夏前からつい先月までけっこうボーっと暮らしていたのですが、なんだかいきなり忙しくなってきました。(というわけでブログもおろそかになってしまっていました)
実は今月末から来月中旬にかけて、色々な講演をすることになっています。
そのテーマがほぼ全て、異文化コミュニケーションとか国際結婚とか海外で育つ子どもについて。
まあ私の専門分野なので当然なのですが。
そこでまた必死こいて専門書を調べなおしたり、データを更新したりしています。
私がフランスで育ったということは何度かこのブログででも触れてきました。
楽しかったこと、悲しかったこと、色々とありましたが、全てが今の私の有り方に影響を及ぼしているのだと思います。
しかし今日、読んだ本の中に「あー確かに」と思うような箇所があったので、それについて書きたいと思います。
日本では外国で育った子どものことを「海外子女」と言います。日本に帰って来た時点でその子たちは「帰国子女」になります。
アメリカ、というよりも英語圏ではそういった子供たちのことを「サードカルチャーキッズ (Third Culture Kids)」と言う呼び名でくくることが最近、多くなってきました。
「グローバルノマッド (Global Nomads)」と呼ばれることもあります。
私が今回、読んで共感したのは ROBIN PASCOE というカナダ人のジャーナリスト・ライターの書いた 『RAISING GLOBAL NOMADS』という、国際移動をしながら子育てをする親のための指南書です。
その中で、アイデンティティの形成について書かれた箇所(ゲストライターのバーバラ・シェッティ担当)があるのですが、
色んな国を行き来しながら育つ子どもは、そんなライフスタイルが自分に将来、どんな影響を与えるかについて考えているわけではない
悟るのはずっと後になってからだ
というような事が述べられていました。
子どもは(年齢が低ければ低いほど)「今」を生きることに精一杯ですね。大人は過去を振り返って教訓を得たり、将来を見据えて行動を計画しますが、子どもはそんなことをしません。
私が修士論文で帰国子女をテーマにしたとき、自分の兄をインタビューした事がありますが、その時、彼は
お前はアイデンティティだとか何だとかについて聞きたいみたいだけど、そんなのこじつけやで。
フランスにいるとき、そんなこと考えて生活してへんもん、別に、自分が日本人だとか、フランスにいて違和感あるかとか。
的なことを言ってました。
そうですよね。
しかし、やがて子どもは成長して、ある日、自分の海外生活の影響について考える日がやってきます。そんなきっかけとなる日をシェッティは「Encounter(遭遇)」と呼びます。
うちの息子たちは小さい頃はカナダで、その後しばらく日本で育ち、そしてまたカナダに戻ってきました。その間は自分たちが何人だとか、両親が違う国の出身者だとか、あまり深くは考えずに行った先々でかなり「自然に」暮らしていました。
ところが思春期を迎え、改めて日本に遊びに帰った折に二人ともその「遭遇」を経験したようなのです。
今までは自覚していなかったのだけど、
どうやら自分たちは日本でもカナダでも「完全には内部の人間じゃない」
かといって「完全なよそ者でもない」
ってことに気づいたらしいのです。
この位置づけはどう表現したら良いのか。
うーん、親としては非常に複雑ですね。
そしてその戸惑いに対して、取った態度が二人二様。
長男は昔から変に諦めが良いというか、自分が欲していても手に入らないものに関しては「要らない」と拒否反応を示します。
というわけで
「完全な日本人になれないなら日本との結びつきは最低限にとどめる」
と言わんばかりにもう二度と日本には行けなくても良いと言います。
ついでに自分が外見的にアジア人っぽいところがあるのも迷惑だそうです。
次男は反対に、日本との結びつきを強固にしているように見えます。
日本や日本的な物全てに対して、ちょっと美化しているような傾向さえあります。
自分が100%日本人ではない(まあDNA的にもそうですよね)ということでさらに日本への思慕が募るのでしょうか。
ちょっと心配だなあ、と思う親としての自分がいる反面、興味深いなあ、と思う研究者としての自分がいます。
そういう私自身、やはり海外で育った体験に一生、左右されて行くのだろうなとやっと腹を括ったのは大学院の頃でしょうか。
外国人と関わりたいとか、外国で暮したいとか思っていたわけではないのに、
どちらかというともうずっと日本人として日本で暮らしていたいと思っていたのに、
気がついたらフランス語の通訳をしたり、カナダに留学にすることになっていました。
あーもうこれは仕方ないな、と。
極めつけは絶対に外国人と結婚しない、って言ってたのに、国際結婚してました。
わはは。
もうこうなったらそれをネタに仕事に結び付けるしかない、ですね。