我慢が足りないダメ人間が、一瞬で「7回選ばれた人」に変わった瞬間

 

            

私には、人に胸を張って言えない経歴がある。それは、7回の転職歴だ。

ずいぶん落ち着きがない、と思うだろう。私自身もずっとそう思っていた。

転職回数が増えるたびに、「また辞めたの?」「我慢が足りないんじゃない?」「飽きっぽい性格なんだね」と、誰かに言われたわけでもないのに、勝手に自己嫌悪に陥り、反省会を開いていた。

だから今の会社の面接を受けたときも、履歴書にぎっしり並んだ会社名のオンパレードを見ては、ウジウジと気後れした。
「7回も転職しているなんて、絶対にマイナス要素だ。どう言い訳しよう……」

面接だけじゃない。転職を繰り返してきた過去は、「ひとつのことも続けられないダメな人間なんだ」という、私のこじらせた劣等感そのものだった。

 

そんな私が50代になったある日、セカンドライフを考えるセミナーに参加した。
これからの人生を模索しようと集まった者同士で語り合う時間、私はいつものように自虐混じりにこう漏らした。

「私、7回も転職を繰り返していて、何ひとつ続けられたことがないんです。特別な資格も、これといった特技も、なーんにもなくて……」

すると講師の方が、首を大きく横に振った。
「それは、まったく違いますよ」

いやいや、違わないです。履歴書を見れば一目瞭然です。心の中でそう返した私に、講師はニッコリ笑って続けた。
「7回転職したってことは、7回採用されたってことですよね」

ん?そうだけど……。

「今、お話を聞いていて思ったんですけど、 7人もの目の肥えた面接官が、あなたと対話して『この人と働きたい、雇いたい』って思ったんですよ。それって、すごい才能ですよ」

「ええ!いや、でも、そんなこと言われたことないけど、そんな風に解釈しちゃってもいいんでしょうか……」
私の返事は、想定外の嬉しい言葉に一瞬パッと顔を明るくしながらも、「待て待て、舞い上がっちゃダメだ」とブレーキをかける、なんとも弱気なものだった。


頭の中では「えっ、えっ、えっ」と3回繰り返した。それくらい私にとっては真逆の言葉だったからだ。

だって「7回辞めた人」が「7回選ばれた人」になったんだよ。
それは、我慢が足りないダメ人間が、文字通り面接の達人へと変わった瞬間だったのだ。

同じ事実なのに、職歴欄の長さも内容も何ひとつ変わっていないのに、別の人の視点を通しただけで、これほどまでに短所が長所に、劣等感が自己肯定感に変わるのかと感動した。

 

 

その日以来、私は転職歴を隠さなくなった。むしろ話題にするようになった。新しい出会いの場でも「私、7回転職してるんです!」とあいさつ代わりにぶっちゃけるのが定番になっている。さすがに「趣味は転職です」とまでは言わないけれど、言いたくなる気持ちは毎回ある(笑)。

もちろん資格や技術で勝負できる人は素晴らしい。でも私は、それらを持っていない。だからこそ、「おっ、この人いいな」と思わせる「私という人間力」で勝負しようと、自分にGOサインを出せるようになった。

言葉には人生を変えるほどの力がある。
本のフレーズかもしれないし、誰かの何気ない一言かもしれない。それは長年抱えていた思い込みを一瞬でひっくり返してくれる。

私にとっては、「7回転職したってことは、7回採用されたってこと」その一言だった。

 

私の履歴書は、「根性なしの証拠」から「採用実績7件」という胸を張れる経歴書へと変貌を遂げた。

恐るべし言葉の魔力。そして、ありがとう、あの一言。
 

 

 

 

 

 

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予定外ばかりの人生に、「しょうがないよね」をひと振り

 

            

夫と出会ってからというもの、「こんなはずじゃなかった」の連続だ。
結婚、家族、仕事、老後。どこを切り取っても、予定通りに進んだためしがない。いったい、どこで間違えたんだろう。ずっとそう思っていた。

