応援したくなるアスリート:国別対抗の羽生選手を見て思うこと | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...




ちょっとの間、記事をアップしていませんでしたが、国別対抗戦はフォローしていました。こちらではすっかりフィギュアシーズンが終わったかのような雰囲気で、テレビ放送もなく、主に日本からの情報に頼ったり、スリングボックスを駆使して男子フリーのテレビ朝日の中継を見たりしました。


なのでちょっと日本のファンの皆さんとはこの大会に対する興奮度に差があるかも知れませんが、私の感想を書きたいと思います。





まずは、羽生選手、長いシーズンお疲れ様でした。


色々あった一年でしたが、オリンピック・シーズンの後、チャンピオンがそのまま現役で続けて大会に出場したのはそれだけでも稀なのに、数々の故障やアクシデントや病気や手術まで乗り越えてよく最後まで戦ってくれました。


昨シーズン、絶対王者と誰もが信じて疑わなかったパトリック・チャンを


徐々に追い上げて、


追いつき、


追い越し、

(ここは映画「ジョーズ」のサントラをBGMにお願いします)


そして最後は競り勝った様子もゾクゾクさせてくれたけど、


今年の戦いぶりもそれに負けないくらいスリルに満ちていました。


終わってみれば

「あーだから私はこの選手を応援するんだ」

という感想がやはり残ります。




国別対抗戦をどういう大会として捉えるか、は人さまざまだと思います。冒頭でも言いましたが、日本ではなく海外から見ていると、選手たちがシーズン最大の目標としていた世界選手権も終わり、ややもすればお祭り的な要素の濃い大会。先日、シンクロの大会で話をしたカナダの連盟関係者は「(国別は)日本のスケート・ファンのための大会で、カナダから行く選手たちはいつも熱い声援を送ってくれる日本の皆さんに感謝の念を込めて滑りに行く」と言っていました。

ところが今年は、少なくとも日本の代表チームに関しては少し違ったのではないかという気がします。例年、この大会に出ている日本の選手たちがどういう気持ちで挑んでいるのか、私はあまり気を付けて見て来なかったので分かりませんが、今年は羽生選手が参加することによって一気に雰囲気が引き締まったような印象を受けました。遊びじゃないんだよ、俺は本気で試合に挑むんだから、といったオーラが彼からガンガンと出ていたから。



とはいえ、世界選手権で銀メダルに終わったことが悔しい、その悔しさを晴らすのは早いほうが良い、シーズンの締めくくりとして最高の演技をする自分を見せたい、といったような事を何度も言う羽生選手を、私は最初、少し冷めた目で見ていたことを認めます。

国別でノーミスの演技をしたからと言って、ハビエル・フェルナンデス選手に今年一番の大切な大会で負けたことは決して覆らない。一回勝負、と決めたのに、それに負けたからと言って「ごめん、今のは準備が出来てなかったら、もう一回やらせて」というのは通用しない。なのにどうして彼はこんなに気合いが入っているのか、と。

でも、ショート・プログラムが終わり、応援席に向かって手を合わせる羽生選手の映像を見て、徐々にその見方が変わって行きました。

男子の競技に出場しているのは世界選手権で4位に入ったジェイスン・ブラウンなど、ベストスコアが羽生選手のそれとは20ポイント以上離れているスケーター達。大きなミスさえしなければ圧勝するのが当然といった状況でしょう。プレッシャーのあまりない中で、落ち着いて滑れば両方のプログラムで今シーズン最高のパフォーマンスを披露し、総合で300点台をたたき出す可能性は十二分にあった。

しかし、羽生結弦はそんな事で満足するようなアスリートではない。自らに負荷をかけ、真剣勝負の体裁を整えていく。他の人が跳び箱7段までにしか挑戦しないのだから、8段楽々と跳べる彼はそれだけで勝てるのに、「すみません、10段でお願いします」と言う。


(いや、彼なら「モンスターボックスで」と言ったかも知れない)



私が羽生選手に感心し、応援したくなるのはそういう所です。


皆が楽しくやっている中で、一人、ストイックでカッコいい、ということではありません。


もしかしたら公衆の面前でとんでもなくカッコ悪いことになるかも知れないような状況を自ら作り、結果を恐れずに全力で挑む、という姿に心を動かされるのです。


例によってちょっと脱線しますが、

ずいぶんと昔、スポーツ心理学の本を読んだとき、とても面白い記述に出会って、息子の競技生活に際してもさんざん、繰り返して言って聞かせました。


アスリートが大会や試合中、厳しい局面に遭遇したときの「陥ってはいけない心理状態」には、

1)怒りによって平静を失うこと、

2)恐怖に縛られて何もできなくなること、


でもそれと同等に悪いのは

3)逃げ道を用意して最初から本気で挑まないこと


があるそうです。


1)と2)は怒りと恐怖を感じている分、まだ試合に感情移入しているけれど、

3)はわざと感情を切り離して、「こんな試合、どうせしょーもないし」とか「どうせ勝てないし」などと言い訳を作り、本気で立ち向かっていない。一見、潔く負けを認めているとも思われるが、実際は最初から勝負を放棄している分、一番タチが悪い、とも書いてありました。



このように自ら闘争意欲がないように考えたり、振る舞ったりするのを英語では「TANKING」と言います。


で、羽生選手に話を戻しますと、どうやら彼の辞書にはこの「TANKING」という言葉は存在しないらしい。


人に無謀だとか、熱すぎるとか言われようが一切構わず、いつでも全力で挑む。

逃げ道を作るどころか、通って来た橋を戻れないように、あえて燃やしたりしてしまう。

そして挙句の果てに目標に届かず、「だから言わんこっちゃない」と思われても、なお悔しがっていることを隠さない。


あのSPの後の映像からそれを感じ取りました。



あーあ、これはまた、来年も応援してしまうんだろうなあ




と、一人で苦笑した次第です。







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と、ここまでちょっと真面目に記事を書いたのですが、今朝の母との電話のやり取りがあまりにも傑作だったので続けて書いてしまいます。


私の(80才近い)母は皆さんご存知の通り、羽生選手のファンですが、ことフィギュアスケートに関してはあまり競技のルールなどを把握していないようです。


「羽生クン、良かったわね。やっぱり綺麗だわ、スタイルも良いし、なんか雰囲気があるわね」


「うん、フリーの演技良かったね。」


「ところであのフリーってなんでいっつも同じのでするの?衣装も同じだし」


「そりゃあ、女子ではいちシーズンの内、たまに衣装変えたりする人いるけど、男子ではあんまりそういうのいないね」


「いや、そうじゃなくて、演目も同じじゃない」


「え、だってふつうはシーズン通してショートとフリーは同じプログラム滑るでしょ」


「あらそうなの?
変えたらいいのに、色々滑ったら楽しいでしょ」


「。。。。」



なんか真剣にこの点について母に説明するのは面倒くさくなって話題を変えました。