一生続くビン底メガネとコンタクト。お金はかかるけれど・・・

 

 

「私、目にいったいいくら使ってきたんだろう。」

50代になってから定期的に通っている眼科の待合室で、ふとそんなことを考えた。

 

私はこれまで大きな病気をしたことがない。
手術も入院も経験ゼロ。
お世話になる病院といえば、眼科か皮膚科くらい。
中でも人生でいちばん多く足を運んでいるのは、間違いなく眼科だ。

なにしろ私は、筋金入りのど近眼なのである。

メガネを作ったのは小学3年生。
最初は授業中だけだったのに、中学生になる頃には生活の必需品になっていた。
だから中学時代の友達にとっては、「私=メガネ」のイメージだったと思う。

しかも、ど近眼のメガネあるあるといえば、レンズが分厚いこと。昔はよく「牛乳瓶の底みたい」と言われたものだ。重いし、目は小さく見えるし、顔の輪郭までへこんで見える。
鏡を見るたび、思春期の乙女心はなかなか複雑だった。


そんなある休日。
私はゆるゆるの部屋着で、くせ毛は爆発。
そして、分厚いメガネ姿でゴロゴロしていた。

呆れて見ていた母が、笑いながら言った。

「もし今、同級生に見られたら、百年の恋も冷めるよね〜。」

……いやいや、笑いごとじゃないよ。娘に向かってそんなこと言う?
さすがにちょっと傷つき、そして心に誓った。
高校では絶対コンタクトデビューする!

入学式の日、その決意は実現した。
地元の高校だったので、中学の同級生もたくさんいた。
「えっ、誰?」
そんな驚きの反応が返ってきたときは、心の中でガッツポーズ。
「よし、イメチェン成功!」
ビン底メガネを卒業し、高校生活をエンジョイ(当時の私の気持ち)できそうな気がした。


でも、その日から始まった。
視力矯正という、一生続くランニングコストが。

コンタクトを作れば終わりではない。
家ではメガネ。外ではコンタクト。どちらも欠かせない。

というのも、裸眼の私は、すりガラスのお面をかぶっているようなもの。
ダイニングテーブルの向かいにいる人が、笑っているのか怒っているのかさえ判別できない。もはや勘で話しかけるしかない世界である。


メガネもコンタクトも使用歴は40年以上。

最初はハードレンズを落として失くしたり、メガネを踏んづけてフレームを折ったり。

大人になれば、目に優しいワンデイに替えコストアップしたり、度数が変わるたびにメガネを新調したり。

最近では、老眼対応という新しい出費まで仲間入りした。
なんとも手間のかかる追加メンバーである。


これまで総額いくら使ったのか計算したことはない。でも、もしかしたら車が一台買えるくらいにはなっているのかもしれない。
なかなかの金額だ。


目にはずいぶんお金がかかったけれど、その代わり大きな病気もなく、入院も手術もせずにここまで元気に過ごしてこられた。
そう思えば、この視力矯正代も健康に暮らすための必要経費だったのかも。


あの日「百年の恋も冷める」と笑っていた母。
でも、丈夫な身体に産んでくれたことには感謝している。

……ただひとつお願いできるなら。
もう少し視力をサービスしてほしかったな。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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未来のカップヌードルのために。「もしも」で膨らむバッグ

 

 

私はいつもバッグが重い。

毎日の通勤も、ちょっと出かけるだけの日も、家族や友人からしょっちゅう聞かれる。

「え? 泊まりなの?」

「いやいや、そんなわけないじゃん」

そう言いながら肩をすくめるのも、もうお決まりだ。


先日も、好きなアーティストのライブを観るため大阪へ遠征した。
と言っても日帰り。

チケット代に新幹線代だけでも結構な出費だ。泊まるなんて贅沢はしない。一緒に行く30年来の友人とのライブ参戦は、「安く・早く・ラクに」が暗黙のルールになっている。

当日は駅のホームで待ち合わせ。
先に友人を見つけて思わず声が出た。

「バッグ、小さくない?」

友人はA5ノートが縦に入るくらいのショルダーバッグを斜め掛けにして、実に身軽だ。

一方の私は、ノートパソコンが余裕で入る大きなトートバッグを肩にずっしり。
友人は言葉にはしなかったけれど、その笑顔は「泊まり?」と言っていた。

いや、違うのよ。
だって7月だよ?
日傘はいる。飲み物もいる。ハンディファンも必須。タオルに汗拭きシートも持っていこう。それに、電車の冷房で寒くなったら困るからカーディガンも。
それから、それから、いつもの財布、化粧ポーチ、スマホの充電コードも入れて……っと。

