見守る気配が伝わってきました。

 

ショパンのバラードの曲が鳴り響き、羽生選手が動き出す。最初のジャンプが決まると「ああ、大丈夫だ」と確信しました。加えて、彼のあの独特な「竹とんぼ」のようにフワッと浮き上がって、回転軸の細い跳躍を「そうそう、これが見たかったんだ」と懐かしい思いで見ていました。

 

彼の一挙手一投足に会場が波打ち、共に鼓動する。似たような光景に遭遇したことがあるな、と思い、これはまさに昨年9月のオータムクラシックの再現なのだと気が付きました。観客を自分と一緒にどこかに連れて行ってくれるスケーター、魔術師・羽生結弦。

 

そこからはあっという間に最後のステップまで引き込まれ、彼が両手を開いて

 

「はい、これにて」

 

とでも言うかの如く、合図をすると、催眠が解けたように場内は一斉に興奮のるつぼに。

 

どれだけ羽生結弦というアスリートを心配し、心を痛めていた人々がいたのか、どれだけ彼が愛され、カムバックを待たれていたのか、が如実に伝わって来た一瞬でした。

 

我を忘れて嗚咽するファン多数。客席を埋め尽くす日本の国旗とユヅ・バナー、プーさんの雨嵐。リンク中央でゆったりと、観客の愛を一身に受け、飲み込み、堪能する羽生選手。

 

皆の期待に応えるべき時に応えるのが真のスターであるならば、彼はメガ・メガ・スター。

 

まさに唯一無二の存在。

 

。。。

 

 

うわー。ほらね、やっぱり何をどう言ってもベタでしょ?

 

もう、ヤケクソで続けます。

 

 

17日のフリーの日。

 

私の中では羽生選手の勝利を疑う気持ちはなかったのですが、それは彼の足に不安がなかったからではなく、彼の醸し出す気迫に勝てる選手がいないだろう、と確信していたからだと思います。

 

往年のピーク時のタイガー・ウッズが良い例ですが、その試合に出ているだけで他の選手が圧倒される、よっぽどのことがない限り勝てないだろう、と思わせることができるアスリートが稀にいます。

 

今シーズン序盤から全く試合に出ていないにも関わらず、体調が思わしくないことが知られているにも関わらず、いきなりSPで自身の持つ世界記録に肉薄するほどの演技を見せた王者の帰還に、脅威を感じなかったスケーターはいなかったと思います。その意味では、フリーの演技が始まる前から羽生選手にアドバンテージがすでにあった、という気がします。

 

 

そして肝心の演技が始まります。またまた最初のジャンプが決まったとたん、「よっしゃ」と安心して最後まで見ることができました。別の席で観ていたNちゃんが後に発したコメントで「なるほど」と思ったことですが、ピアノのお仕事をしている彼女から見ていても、あのジャンプは「完璧なタイミングで音楽にはまっていた」のだそうです。

 

そこまでの冷静さ、コントロールが羽生選手から感じられたからこそ、観ている側もすんなりと入って行ける演技だったのだと納得しました。

 

もちろん、途中で疲労と痛みからミスが出たことは知っていますが、あの時、あの状況では、気になりませんでした。演技が終わると、羽生選手の雄たけびと共に皆が叫び、歓喜の声を上げた。まだあと二人、フェルナンデス選手と宇野選手の滑走が残っているというのに、そしてスコアの計算上は全く手が届かない状況ではなかったというのに、すでに彼の勝利を感じ取らなかった人がいたでしょうか。

 

その後、何度もテレビでこの試合の模様が再放送されていますが、おそらくリアルタイムで感じたあの「怒涛のような勢い」は再現できないでしょう。あの場の空気は羽生選手に完全に制圧され、抗いがたい気流となって、ただただ必然的な結末へと向かって流れていた。そんな感覚に包まれました。

 

(コメントを頂いての追記:↑の「リアルタイム」は「再放送」との対比であって、必ずしも「現地で」という意味ではありません。テレビやライストでも、とにかく生中継であれば、感じられたことではないかと推察しています!)

 

 

演技の細かい点、羽生選手が試合前、試合中、試合後に語った言葉、様々な国の解説者たちがどのようにこの平昌五輪の大会を描写したのか、についてはすでに無数のメディアや個人のブログ記事やツイッターによって論じられ、拡散されています。私がここで付け加えたいことは思い当たりません。

 

なのでこの記事では私の感じたことをなるべくシンプルに書くことにしました。歴史的な瞬間に立ち会えたことにたただただ、心から感謝して、私の「平昌オリンピック観戦記雑感その①」とさせていただきます。

 

 

この後の記事ではペア・フリー競技について、男子競技全体について、会場やカナダ・オリンピック・ハウスでの出会い、そしてNちゃんと私のミーハー珍道中など、別の角度から観戦記を続けていきます。

 

よろしければお付き合いください。