寄り道ついでに:Gifted Children の三つの特徴 | 覚え書きあれこれ

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記憶力が低下する今日この頃、覚え書きみたいなものを綴っておかないと...

羽生結弦選手の2012-2013年シーズンについて記事を書こうと思いつつ、ついつい寄り道をしてしまっています。

でもこの際、もひとつだけ:

最近、見つけたEllen Winner という心理学者の Gifted Chldren:Myths and Realities という著書について書かせてください。


日本語訳も出ているようです。


ウィナー先生
はボストン・カレッジの心理学部の教授です。



この本のテーマになっているGIFTED CHILDREN ですが、「才能のある子ども」と単に訳してしまうとちょっとニュアンスが違います。

日本でも「ギフテッド」というウィキペディアの項目があるように、なかなか訳しにくいのですが、なにせ

「(何らかの分野で)突出した才能に恵まれた子」という感じです。

さて、序章の中でウィナー教授が挙げている Gifted Children(以下「GC」) の特徴が三つあります。

それが非常に面白かったのでご紹介します。

1.PRECOCITY: Gifted children are precocious

早熟であること。

GCはそれぞれの得意分野において、学習し始め、それを極める(マスターする)のが平均以上に早い、そして速い

2.An insistence on marching to their own drummer
マイペースであること。

GCは習得のスピードもずば抜けているが、習得のしかたにおいても質的な違いを見せる。通常のルールを無視して、自分で学び方のルールを工夫し、ペースも自分なりのものを固持する。

好奇心に突き動かされ、ひとつ何かを達成するごとにそれがモチベーションとなり、また次の段階へと進みたがる。周りの大人からのサポートに頼るわけではなく、非常にクリエイティブな方法で学習過程における問題を解決する。

3.A rage to master
GCは興味を持った分野を「極める」ことに対して、「渇望」を覚える。

RAGEとはふつう、「激しい怒り」とか「熱望」とか訳しますが、要するにこれと思った分野、それが数学であろうが、音楽であろうが、はたまたスポーツであろうtが、とにかくマスターしたいという激情を抑えられない、まるでそれを「渇望する」ような感じなのだと思います。

しかもGCの中でもウィナー教授は「PRODIGY」を最も極端なケースとして特記しています。

「天才」とも訳せますが、PRODIGYは通常、子どもを指します。なので「神童」に近いのかな?

つまり

何かを学習するにおいて、大人の導きを得て、非常に良い結果を出す優秀な子

その上を行くGIFTED CHILD

その極端なケースがPRODIGY

だということです。

ここまで書けば皆さん、私が次は何に言及しようとしているかお分かりかも?

そうそう

羽生結弦くんのスケートに対する取り組み方は、GCの三つの特徴を私に思い起こさせるのです。

1.彼が早熟であることは議論の余地がない。

2.マイペースであることも多分、間違いないでしょう。

彼がクリケットクラブという素晴らしい環境を得たことが、移籍二年目にしてオリンピックの金メダルや世界選手権のタイトル獲得という結果につながったという見方はできます。

しかし、クリケットクラブは、北米の大学(あるいは学校教育全般)がそうであるように決して生徒を甘やかす所ではないと私は思います。

空調が完備されたリンク、ジム、ヨガやピラテスのクラス、素敵なラウンジ、などなどがあることは数々の映像などでも分かりますが、だからと言って全てが至れり尽くせりで、スケート選手にそれぞれアテンダントが付いて一日のメニューを示し、「はい、次はこちら、その後はこちら」と導いてくれるわけではないでしょう。

自分から率先して、しっかりと要求を口にして、コーチやスタッフにそれを伝えて初めて与えられる。

結弦君はまだ17才の時に、英語でのコミュニケーションもままならない状態で、その中に入って来ました。最初のシーズンは新しい環境で新しいスタッフに囲まれ、暗中模索の日々だったと思います。

でも、2シーズン目に突入する頃にはすでに自分で自分には何が必要なのか、どうすればそれが得られるのか、を発見していた。周囲からの雑音に自分のペースを乱されず、冷静に分析を重ね、どうすれば自分の求める成果を挙げられるのかを見抜いていたのです。


(ところでこれはまた別の機会に書きたいと思いますが、忘れてはいけないのは、クリケットクラブが、何はさておき、「会員制のクラブ」だということです。高額な会費を払って入会したメンバーのための憩いや社交の場であって、その主目的はエリート・スケーターを育てるトレーニングセンターではない。ブライアン・オーサーやトレイシー・ウィルソンはここでスケート部門を任された当初、まずは会員にスケートを教えることから始め、次第に世界中から選手が集まってくる充実したプログラムを創り上げていったわけですが、名前の表す通り、スケート以外にもクリケットやカーリングを楽しむ会員がたくさんいます。そういった点でも厳しいことはたくさんあったと想像されます。)


そして何よりも3.の「RAGE TO MASTER」


私は時々、ちょっとふざけて羽生選手を「戦闘型スケーター」と呼んだりします。

まあ2011-2012年のロミオで最後のステップの前で吠えて見せたりしたのが発端ですが

(彼以外にこうやって試合の演技中に激昂する選手っていたっけ?)



最近では

羽生選手がソチで、良いフリーの演技ができなかったのに優勝したことへの落胆を隠せなかったこと、

あるいは2014年の世界選手権では自分のSPの演技に「怒り」を感じて、それをフリーへの起爆剤に代えたこと、

などからも分かるように、何とも激しい感情を持った選手ではないでしょうか。

これを傲慢だとか、かっこつけだとか解釈するのはしょせん、凡人の感覚なのであって、おそらく羽生選手はそんな意識は全くなく、単にこれらの失敗が自分の定めたレベルに到達できなかったことへのフラストレーションとなり、スケートをマスターすることへの「妨げ」であったことが許せなかったのだと思います。

どんな分野においても才能を持つ人、特にそれが若い子であればあるほど、我々は「もっとこうしたら良いのに」とか、「これを与えたらもっと伸びるのに」と世話を焼きたくなりますが、ウィナー教授の説によると、本当に突出したGifted Children や Prodigy の場合はそういったことは本当に「よけいなお節介」だということになります。

彼らには「極めること」しか頭にない。そしてどうすればそこに到達できるかも直感的に見えている。

もちろんそれなりの環境が整っていなければ難しい場合もあるけれど、周囲が良かれとおもって与えるアドバイスをいとも簡単にバイパスして、自分たちのやり方を編み出したとしても、それを阻止しようとしてはけない。


羽生選手も、スケートに対する RAGE TO MASTER  がある限り、まだまだどんどん昇り詰めて行くでしょう。


そして誰も彼を止めることはできない。


我々に出来ることは、彼の邪魔をせず、自由に羽ばたかせることくらいかも?


...などと考えさせられる著書でした。