バッグを持ち上げた瞬間

「重っ!」

よく「バッグの重さは不安や心配の大きさに比例する」と言うけれど、今回はもうひとつ理由があった。

せっかく大阪まで行くんだから、美味しいランチくらいは食べよう。そのあとライブまで時間がある。

「大阪城に行く?」
「いや、この暑さじゃムリ。」

そんな流れで、なぜかカップヌードルミュージアムへ行くことにした。

ということは。
自分だけのカップヌードルを作る。

ということは。
完成品を持って帰る。

つまり、
バッグに入れるスペースが必要。

実は最初から、その分まで計算済みだった。
未来のカップヌードルのために、私は大きなバッグを選んでいたのだ。

ちなみに、友人はというと、小さなショルダーバッグひとつ。かと思いきや、バッグの中から折りたたみのエコバッグをサッと取り出した。
帰りはショルダーバッグとエコバッグの2個体制。

その姿を見て、わかった。
私は荷物が2つになるのがイヤなのだ。
全部をポンポンと放り込んで、ひとつにまとめておきたい。
「あれはどっちのバッグだっけ?」
なんて考えたくない。

バッグひとつなら置き忘れる心配も減るし、なんだか安心する。
……あれ?
結局、「心配だから全部まとめたい」ってこと?


やっぱりバッグの重さは、不安や心配の大きさに比例するのかもしれない。


未来のカップヌードルの居場所まで心配している私のバッグは、どうやら「もしも」で膨らんでいるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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末期です。グローグーにはまる猫好き50代

 

 

最近、見事にハマってしまったものがある。

それは、グローグー。

「何それ?」
「食べ物?」
そんな声が聞こえてきそうだ。

ひとことで言うなら、とんでもなく可愛い生き物である。

目と耳が大きく、緑色の顔に、指は3本。身長は50センチほどで、見た目は完全に幼児。まだ言葉も話せず、「パトゥ」「ウゥ~ン」「ンン?」と赤ちゃんのような声を出す。

……もう、この時点で反則級の可愛さだ。

スター・ウォーズのヨーダは知っている人も多いと思う。そのヨーダと同じ種族の子どもがグローグーだ。(血縁関係はないらしい。)

公式の紹介文にはこんなことが書かれている。

 


「50歳を超えているが、まだ言葉も話せないほど幼く、好奇心旺盛で食いしん坊。いたずら好きで、たびたびマンドー(マンダロリアン)を困らせる。」
スター・ウォーズ公式サイト
 

 

読んだ瞬間、思った。

これは……猫じゃないか。

大きな目で見つめてきて、食いしん坊で、いたずら好き。飼い主を困らせながらも、その可愛さですべてを帳消しにしてしまう。

まさに猫である。

私は3匹の猫を飼っていた筋金入りの猫好きだ。

言葉が通じないぶん、しぐさや表情から気持ちを想像するしかなく、そのもどかしさも含めて猫の魅力だが、グローグーも同じなのだ。

飼い猫が亡くなってからは、夜な夜な猫動画を見て癒やされてきた。

それが最近では、その時間がまるごとグローグー動画に置き換わってしまった。
何度見ても、「はぁ〜、かわいい……♡」と、ため息が出る。

 

そして、症状はさらに進行した。

先日、夫が淡いくすみグリーンのTシャツに、濃いくすみグリーンの短パンという、なかなか攻めた組み合わせで現れた。

いつもの私なら、
「その配色、大丈夫?」
と心の中でツッコミを入れるところだ。

ところが、その日は違った。

「あっ、グローグーっぽくて可愛い。」

そう思ってしまったのである。

60代半ばの夫が可愛いわけがない。
あくまで色がグローグーってだけなのに。

……もう末期である。


イメージ図

 

 

 

そんな勢いのまま、私はスター・ウォーズを熱心に見てきたわけでもないが、我慢できず公開中の映画『マンダロリアン&グローグー』を、ひとりで観に行った。

もちろん、お目当てはグローグー。

何も考えず、その可愛さを堪能するつもりだった。ところが見終わる頃には、血のつながりを超えた父と子の固い絆に、じんわりしてしまっていた。

劇中では「親は子を守り、そして……子は親を守る」という言葉がある。グローグーが成長を遂げ、マンドーを助ける存在へと変わっていく姿に、気づけば私も、すっかり母性本能をくすぐられていた。

 

 

 

さて、今の私の悩みはひとつ。

ドラマ版『マンダロリアン』を見るために、ディズニープラスに課金するかどうか。
「いやいや、動画配信は増やさないって決めたでしょ。」
もう一人の私が必死に止めている。

でも、グローグーが「ンン?」なんて首をかしげたら、その決意はあっさり吹き飛ばされるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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口から出た瞬間にフリーズ。雰囲気でしゃべった、忘れられない失言

 

 

「なんでそんなことを言ったの?バカバカバカ!」と、自分にツッコミを入れたくなることってないだろうか?