人生に、完璧なレシピなんて存在しない。頭ではわかっていた。でも私は長いこと、レシピ通りに作ろうと必死だった。うまくいかないたびに調味料をやみくもに追加しては、「なんで美味しくできないんだろう……」と頭を抱える。そんなことの繰り返しだった。

でも最近、ようやく気づいた。

間違えていたのは「予定通りにいかなかったこと」じゃなくて、「予定外を受け入れられない自分」だったんだと。



夫との出会いは、3度目の転職先だった。営業の先輩としてそこにいた彼は、10歳年上でバツ1の既婚者。恋愛対象としては0点、いや、マイナスからのスタートだった。

その後、彼は再び離婚。バツ2になった時点で、私の中の「結婚相手リスト」からは完全に消去された。それがまさか、数年後に結婚するなんて。あの頃の私が聞いたら、「ないない!」と鼻で笑ったにちがいない。

惹かれたのは、彼の「大人の落ち着き」だった。いつもドタバタと騒がしく生きている私にはない、凪(なぎ)のような静けさ。自分にないものに惹かれるとはよく言うけれど、まさにそれだった。気づけばスキーやゴルフを一緒に楽しむようになり、「20代のうちに結婚したい」という、今思えば謎のどうでもいい見栄だけで、30歳の誕生日5日前に滑り込み婚。

万全を尽くしてきたはずの私なのに、勢いで滑り込んだばかりに、なんとも想定外な「3番目の妻」になった。これが、私の予定外人生の幕開けだった。



結婚すれば子どもは自然に授かるもんだと、なんの根拠もなく思い込んでいた。検査しても「特に異常なし」という診断が逆に不妊治療の決心を鈍らせ、「そのうちできるでしょ」と40歳を過ぎるまで軽く考えていた。

子どもが生まれたら、こんな家にしよう。こんなふうに育てよう。ずっと描いてきた未来図とやらを「普通に」広げて眺めていた。
けれど結局、子どもを授かることはなかった。

予定外その2、である。予定表にない案件ばかり増えていく。

 

 

夫婦ふたり暮らしの生活スタイルも板についてきた頃、今度は「老後は夫婦でテニスをして、旅行を楽しんで……」と、また世間一般の「普通の」第二の人生を思い描いていた。なんせ夫は10歳年上だから、「計画はお早めに」というフレーズが低音のBGMのようにずっと流れ、時には呪文のように響いた。

けれど、ここでも予定はあっけなく崩れる。夫を次々と病魔が襲ったのだ。
心房細動、嚥下障害、急性緑内障。日常生活に支障はなくなったものの病魔はしつこく、ひざの手術でスキーもテニスもできなくなり、がん治療の後遺症で旅行も「行きたくない…」と嫌がるようになった。

「山あり谷あり」とはよく言うけれど、どうやら私の人生、山と谷の間に崖まで隠されていたらしい。



一日中家にこもるようになった夫が、熱心にやりだしたのはセルフリノベーションだった。
「ウィィーーーン!」「バキッ、バリバリッ!」
築45年の義実家に、連日ものすごい破壊音が響く。断熱材やフローリング材を黙々と運び込み、丸ノコやグラインダーを操る夫の姿は、もはや大工そのもの。お給料は出ないけど。

終の住処に選んだ義実家を、本当はSNSで見るような「洗練された家」にしたかった。友人たちを招いて「素敵!」と言われる空間。まわりから評価されることで、自分の人生を「正解」だと証明したかった。
でも現実は、ホームセンターの安い木材と、汗をかきながら削る夫の手作業。

「そうじゃなくて、もっとシュッとしたデザインがいいのに!」という言葉を、何度飲み込んだことか。飛び散る木くずを眺めながら、私はいつの間にか、自分の「予定外人生」をすべて夫のせいにしていた。

