スポーツとドーピングについて考える | 覚え書きあれこれ

覚え書きあれこれ

記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

昨日のIOCのロシア選手団除外決定を受け、スポーツにおけるドーピング問題について色々と考えさせられた数日間でした。

 

普段は皆様ご存知のように、あまり固いテーマの記事は書かない私ですが、今日は幾つか、自分も思い出したり、参考にした資料や動画をご紹介したいと思います。

 

まずは1988年のソウル五輪で、ほんの三日の間にカナダ国民を誇らしさの絶頂から失望のどん底にまで引きずり下ろしたベン・ジョンソンの100メートル走ドーピング・スキャンダル。

 

 

 

 

この事件がきっかけとなり、カナダではスポーツの闇の部分にしっかりと目を向けざるを得なくなり、ドーピングに関して一般人も多くのことを勉強することとなったのでした。政府の特別調査団が結成され、The Dubin Inquiry として知られる公開ヒアリングが91日間にも渡って行われました。私も連日テレビでフォローしたのを思い出します。1990年に詳細な報告書がまとめられ、以後、カナダは反ドーピング運動に関してリーダーシップを取るようになります。

 

当時、ドーピングに手を染めた理由を問い詰められたジョンソン、およびコーチのチャーリー・フランシスと担当医師のジェイミー・アスタファンたちは、「皆がやっている中で、ドーピングをやらなければ勝てないから」という正当化をしましたが、2008年にESPNから発表されたドキュメンタリー「9.79*」の中では、ジョンソンとソウルで競い合った7人のランナーの内、(カール・ルイスを含む)5人までが後にドーピング違反で摘発されたり、疑惑をかけられたりしていることが判明します。

 

 

 

 

この事件から明らかになったのは、ドーピングは厳密に言うと大会中のパフォーマンスを上げるため、というよりも、大会に向けての厳しい練習に耐えて体力や筋力を付けるために使われるもので、しかるべきスケジュールに沿って行えば、検査ではほぼ引っ掛からない、ということでした。当時は大会中にしか検査が行われていなかったので、四週間前にドーピングを終えておけば体内から検出されない、というのがフランシスたちのチーム内での常識だったようです。ジョンソンはそれを守らなかったため、陽性反応が出た、ということでした。

 

国家ぐるみのドーピングで思い出されるのは1976年のモントリオール五輪における東ドイツの選手団。特に水泳競技と陸上競技に出場した女子選手たちに疑いがかけられました。30年余りが経ち、ベルリンの壁が崩壊した後に公開された資料や、元選手たちの証言をもとに作成されたドキュメンタリーがこちらの "Doping for Gold"です:

 

 

 

 

1970年代から東西ドイツが統一されるまでの間、小学生の内から身体能力を見出され、国を代表するアスリートに育て上げられた人たちは10,000人を下らないと言われています。しかし国際大会のドーピング検査で失格となったのはほんの少数。この場合もコーチの計算違いや、「欲を出して」ギリギリまでドーピングを止めなかったことが理由だったと言われています。つまり組織をあげて綿密に選手たちの薬物摂取を管理し、大会前に独自の検査を実施して体調を把握しておけば、大会中にドーピング違反はなかなか検出されない、ということが分かります。

 

ただ、選手自身への影響は確実に及んでいました。容赦ない薬物投与を強要されて、すっかり体調を崩してしまったり(時には突然死を引き起こす場合もあり)、女子アスリートにはホルモンのアンバランスで男性の身体的特徴が表れるようになりました。下の写真はドキュメンタリーにも登場するハイジ・クリーガーさん。長期間のステロイドの投与によって性転換手術を余儀なくされ現在はアンドレアスと名前を変えています。

 

 

 

Sydney Morning Herald より

 

 

最後にご紹介するのはNeflixで見ることのできるキュメンタリー映画、「Icarus」です。2017年に発表されたこの映画は、まさに今回のロシアのドーピング・スキャンダルを題材にしています。

 

作者のブライアン・フォーゲルはそもそも全く別のテーマ、すなわちアマチュア自転車競技におけるドーピング検査をかいくぐるのがいかに簡単なのか、を自らを実験台に使って映画を撮ろうとしていました。ところが、その実験を通してひょんなことからロシアの反ドーピング機関所長グリゴリー・ロドチェンコフと知り合い、いつの間にかどっぷりと深みにはまって、ロドチェンコフのロシア脱出とソチ五輪における組織的ドーピングの実態暴露に手を貸すことになります。(そのあまりにも大掛かりな仕組みに関しては日本のニュースでも取り上げられているので省略します。)