私はある。

しかも、言った瞬間に「あっ」と気づくタイプである。

 

少し前、義理のお姉さんと久しぶりにお茶をした。まずは定番の近況報告から。
「実家のご両親はお元気?」とお義姉さん。
「はい、変わらず元気です。今はまだ父と母が二人でいてくれるので助かっています」

よしよし、いい感じ。ちゃんと会話も広がっているし、気の利く嫁っぽいではないか。

 

実は、夫の母は私が結婚する前に他界していて、一度もお会いしたことがない。だから私にとって義理のお姉さんは、お姑さんに近い少し緊張する存在なのだ。できれば仲良くしていきたいし、失礼なことは言いたくない。

そう思っていた。

なのに、それなのに!
次の瞬間、私の口は流れるように迷いなくこう言った。

「お義姉さんのご両親もお元気ですか?」

……

……

言った瞬間、頭の中で非常ベルが鳴った。

「違う違う違う!それって、私の義父母じゃん!」

お義姉さんのご両親ってことは、つまり私の夫の両親。
そして、お二人ともすでに他界している。

やらかした……。
適当に話してると思われても仕方がない。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。

 

そういえば昔から、妹によく言われていた。
「お姉ちゃんって、雰囲気で会話してるよね」
いつもは「そんなことないよ~」と笑って聞き流していたが、今回ばかりは反論の余地がない。

私は相手の話を聞きながら、次に何を話そうかばかり考えてしまう。会話の中身より流れやノリでしゃべってしまうのだ。緊張していると、なおさらである。

 

でも、義理のお姉さんは、一瞬きょとんとした(ように見えた)あと、すぐに笑ってこう返してくれた。
「ああ、うちのお姑さんね。もう93歳だけど、私より元気だよ」

見事な軌道修正、これぞ神対応である。
私は心の中で何度も頭を下げた。

お義姉さん、あのときは笑って受け止めてくださり、本当にありがとうございました。
もう少し相手の話をきちんと聞いて、考えてから口を開く人間になります。ふわっと聞いて、ぽろっと失言するクセは改めます。

と、深く反省し、心に誓ってはいる。
のだけれど……なかなか、ねぇ。

 

たぶんまた、口に出してから「あっ」と気づくんだろうな。
そのたびに、妹のあの一言が頭の中で響く。

「お姉ちゃんって、雰囲気で会話してるよね」

はい、まったくその通りである。
返す言葉もない……。

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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2.1%の少数派夫婦、気づけば時代が追いついてきた

 

 

先日、こんな記事を見かけた。

総務省の就業構造基本調査(2022年)によれば、妻が20~59歳である夫婦のうち、妻が有業、夫が無業の状態の夫婦は全体の2.1%と、ごく少数にとどまった。

 

2.1%

 

少ない。自治会の役員決めで、自分から手を挙げる人くらいのレア感である。
そして我が家は、まさにその2.1%側なのだ。

 

私は有業で、夫は無業。つまり無職。
いや、「無職」と言うと少し語弊があるかもしれない。今は年金を受給しているので、完全なる無収入ではないのだ。

 

この形になってもう8年近い。

 

最初の頃は、本当に無収入の専業主夫だったので、正直かなりのストレスだった。
世間の「普通の夫婦像」という見えないテンプレートに、私もしっかり縛られていたから。

 

夫が働いて、妻が家を守る。そこまでじゃなくても、共働きだとしても、なんとなく“夫が大黒柱”みたいな空気。
そこから外れた自分たちの姿を見て、不安ばかりが募っていた。

 

「これって大丈夫なの?」
「人にどう説明したらいいの?」
「夫が無職って言ったら引かれない?」

 

恥ずかしくて、誰にも相談できなかった。
だって周りに、お手本がいないのだ。

参考書ゼロ。前例なし。
人生の取説が完全に品切れ状態だった。

 

でも、8年たつと人間って慣れる。いや、慣れるというより「これもありだよな」と順応してくる。
そして、世の中も少しずつ変わった。
「普通」より「その人らしさ」が尊重される空気が増えた気がする。

 

 

夫も年金を受け取る年齢になり、生活リズムも整った。今ではこうしてnoteで堂々と書くこともできている。
昔の私なら、「夫が無職」なんて間違っても公にしなかっただろうし、たぶん夫の話題すら避けていただろう。