夫が無職でなければ。もっと貯金があれば。もしも違う人と結婚していれば。「もしも」を数え始めると、きりがなかった。

そして夫は、ついに壁を壊した。

正確には「減築」。隣家とほぼ密着している西側の壁を壊し、ベランダに改造してしまったのだ。普通に考えて、なかなかの衝撃である。「家を削るなんてありえない」と、さすがにあきれ果てた。

でも、壁が消えたその場所から、これまで見たことがない光が一気に差し込み、心地よい風とともに部屋中を明るく包み込んだ。
「光と風が入って気持ちいいだろう?」と、夫は笑った。

ああ、これだ、と思った。
私はずっと「人からどう見えるか」で物事を選び、「普通に考える」という厚い壁で自分を囲ってきた。でも夫は「自分がどう感じるか」で生きている。私ががんじがらめになって守ってきた壁が、夫にはそもそも見えていなかったらしい。



ぶっちゃけ、離婚を切り出したこともある。私が感情のままにまくし立てると、夫は静かに「仕方ないね」と言った。
「仕方ないで済ませるの?!」
さらに食ってかかる私に、夫はこう続けた。

「一緒にいてくれることに感謝している」
「ただ俺は、ひとりの苦労と、ふたりだからこその苦労なら、ふたりを選ぶ。それだけのことだよ」

息が詰まった。
そう、私はいつだってひとりじゃなかった。隣で見守ってくれる夫がいたんだ。
ひとりで思い込んで、ひとりで焦って、戦って、勝手に挫折する。そんな私の空回りを、夫はずっと静かに受け止めてくれていた。私の方こそ、感謝の気持ちを忘れ、目の前の夫をちゃんと見ていなかったのかもしれない。

リビングで鼻歌を歌いながら、相変わらず「ギュィーーン」「トンットンッ」と作業している夫を見る。仕事があるわけでもない、友人が多いわけでもない。世間一般の「成功」とは無縁かもしれない。
でも夫は、驚くほど自由だった。自分の手で木を削り、形を変えていくように、自分の人生も気負わずありのままに、満足を引き寄せている。
こんなふうに生きられたら、と素直に思った。



夫はよく「しょうがないよね」と言う。昔はこの言葉が大嫌いだった。努力を放棄しているようで、負けを認めているように感じたから。

でも、今は違う。これは諦めじゃない。「切り替えのおまじない」なんだと思う。
変えられない過去や、思い通りにならない現実にずっとしがみついていても、消耗するだけ。「しょうがないよね」とひと言つぶやくだけで、ふっと肩の力が抜けて、次の一歩が軽くなる。尖っていた気持ちが、少しだけまろやかになる。

「しょうがないよね」は諦めじゃなくて、自由になる勇気だと今は思う。
完璧なレシピを手にしようとするより、今あるものでなんとかおいしく作る。そっちの方が、ずっと生きやすい。

全部「予定外」だった。
3番目の妻になったことも。
子どものいない人生も。
一日中家にいる夫の姿も。
壁を壊す夫も。

予定外の出来事が起こるたびに、私はあらがい、嘆き、誰かのせいにして勝手に消耗してきた。でも本当に必要だったのは、もっとシンプルな一言。「しょうがないよね」と受け止めることができた瞬間、霧が晴れたように吹っ切れた気がする。

人生ってたぶん、予定通りにいかないことをどう扱うかで、味はいくらでも変えられる。無理にあれこれ調味料を加えて苦くするより、「しょうがないよね」というスパイスをひと振りして、なんとか食べられる味に整える。それだけのことなんだと思う。

「しょうがないよね」と笑い合える人が隣にいて、同じ時間を過ごしている。それだけで、私の人生、悪くない味に仕上がっていると思えるようになった。

これから先も、きっと予定外の出来事は起こるだろう。そのたびに私はきっとまた、「こんなはずじゃ」と言いたくなる。でもまあ、このスパイスがあれば、なんとかなる気がしている。


