書くが、まま | これ観た

これ観た

基本アマプラ、ネトフリから観た映画やドラマの感想。9割邦画。作品より役者寄り。なるべくネタバレ避。演者名は認識できる人のみ、制作側名は気になる時のみ記載。★は5段階評価。たまに書籍音楽役者舞台についても。

『書くが、まま』(2018)

監督・脚本 上村奈帆

 

音声がひどい。一定してないので聞き取れなかったり、逆にうるさかったり。劇場、あるいはそれなりの音響システムがある所で観ればいいのかもしれないけど、自宅で観るにはひどすぎた。字幕が欲しいレベル。

 

自分の思ってることを言葉でうまく伝えられない中学2年の松木ひなの(中村守里)は、その思いを詩のようにノートに書くことでしか気持ちを表せない。おとなしくてしゃべらないので、クラスでいじめの対象にもなっている。ひなのはとうとう保健室通いになってしまう。

保健の進藤先生(長谷川葉生=はせがわよう)は昔、ひなのと同じひとりぼっちだった時期があり、親身になってくれる。やがて進藤先生だけには心を開くようになるが、進藤先生と担任の山野先生(大根田良樹)の不倫が発覚する。

ひなのの母親にも彼氏がいて、複雑な思いをしていたこともあり、ひなのは進藤先生を避けだす。でも、姉(富岡英里子)から教えてもらった盛岡のバンドSWANKY DOGSの楽曲に力をもらい、今度は自分が窮地に立たされている進藤先生を助けようと行動する。

 

ちょっと意味わからない。いじめが第一の問題なんではなく、まず、しゃべれないことが問題となっている。なのに、ひなのをいじめる二人の女子(松原瑚春、梅田凛乃)の行動がものすごくうまく描かれているし、その二人とひなのの間で揺れる女子(渡邉空美)や、いじめを見逃していることに罪悪感を持っていそうな一人の男子(佐野代吉)にも焦点をあてている。

姉とは接触があるが母親は姿がない。わだかまりがあるのは母親の彼氏の存在であり、姉がとりもつ必要性を感じない。ワンクッション置いたつもりだろうが、中学生の子供と直に話ができないことの方が疑問。バンドを絡ませるのだって母親で充分できる。母親とひなのの関係に真正面から当たった方がわかりやすい。

SWANKY DOGSに自分の思いを歌にして欲しいと行動するのも、先生と一緒に歌おうと約束したからという理由があるにしても、楽曲を依頼しそれを引き受ける流れに無理がある。その以前からの何かしらのコンタクトがあってこそ歌詞も生きるし説得力も増すのに。

 

まあ…、いじめがどうとかではなく、もっと大きくマジョリティとマイノリティを描いているのかもしれない。個を大切に、自分を自分で認めてあげることが大切、その上で他人を受け入れようというようなことなのだろうな。

 

良かったのは、進藤先生の「書くことは誰にも邪魔されることじゃない」だからひなのに書くことをやめないでという台詞。同じようにひなのは進藤先生に、「心も邪魔されることじゃない」だから山野先生を好きならそのままでいいという台詞。内心の自由。

 

★★