 

でも、こういう夫婦の形が続いているのには、ちゃんと理由がある。
もちろん、やむを得ない事情もあった。でも一番大きいのは、たぶんお互いの性格だ。

 

私は外で働くのが好き。人と関わって、動いて、お金を稼ぐことに充実感を感じる。一方で夫は、人付き合いがあまり得意ではなく、家にいるのが好き。

 

このバランスが、かなり大きい。
もし逆だったらと思うとゾッとする。

 

私が家でじっとして、夫がバリバリ外で働く世界線。
……たぶん3日で発狂する。

 

実際、一度だけ専業主婦をやったことがあるが、3ヶ月で飽きた。家事が嫌いなわけじゃない。でも好きでもない。
「あ、私、料理や洗濯より仕事のほうが好きなんだ」
とつくづく思い知った瞬間だった。

 

だから今の形は、案外理にかなっている。仕事が好きな私と、家が好きな夫。この組み合わせだからこそ、成り立つ夫婦なのだ。

 

 

ちなみに冒頭の記事の続きには、こんな調査結果もあった。

婚活サービスを提供する「タメニー」が22年に実施した「『ジェンダー別役割』調査」では、20~30代の未婚男性600人のうち、相手から望まれたら「専業主夫になる」と答えたのは49.2%だった。

 

約半分は「専業主夫、OKだよ」と言っている。
今の若い人たちは、本当に柔軟だなぁと思う。男だから、女だからじゃなくて、「自分はどう生きたいか」で選ぶ時代なんだろう。

 

 

 

それを見て、少し先を歩いてきたと勝手にポジティブに思っている私。

 

「ふっふーん。ようやく時代が、うちに追いついてきたね」(何様目線なんだ?!)

 

そんなふうに、ちょっとだけ得意顔でにんまりしている。

 

 

 

※本文中の引用元:
朝日新聞(2026年6月19日掲載)

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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トントントントン、ドドドドーン!再び階段に響く

 

            

私は子どもの頃から、何度か階段で足を滑らせたことがある。

慌てていて踏み外す。普通に歩いていて踏み外す。酔っぱらっていて踏み外す。
家族の記憶にしっかり刻まれるレベルで、いまだに実家で話題になるほどだ。

「あの時さ、階段を下りる足音がトントントントンって気持ちよく聞こえてたのに、急にドドドドーン!ってなったよね〜」

もうこの「トントントントン、ドドドドーン!」だけで通じる、我が家の鉄板ネタである。

私の実家の階段は12段。まあ普通の長さだ。

結婚してからは20年以上マンション暮らしだったので、階段とはほぼ無縁。
おかげで、そんな黒歴史もすっかり忘れていた。

ところが2年前、義実家をリフォームして引っ越した今の家には、階段がある。

しかも、元は1階が店舗だったため天井が高い。
つまり、階段も長い。

18段。

実家より6段増しのサービスだ。前向きに言えば、足腰強化仕様である。

でもさすがに思った。

もう私もそれなりに落ち着いた(と、思う)50代の大人だ。昔みたいに階段を踏み外すなんてこと、そうそうないでしょう、と。

……あった。

引っ越して約2年。
ついにやった。

下りきる少し手前、あと4段というところで階段は90度左に曲がる。
そこにある三角の段。あの、踏み場として急に形が変わる、あの三角。

なぜか私は、そのいちばん尖ったところに足を下ろした。

 

 

     尖ったところ

 

よりによって、そこ?

幅の狭いその一点に着地した足は、見事にズルッ。そのまま尻もちをついて壁に激突した。
幸い、曲がり角だったので壁がストッパーになり、一番下まで転げ落ちることは免れた。
不幸中の幸い、というやつか。

ちなみに実家の階段も同じ間取りだった。だから子どもの頃も、壁にぶつかって止まることで命拾いしていた。

学習してないな。(苦笑)

おっちょこちょいな性格は、ある程度年齢を重ねれば自然に落ち着くものなんだと思っていた。
だけど私の場合、階段で足を滑らすのは、もうクセみたいなものだと観念するしかない。

ただ、今後は一段の踏み外しが笑い話で済まないお年頃でもある。

「トントントントン、ドドドドーン!」

これを今の家の新ネタにしないためにも、いま一度、前を見て、下を見て、ゆっくり、落ち着いて階段を下りようと心に決めた。

たぶん……。

 

 

 

 

 

 

 

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はじめての胃カメラで、私は大型犬になった

 

            

