放デイの人に利用時間のことで相談していたことがあった。
だから夫に、
「私は食事の支度で出られないから、あなたが送迎の対応して。
そう言う重めの事案があると大抵責任者のNさんが送迎するし、今回もNさんだから、多分その返事があるから、話聞いて覚えて持って帰ってきて」
と伝えた。
そして話を聞いて帰ってきたら夫は一旦全て忘れて、思い出そうとしてパニックを起こす。
夫:
「話を聞きながら何かをすべきと思いませんでした」
「話を聞き終わったときに、全て忘れました」
「話を聞いている間にそれを忘れていき、最後の言葉だけ覚えていました」
「話は覚えていましたが、”話を聞いてきて”と言われたので聞いただけで終えました」
「先生の話を聞いている間に、妻から言われたことを思い出しました」
何言ってんのずっと。
そもそも「放デイのお迎えに出て先生の話を聞いてきて」と言った私が悪い。
夫には適時柔軟な対応ができないと言うことはもう覆らないので、もうどうしようもなかったとは思う。
おまけにデイの先生が、遠回しにではあるがあからさまに、「奥様を呼んでほしい」と言っているのに夫は一切気づかない。気が回らない。察する訳がない。
乱暴な言い方をするけど、❝遠回しの❞、❝あからさま❞なんて、健常者かそれ以外の一部の人にしか実現できない高等技術だから。
こう言うことへの互換性がある人には、ボーナスを支給してほしいくらいの高等テクニックだから、こんなことでASDの夫を責めても仕方がない。
分かってはいる。分かっていてもやはり腹が立つ。
「たださ、社会で生きていたら、たとえばあなたの仕事柄でも、顧客や同僚との応対中に「上司や会社に指示を仰いだ方がいい」とか「会社と相談すべき案件」だとか「担当者に繋ぐべき事案」などと判断する場面あるでしょう???ないの???」
って私が聞いたら、
夫「自分にそう言う判断はできません」
私「じゃああなたは普段顧客への対応はどうしているの?自分にどれくらいの権限があるとか、事業上のルールを把握してないの?」
夫「権限は把握してません分かりません。ルールは把握していますが大抵俺の説明で客は納得しないのですぐに社長に繋ぎます」
私「うわー社長大変だね」
夫「うん」
もうだめだ。
言われたことも満足にできない。
それを超えた事象が起きたときに判断することもできない。
でも結婚当初、夫はよく言っていた。
「俺言われたらやるで」
これは私の経験則でしかないけど、「言われたやる」って言ってる奴がいざ指示されたときに、周囲が納得するだけの仕事が出来た試しがない。
実際に頼んだら指示待ちして、考えることもしない考えるだけの材料も無いから放心してる。
やると言いながら、その仕事に少しも興味がない。
だから指示をもらっても情報を集約させることも無いし、想像力をもって仕事を向上させることができない。
指示されたときに仕事が出来る人間は、言われたときにできるように準備や訓練を済ませている。
その仕事に興味をもつ為の努力もしているから、やれと言われる前に「やれます」「やりましょうか」と言うアクションも起こす。
「完全介護で慣れるまで手取り足取り教えてもらいながらの仕事」を期待して、野放図で突っ立ってる奴に、誰が仕事を任すんだよこのバカタレ。