……あ、でも。できれば壁を壊すときは、「しょうがないよね」のスパイスを振る前に、ひとこと言ってくれると助かります(笑)。

 

 

 

 

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「わからない」だらけ! 母のスマホ買い替え奮闘記

 

            

先日、母からSOSが入った。

「スマホの充電がねぇ、もう一日もたないの」
「買い替えたいんだけど、何をどうして、どこから手を付けたらいいかわからない」

そうだろうなと思う。親世代にはよくあることだ。スマホは毎日使うけど、契約内容や設定情報は宇宙の彼方である。

まず電話で現状確認を試みた。

「機種は何?」「わからない」
「いつ買ったの?」「だいぶ前」
「キャリアは?」「UQだったかなぁ?」

全部あやふやだ。結局、契約当時の書類を探してもらい、写真を送ってもらいながら状況を整理した。

そして休日。私はパソコンを抱えて実家へ向かった。

今回のミッションは「母のスマホ機種変更」である。まずはバックアップ。その後、予約していたUQショップへ。

ところが相談を始めると、話はどんどん複雑になっていく。

・今の料金プランは継続できない。
・新プランにすると料金は大幅アップ。
・シニア割を使っても家族割を使っても、なんだか高い。

さらに途中、なぜかよくわからないインターネット接続会社の営業トークまで挟まれる。気づけば相談時間は約2時間。スマホを買いに来たはずなのに、人生相談でもしている気分だった。

結局、「機種だけ買ってSIMを入れ替えるのが一番手間なく安いですね」という結論に。

「最初からそうすれば良かった~」とため息。

 

その足でApple専門店へ向かったものの、今度はお目当ての機種が在庫切れ。半日動き回った結果、成果ゼロ。疲労感だけは大収穫である。こうしてミッションは次回へ持ち越された。

 

後日、ネットで新しいiPhoneを購入し、再び実家へ。いよいよクライマックスだと思ったその時ーーSIMが使えない。確認すると、まさかのSIMロック。私としたことが、そこを確認し忘れていた。

慌ててUQのサービスセンターへ電話すると、条件が合ったようでその場で解除してもらえた。助かった……。心臓に悪い。

その後はデータ移行、SIM入れ替え、各種設定。途中で何度もチャッピーちゃんにも助けてもらいながら、なんとか完了した。

Face IDも設定してあげた。これまでの指紋認証は、乾燥した指との相性が悪かったのか成功率がいまひとつ。それが顔を向けるだけでパッと開く。「おおー!」と喜ぶ母を見て、こちらもほっとした。

保護フィルムとケースも一緒に買いに行き、最後はランチをごちそうになってミッション終了。

長かった。本当に長かった。

 

 

改めて思う。本人が「ちんぷんかんぷん」なことを、聞き出して調べて整理するのは想像以上に大変だ。

「Apple IDは?」「……」
「パスワードは?」「これか、これだと思う」

という頼りなさである。

 

今回は必要な情報を私の方で整理して控え、妹にも共有した。これで次回は万全……のはず。たぶん。きっと。

料金プランは最安のまま維持できたし、3年も使えば機種代の元は取れる計算だ。

 

 

だから母へ一言。
お願いだから、今度のスマホは長く使ってくださいね。
娘のサポートセンターも、年中無休ではないので。

 

 

 

 

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ご祝儀袋だけ達筆になりたい私の、ペン習字体験記

 

            

最近、字を書くことがめっきり減った。

連絡はスマホ。
メモもスマホ。
買い物リストですら、スマホ。

もはや「手書き」が必要なことって?……と考えてみても、思い出せないくらいペンを握らない。

そんな私が、なぜ突然ペン習字なのかと聞かれれば、一応理由がある。

ご祝儀袋とかご香典袋の名前を書くとき、毎回ちょっと憂鬱になるからだ。丁寧に書こうとするほど手がふわふわして、なんとも頼りない字になってしまう。「自分の名前がきれいに書けたらなぁ」っていつも思う。