55歳のとき、ついに胃カメラデビューをした。

節目の年齢ということで、会社の健康診断の補助が少し手厚くなった。
「今なら胃カメラも会社負担ですよ」
その言葉に乗っかり受診を決心した。

胃内視鏡検査。いわゆる胃カメラである。

実は、毎年のバリウム検査がどうにも苦手だった。
飲むのもつらいが、その後がもっとつらい。あの白い液体を体外へ送り出すため、一日中お腹と相談し続けるあの時間。
だったらもう、直接見てもらったほうが早い。そう思って申し込んだら、受付でこう聞かれた。

「口からですか?鼻からですか?」

いきなり一筋縄ではいかない分かれ道である。
「はじめてなので……どっちがいいんでしょう?」
一応聞いてみたけど、なんとなく心の中では決まっていた。鼻から。

私の最大の懸念は、ただひとつ。
「オエッ」である。

私は歯医者でも長時間口を開けていられない。
途中でうっかり口を閉じて先生の手を咥えそうになるし、唾液がうまく飲み込めず喉が「ゴボボボォ〜」となってもがく。鼻で呼吸すればいいのに、毎回パニックで忘れてしまう。
そんな私に、口から胃カメラなど無理だ。

まあ、鼻は鼻で「ちょっと穴が小さい気がするな」という不安はあった。でも「オエッ」には勝てない。

当日、まず鼻に麻酔を入れて15分待機。
「これで感覚が鈍くなりますからね」と言われ、いよいよベッドへ横たわった。

先生が鼻からカメラを入れていく。
怖い。カメラの行方を映すモニターがあるけど、そんなものを見る余裕はない。目をギュウッと閉じる。

そして食道へ。その瞬間。

「オエッ」

え、なんで!?鼻からなのに!?聞いてない!

そこからは大惨事だった。
涙は出る、鼻水は出る、よだれも出る。あっという間に顔面が水分でぐちょぐちょだ。

自分の姿は見えないけれど、ハァハァと舌を出して呼吸しながら、よだれを垂らす大型犬みたいだったと思う。しかも周囲には先生、看護師さん、あともうひとり若い男性スタッフらしき人の姿。
よりによって、このフルメンバーの前で恥ずかしい。でも止められない。

すると看護師さんが、苦しむ私の背中をやさしくポンポンしてくれた。
完全に泣きじゃくる子どもをあやす手じゃーん!50代のおばさんなのに(泣笑)

でもその瞬間、私はプライドを捨て、心の中で看護師さんに全霊を預けて子どもに戻った。
(うわーん!苦しいよー!)

そしてなんとか終了。すると先生がひと言。
「少し出血してますね。鼻腔が傷ついたかな」

よだれの次は鼻血ですか。踏んだり蹴ったりである。
とはいえ大事には至らず、少し休んで落ち着いてから見た自分の胃の映像は、驚くほどきれいだった。
あんな大騒ぎの末に見た胃の中は、拍子抜けするほど、とても静かだった。



ちなみに翌年も、懲りずに再挑戦した。(やっぱりバリウムが嫌だから)

あれほど苦しんだ鼻ルートが、2回目はするっと通った。オエッもなし。よだれもなし。
カメラはぐるりと内部を映して、再びするっと帰ってきた。

え?
私の鼻の穴が成長したのか?
それとも先生の腕の差?(失礼)

いまだに答えは出ていない。

でも、「この調子なら鼻から胃カメラ、楽勝じゃん!」と、あのよだれを垂らす大型犬だった記憶は、都合よく消去することにした。

 

 

 

 

 

 

 

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我慢が足りないダメ人間が、一瞬で「7回選ばれた人」に変わった瞬間

 

            

私には、人に胸を張って言えない経歴がある。それは、7回の転職歴だ。

ずいぶん落ち着きがない、と思うだろう。私自身もずっとそう思っていた。

転職回数が増えるたびに、「また辞めたの?」「我慢が足りないんじゃない?」「飽きっぽい性格なんだね」と、誰かに言われたわけでもないのに、勝手に自己嫌悪に陥り、反省会を開いていた。

だから今の会社の面接を受けたときも、履歴書にぎっしり並んだ会社名のオンパレードを見ては、ウジウジと気後れした。
「7回も転職しているなんて、絶対にマイナス要素だ。どう言い訳しよう……」

面接だけじゃない。転職を繰り返してきた過去は、「ひとつのことも続けられないダメな人間なんだ」という、私のこじらせた劣等感そのものだった。

 

そんな私が50代になったある日、セカンドライフを考えるセミナーに参加した。
これからの人生を模索しようと集まった者同士で語り合う時間、私はいつものように自虐混じりにこう漏らした。