 

このドキュメンタリーで描かれていることを全て、鵜呑みにするわけには行かないと承知しています(芝居がかっているシーンは多い)。しかし撮影がソチ五輪後まもない2014年春頃に始まっており、2016年のロドチェンコフ脱出劇までの一連の出来事をリアルタイムで追っているところはかなり生々しい。また何と言ってもロドチェンコフがソチ五輪開催中は、実際に政府の命を受けてドーピング検査の指揮を執っていた人間であったことは間違いない(ソチ五輪終了後には表彰もされている)。その彼が身の危険を感じながらも(ロシアに残った彼の同僚二人が「心臓発作」で死んでいる)提供した資料や証言には一見の価値があります。

 

 

 

 

東ドイツの場合と同じく、大きな組織の厳しい管理の下でドーピングが行われている場合、その組織に所属している選手が大会の検査で引っ掛かる可能性は低くなるでしょう。ロドチェンコフの証言にあるように、組織によって検査の結果自体が操作されているとなれば、それ以前の問題ですが。

 

となると、ドーピングしている選手がいるとか、ドーピングのシステムが存在するとか、はどうやってばれるのか?

 

コーチあるいは選手自身による薬物摂取のミス、偶発的な荷物検査で薬や注射器が見つかる、あるいは内部告発、くらいしかないでしょう。

 

こう言ってしまうとWADAの代表する反ドーピング機関がいつも後手後手に回っている感は確かにあります。ドーピングの技術の方が常に検査の技術の一歩先を行っているとか、反ドーピング機関の人手や資金が追っつかない、という事も理由だと聞きます。

しかしだからと言って取り締まるのは無駄、ということではないでしょう。巧妙な犯罪者はどうせ警察の目をくらまして、追っ手をかいくぐって逃げることができる、だから追いかけるのは諦めよう、という事が許されないのと同じだと思います。

 

とにかく、どんな経緯によって摘発されたとしても、ドーピングが判明すれば罰せられなければなりません。組織レベルでシステム化されていることが分かれば、組織レベルでの制裁が加えられなければなりません。全てのアスリートの健康を守るためにも、クリーンに戦っている選手たちの努力に報いるためにも。

不正をしていないのに連帯責任を取らされるロシアの選手は確かに気の毒ですが、クリーンであることを証明できる場合は参加の道が残されています。そして私はそれ以上に、今回のIOCの決定が世界中の多くの選手たち(日本のジャンプの葛西選手も含めて)に評価され、歓迎されたことに注目したいと思います。
 

何年もかけて一心不乱に練習してきて、ようやくつかんだ大舞台で不正を犯した選手に負けた場合、その不正が何年か後に判明して成績が是正されても気が済まない、というケースはたくさんあります。しかし時間が経ってからでも是正されるのは、まだよい方かも知れません。

 

最初にご紹介したベン・ジョンソンのドキュメンタリーの中で「一般の観客には分からなくても選手同士は誰が何をしているのか、たいてい分かるものだ」というコメントが何度か出てきますが、不正の証拠がなければ泣き寝入りするしかありません。自分が獲るべきであったメダル、乗るべきであった表彰台の段、聞くべきであった国歌。大会後も得られるはずであった支援金、名声。それらを手に出来なかった悔しさを一生、心の中にしまったままで生きていくことになります。

 

 

1976年モントリオール五輪の自由形200mで東ドイツのエンダー選手に次いで二位になったアメリカのババショフ選手(左)

 

 

自分の子供が、応援している選手が、その様な目に遭ったとしたら、どんな気持ちでしょうか。

 

そのようなことに思いを巡らせました。

 

さあ、もうすぐJGPF、GPFが始まります。

 

会場には来年のバンクーバーでの大会の宣伝ブースが出ていると聞きますが、皆さん、ぜひ訪ねて行ってみてください!!

 

スケートカナダ・広報担当のエマちゃんや営業担当のリサさんが詰めているはずです。カーマイケルさんも名古屋に到着しています。

 

現地情報をお待ちしています!