普段の字はまあいい。多少ヘロヘロでも、「味」で押し切れる。

でも、あの袋だけは違う。特に筆ペン。急に自分の名字が難易度高く感じていまう。しかも、達筆な名前が並ぶ中に、自分の字が混ざると「クラスに一人だけ体操服を忘れた人」みたいな、なんとも言えないバツの悪さがある。

「人生の節目に、こんな歪(いびつ)な字で申し訳ない…」
と慶弔のたびに、こっそり反省している。


そんなとき、インスタで見つけたのが、ペン習字のワークショップだった。

場所は、1階がステキなフラワーショップで、2階がおしゃれなハーブティーカフェになっているお店。もう、その時点で「字がきれいになりそう感」がすごい。なんだろう。雰囲気だけで、確実に“美文字”になれそうな空間だ。(そんなわけないのに)



 おしゃれ空間

 

 

しかも、ワークショップ形式で気軽そう。「初心者歓迎」の文字にも背中を押され、思い切って申し込んでみた。


当日、案内された2階のスペースは、想像以上にすてきだった。
やわらかい光。
センス良く飾られたドライフラワー。
花びらが浮かぶハーブティー。


 カラフルなハーブティ

 

「ここで字を書いたら、私の“とめ・はね・はらい”もシャキッとするかもしれない」と期待できた。(だから、そんなわけないのに)

久しぶりにたくさん字を書くと、思った以上に疲れる。ただ紙に向かって線を引くだけなのに、こんなに集中できるとは。でも、不思議と嫌な疲れではなかった。

先生が教えてくれたのは、劇的な裏ワザではなく、ちょっとしたコツと字を書くときの「決め事」。
ペンの角度とか、線をどこで始めてどこで終わるのかとか。余白をどう取るとか、少しだけ意識する線の角度とか。
それだけなのに、書いた字がこれまでとぜんぜん違ってくる。
「あれ?さっきより上手かも」となるから面白い。

字って、センスというより、ちょっとしたルールの積み重ねなんだなあと思った。


非日常、っていうほど大げさじゃないけど、いつもとちょっと違う休日。スマホを置いて、ペンを握り、背筋を伸ばして文字を書く。それだけのことなんだけど、少し丁寧で、少し自分を大事にしている感じがした。

同じようにインスタで見つけて来たという、はじめましての人たちと、お茶を飲みながら話せる距離感も、とても心地よかった。


たぶん私は、「達筆になりたい」というより、こういう時間が欲しかったのかもしれない。

もちろん、一回で急に美文字にはならない。

でも次のご祝儀袋には、ほんの少しだけ、前より自信をもって名前を書けるかな、と思いながら帰った。

……たぶん。

 

 

 

 

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3回売れて2回消えた部屋と、私たちが住まいを選び直した話

 

            

先日、20年以上住んだマンションを、ようやく手放した。「ようやく」と言いたくなるくらい、これがまあ大変だった。

この部屋は、なかなかの思わせぶりだ。これまで3度も『売約済み』の看板を掲げたのに、そのうち2度は跡形もなく幻に消えていった。


結婚してからずっと「いつかは自分たちの家を」と思い、2年の賃貸暮らしを経て、やっと手に入れたマンション。
DIYであちこち手を入れ、それなりに“私たち夫婦っぽい家”に育ててきた。

あ、手放す理由は先に言っておくが、離婚ではない。

話はもっと地味で現実的で、そしてちょっと面倒くさい。 夫の実家が、10年以上空き家のまま存在していたのである。しかも、そこそこ便利な場所に。スーパーも病院も徒歩圏内。将来、車を手放してもなんとかなる“ちょうどいい都会”なのだ。

一方で、我が家のマンションはというと、20年前はそれなりに便利だったのに、気づけば周囲からはいろいろ消えていた。コンビニも、病院も、ちょっとした活気までも。 仕事からの帰り道、駅から歩く足音がカツンと大きく響く。その静けさが、少しずつ気になりはじめていた。 部屋は気に入っていても、街がだんだん寂しくなっていった。