「私、7回も転職を繰り返していて、何ひとつ続けられたことがないんです。特別な資格も、これといった特技も、なーんにもなくて……」

すると講師の方が、首を大きく横に振った。
「それは、まったく違いますよ」

いやいや、違わないです。履歴書を見れば一目瞭然です。心の中でそう返した私に、講師はニッコリ笑って続けた。
「7回転職したってことは、7回採用されたってことですよね」

ん?そうだけど……。

「今、お話を聞いていて思ったんですけど、 7人もの目の肥えた面接官が、あなたと対話して『この人と働きたい、雇いたい』って思ったんですよ。それって、すごい才能ですよ」

「ええ!いや、でも、そんなこと言われたことないけど、そんな風に解釈しちゃってもいいんでしょうか……」
私の返事は、想定外の嬉しい言葉に一瞬パッと顔を明るくしながらも、「待て待て、舞い上がっちゃダメだ」とブレーキをかける、なんとも弱気なものだった。


頭の中では「えっ、えっ、えっ」と3回繰り返した。それくらい私にとっては真逆の言葉だったからだ。

だって「7回辞めた人」が「7回選ばれた人」になったんだよ。
それは、我慢が足りないダメ人間が、文字通り面接の達人へと変わった瞬間だったのだ。

同じ事実なのに、職歴欄の長さも内容も何ひとつ変わっていないのに、別の人の視点を通しただけで、これほどまでに短所が長所に、劣等感が自己肯定感に変わるのかと感動した。

 

 

その日以来、私は転職歴を隠さなくなった。むしろ話題にするようになった。新しい出会いの場でも「私、7回転職してるんです!」とあいさつ代わりにぶっちゃけるのが定番になっている。さすがに「趣味は転職です」とまでは言わないけれど、言いたくなる気持ちは毎回ある(笑)。

もちろん資格や技術で勝負できる人は素晴らしい。でも私は、それらを持っていない。だからこそ、「おっ、この人いいな」と思わせる「私という人間力」で勝負しようと、自分にGOサインを出せるようになった。

言葉には人生を変えるほどの力がある。
本のフレーズかもしれないし、誰かの何気ない一言かもしれない。それは長年抱えていた思い込みを一瞬でひっくり返してくれる。

私にとっては、「7回転職したってことは、7回採用されたってこと」その一言だった。

 

私の履歴書は、「根性なしの証拠」から「採用実績7件」という胸を張れる経歴書へと変貌を遂げた。

恐るべし言葉の魔力。そして、ありがとう、あの一言。
 

 

 

 

 

 

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予定外ばかりの人生に、「しょうがないよね」をひと振り

 

            

夫と出会ってからというもの、「こんなはずじゃなかった」の連続だ。
結婚、家族、仕事、老後。どこを切り取っても、予定通りに進んだためしがない。いったい、どこで間違えたんだろう。ずっとそう思っていた。

人生に、完璧なレシピなんて存在しない。頭ではわかっていた。でも私は長いこと、レシピ通りに作ろうと必死だった。うまくいかないたびに調味料をやみくもに追加しては、「なんで美味しくできないんだろう……」と頭を抱える。そんなことの繰り返しだった。

でも最近、ようやく気づいた。

間違えていたのは「予定通りにいかなかったこと」じゃなくて、「予定外を受け入れられない自分」だったんだと。



夫との出会いは、3度目の転職先だった。営業の先輩としてそこにいた彼は、10歳年上でバツ1の既婚者。恋愛対象としては0点、いや、マイナスからのスタートだった。

その後、彼は再び離婚。バツ2になった時点で、私の中の「結婚相手リスト」からは完全に消去された。それがまさか、数年後に結婚するなんて。あの頃の私が聞いたら、「ないない!」と鼻で笑ったにちがいない。

惹かれたのは、彼の「大人の落ち着き」だった。いつもドタバタと騒がしく生きている私にはない、凪(なぎ)のような静けさ。自分にないものに惹かれるとはよく言うけれど、まさにそれだった。気づけばスキーやゴルフを一緒に楽しむようになり、「20代のうちに結婚したい」という、今思えば謎のどうでもいい見栄だけで、30歳の誕生日5日前に滑り込み婚。

万全を尽くしてきたはずの私なのに、勢いで滑り込んだばかりに、なんとも想定外な「3番目の妻」になった。これが、私の予定外人生の幕開けだった。



結婚すれば子どもは自然に授かるもんだと、なんの根拠もなく思い込んでいた。検査しても「特に異常なし」という診断が逆に不妊治療の決心を鈍らせ、「そのうちできるでしょ」と40歳を過ぎるまで軽く考えていた。

