みなさま、ごきげんさまです。
小島万由美 です
いつもご訪問、本当にありがとうございます
昨日も日中は、なかなかの暑さでしたっ
あともう一息、頑張りましょうねっ
さて、断捨離も少しずつではありますが
順調に進み、なんとなく部屋の様子も
以前よりは随分とスッキリしております
小島家。
悪くないでしょ?(^_^)v
“きれいなリビング” は3日と続かな
かったんです
だから、すごくうれしいっ
と、思った反面、ふと、
この調子でどんどん片付いていくのが、
なんだか物足りない…、さびしい…、
という感情もあるのに気づきました。
これ、ダメですよね。
でも、何なんでしょうね
不思議です~。
ワクワクのはずなのに
よくよく、自分の気持ちを観察してみると、
これは、 『 居着き 』 なのではないか
と思うのです。
握りしめていたモノを手放したら、居着いていた
足元が揺らいで急に倒れそうになって、不安を
感じる。
例えば、子育て。
子供に手が掛かって、大変。
早く手が離れたらいいのに…。
と言っていながら、実は手を離せないのは
親の方だったり。
例えば、夫。
夫は私がいないと何もできいない。
と言っていながら、あれこれ世話を焼き、
夫に依存しているのは実は妻の方だったり。
では、私の場合。
家事をちゃんとやらなくてはいけないから
自分の時間が無い、あるいはやりたい事が
思い切りできない…。
と言いながら、実際は積極的に前へ進む事
を拒んでいたのは自分自身だった。
と、いうことではないかと、推測するのです。
断捨離でいうところの、『ゴミ置き場』、『物置』
状態の家が、家事という大義名分に自分を
居着かせるための言い訳であった気がします。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
『50歳からラクになる 人生の断捨離』
(やました ひでこ著) より
※あとがき部分
おわりに ― 人生の変化のときに
(略)
私の人生、違う道を選べるのかもしれないと。
そして、その心許ないかぎりの可能性に自分を
委ねたとき、人は断捨離に出逢う。
そんな気がしてならないのだけど。
出逢った後は勇気を出して。
出逢ったかぎりは覚悟して。
そんな勇気と覚悟が、わたしたちに「手放して」
いくとこの意味を繰り返しといかけてくるかのよう。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
私の「手放す」意味は、現状への甘えからの
脱却、ということなのですね。
マイナスの感情に気づけた事に感謝し、
勇気と覚悟で、また前へ進もうと思います。
そして、先の あとがき はこんな言葉で
締めくくられています…。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
断捨離の醍醐味
人生の醍醐味
この醍醐味を、これからも存分に味わいつくして
いこうと思う。
そう、もちもんたくさんの断捨離仲間とともに。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
同じ思いで断捨離に取り組む仲間が
いることは、心強いことです。
不安や、期待もあって当然。
だから、断捨離。新陳代謝。
ですね。
今日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました
ぽちっと、うれしいです(*^_^*)
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