子どもが生まれたら、こんな家にしよう。こんなふうに育てよう。ずっと描いてきた未来図とやらを「普通に」広げて眺めていた。
けれど結局、子どもを授かることはなかった。

予定外その2、である。予定表にない案件ばかり増えていく。

 

 

夫婦ふたり暮らしの生活スタイルも板についてきた頃、今度は「老後は夫婦でテニスをして、旅行を楽しんで……」と、また世間一般の「普通の」第二の人生を思い描いていた。なんせ夫は10歳年上だから、「計画はお早めに」というフレーズが低音のBGMのようにずっと流れ、時には呪文のように響いた。

けれど、ここでも予定はあっけなく崩れる。夫を次々と病魔が襲ったのだ。
心房細動、嚥下障害、急性緑内障。日常生活に支障はなくなったものの病魔はしつこく、ひざの手術でスキーもテニスもできなくなり、がん治療の後遺症で旅行も「行きたくない…」と嫌がるようになった。

「山あり谷あり」とはよく言うけれど、どうやら私の人生、山と谷の間に崖まで隠されていたらしい。



一日中家にこもるようになった夫が、熱心にやりだしたのはセルフリノベーションだった。
「ウィィーーーン!」「バキッ、バリバリッ!」
築45年の義実家に、連日ものすごい破壊音が響く。断熱材やフローリング材を黙々と運び込み、丸ノコやグラインダーを操る夫の姿は、もはや大工そのもの。お給料は出ないけど。

終の住処に選んだ義実家を、本当はSNSで見るような「洗練された家」にしたかった。友人たちを招いて「素敵!」と言われる空間。まわりから評価されることで、自分の人生を「正解」だと証明したかった。
でも現実は、ホームセンターの安い木材と、汗をかきながら削る夫の手作業。

「そうじゃなくて、もっとシュッとしたデザインがいいのに!」という言葉を、何度飲み込んだことか。飛び散る木くずを眺めながら、私はいつの間にか、自分の「予定外人生」をすべて夫のせいにしていた。

夫が無職でなければ。もっと貯金があれば。もしも違う人と結婚していれば。「もしも」を数え始めると、きりがなかった。

そして夫は、ついに壁を壊した。

正確には「減築」。隣家とほぼ密着している西側の壁を壊し、ベランダに改造してしまったのだ。普通に考えて、なかなかの衝撃である。「家を削るなんてありえない」と、さすがにあきれ果てた。

でも、壁が消えたその場所から、これまで見たことがない光が一気に差し込み、心地よい風とともに部屋中を明るく包み込んだ。
「光と風が入って気持ちいいだろう?」と、夫は笑った。

ああ、これだ、と思った。
私はずっと「人からどう見えるか」で物事を選び、「普通に考える」という厚い壁で自分を囲ってきた。でも夫は「自分がどう感じるか」で生きている。私ががんじがらめになって守ってきた壁が、夫にはそもそも見えていなかったらしい。



ぶっちゃけ、離婚を切り出したこともある。私が感情のままにまくし立てると、夫は静かに「仕方ないね」と言った。
「仕方ないで済ませるの?!」
さらに食ってかかる私に、夫はこう続けた。

「一緒にいてくれることに感謝している」
「ただ俺は、ひとりの苦労と、ふたりだからこその苦労なら、ふたりを選ぶ。それだけのことだよ」

息が詰まった。
そう、私はいつだってひとりじゃなかった。隣で見守ってくれる夫がいたんだ。
ひとりで思い込んで、ひとりで焦って、戦って、勝手に挫折する。そんな私の空回りを、夫はずっと静かに受け止めてくれていた。私の方こそ、感謝の気持ちを忘れ、目の前の夫をちゃんと見ていなかったのかもしれない。

リビングで鼻歌を歌いながら、相変わらず「ギュィーーン」「トンットンッ」と作業している夫を見る。仕事があるわけでもない、友人が多いわけでもない。世間一般の「成功」とは無縁かもしれない。
でも夫は、驚くほど自由だった。自分の手で木を削り、形を変えていくように、自分の人生も気負わずありのままに、満足を引き寄せている。
こんなふうに生きられたら、と素直に思った。



夫はよく「しょうがないよね」と言う。昔はこの言葉が大嫌いだった。努力を放棄しているようで、負けを認めているように感じたから。

でも、今は違う。これは諦めじゃない。「切り替えのおまじない」なんだと思う。
変えられない過去や、思い通りにならない現実にずっとしがみついていても、消耗するだけ。「しょうがないよね」とひと言つぶやくだけで、ふっと肩の力が抜けて、次の一歩が軽くなる。尖っていた気持ちが、少しだけまろやかになる。

「しょうがないよね」は諦めじゃなくて、自由になる勇気だと今は思う。
完璧なレシピを手にしようとするより、今あるものでなんとかおいしく作る。そっちの方が、ずっと生きやすい。

全部「予定外」だった。
3番目の妻になったことも。
子どものいない人生も。
一日中家にいる夫の姿も。
壁を壊す夫も。

予定外の出来事が起こるたびに、私はあらがい、嘆き、誰かのせいにして勝手に消耗してきた。でも本当に必要だったのは、もっとシンプルな一言。「しょうがないよね」と受け止めることができた瞬間、霧が晴れたように吹っ切れた気がする。

人生ってたぶん、予定通りにいかないことをどう扱うかで、味はいくらでも変えられる。無理にあれこれ調味料を加えて苦くするより、「しょうがないよね」というスパイスをひと振りして、なんとか食べられる味に整える。それだけのことなんだと思う。

「しょうがないよね」と笑い合える人が隣にいて、同じ時間を過ごしている。それだけで、私の人生、悪くない味に仕上がっていると思えるようになった。

これから先も、きっと予定外の出来事は起こるだろう。そのたびに私はきっとまた、「こんなはずじゃ」と言いたくなる。でもまあ、このスパイスがあれば、なんとかなる気がしている。


……あ、でも。できれば壁を壊すときは、「しょうがないよね」のスパイスを振る前に、ひとこと言ってくれると助かります(笑)。

 

 

 

 

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「わからない」だらけ! 母のスマホ買い替え奮闘記

 

            

先日、母からSOSが入った。

「スマホの充電がねぇ、もう一日もたないの」
「買い替えたいんだけど、何をどうして、どこから手を付けたらいいかわからない」

そうだろうなと思う。親世代にはよくあることだ。スマホは毎日使うけど、契約内容や設定情報は宇宙の彼方である。

まず電話で現状確認を試みた。

「機種は何?」「わからない」
「いつ買ったの?」「だいぶ前」
「キャリアは?」「UQだったかなぁ?」

全部あやふやだ。結局、契約当時の書類を探してもらい、写真を送ってもらいながら状況を整理した。

そして休日。私はパソコンを抱えて実家へ向かった。

今回のミッションは「母のスマホ機種変更」である。まずはバックアップ。その後、予約していたUQショップへ。

ところが相談を始めると、話はどんどん複雑になっていく。

・今の料金プランは継続できない。
・新プランにすると料金は大幅アップ。
・シニア割を使っても家族割を使っても、なんだか高い。

さらに途中、なぜかよくわからないインターネット接続会社の営業トークまで挟まれる。気づけば相談時間は約2時間。スマホを買いに来たはずなのに、人生相談でもしている気分だった。

結局、「機種だけ買ってSIMを入れ替えるのが一番手間なく安いですね」という結論に。

「最初からそうすれば良かった~」とため息。

 

その足でApple専門店へ向かったものの、今度はお目当ての機種が在庫切れ。半日動き回った結果、成果ゼロ。疲労感だけは大収穫である。こうしてミッションは次回へ持ち越された。

 

後日、ネットで新しいiPhoneを購入し、再び実家へ。いよいよクライマックスだと思ったその時ーーSIMが使えない。確認すると、まさかのSIMロック。私としたことが、そこを確認し忘れていた。

慌ててUQのサービスセンターへ電話すると、条件が合ったようでその場で解除してもらえた。助かった……。心臓に悪い。

その後はデータ移行、SIM入れ替え、各種設定。途中で何度もチャッピーちゃんにも助けてもらいながら、なんとか完了した。

Face IDも設定してあげた。これまでの指紋認証は、乾燥した指との相性が悪かったのか成功率がいまひとつ。それが顔を向けるだけでパッと開く。「おおー!」と喜ぶ母を見て、こちらもほっとした。

保護フィルムとケースも一緒に買いに行き、最後はランチをごちそうになってミッション終了。

長かった。本当に長かった。

 

 

改めて思う。本人が「ちんぷんかんぷん」なことを、聞き出して調べて整理するのは想像以上に大変だ。

「Apple IDは?」「……」
「パスワードは?」「これか、これだと思う」

という頼りなさである。

 

今回は必要な情報を私の方で整理して控え、妹にも共有した。これで次回は万全……のはず。たぶん。きっと。

料金プランは最安のまま維持できたし、3年も使えば機種代の元は取れる計算だ。

 

 

だから母へ一言。
お願いだから、今度のスマホは長く使ってくださいね。
娘のサポートセンターも、年中無休ではないので。

 

 

 

 

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