じゃあ実家に住めばいいじゃないか、となるのだが、話はそんなに簡単ではない。 築40年以上、長年ほぼ放置された室内は、お世辞にも住める状態ではなかった。

つまり、
・愛着たっぷりだけど不便なマンション
・便利だけどボロボロな実家

「どちらも一長一短あって難しいね~」と言いながら、「先延ばし」を選び続けた。

そんな決めきれない状態で、気づけば数年。 ようやく重い腰が上がったのは、「老後」という言葉が、だんだん他人事じゃなくなってきた頃だった。
きれいごとを抜きに、「子どものいない夫婦の老後」という現実が、生活の端々にじわじわと迫ってきたのが大きい。

将来、車なしで生活できるか。
行政サポートは充実しているか。
孤立しないか。

誰もいなくなったときの処分など、いろいろと考え、最終的に選んだのは夫の実家。そしてマンションは、売ることにした。

ここからが第2ラウンドである。


不動産会社にお願いして、「さあ売るぞ」と意気込んだものの、これが思いのほか売れない。いや、正確には、売れたと思ったら消える。これを2回繰り返した。

「購入申込入りました!」
「やった!」
(1週間後)
「ローン審査が通りませんでした」
……え?

一度“売れた未来”を見せられてからの撤回は、思っている以上にがっかりくる。
子どものころ、遠足が晴れ予報だったのに、朝起きたらしっかり雨、みたいな。しかもまあまあな本降り。あの感じに似ている。


そんなこんなで、気づけば売却活動は1年半に及んだ。
価格も見直し、気持ちも見直し、「もうこれは長期戦かもしれない」と思い始めた頃、3度目の正直で、ようやく決まった。

とはいえ、最後まで油断はできない。
契約しても喜ばない。 鍵を預けてもまだ信じない。

お金が振り込まれて、ようやく「もうキャンセルはないよね?」と自分に言い聞かせるように繰り返し、引き渡し完了を迎えて、やっと戦いに幕が下りた。

その瞬間の感想は、達成感よりも、「よっこらしょ!……」と、重たい荷物を肩から下したような解放感だった。

20年以上住んだ家を手放したけど、涙が出るとか、しみじみするとか、そんな感傷は意外とない。ただ、ごちゃごちゃしたものが片付き、スッキリ清々しい気持ちだった。

それはたぶん、これまで過ごした過去より、これから迎える未来に気持ちが向いているからだと思う。 大きな決断ではあったけど、結局のところ、自分たちが「ちょっとラクになる方」を選んだのだ。


昔は「自分たちらしい家」が大事だった。 今は「楽して安心に暮らせる場所」が一番になった。 20年で価値観の優先順位がずいぶん変わる。 そりゃそうだ、30代が50代になったんだから。


最終的に移り住んだ夫の実家は、一部をリフォームし、残りは夫のDIYでなんとか住める状態に仕上げた。
引っ越しのときには、絶好の機会とばかりに大掛かりな断捨離もして、家も心もだいぶサッパリした。


あとは、この家をどう使いこなしていくか。 これから、ゆっくり考えていこっと。


 

 

    



 

 

 

 

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引っ越して2年、町内会費で“知らない人”が減っていった

 

            

引っ越してきて、気づけば2年が経っていた。

新しい土地での暮らしも、私の中ではすっかり馴染んできた。……と思っていた頃、回ってきたのが「町内会の組長」という役だった。

正直言って、ちょっとだけめんどうだなと身構えた。
新参者だし、子どもがいないと地域の行事にはほとんど縁がないし、仕事もあるし……言い訳のような理由が次々と頭に浮かんだ。


組長の最初の仕事は、町内会費の集金。
担当は15軒。土日がいいのか、平日の夜がいいのか。そもそも、どんな人が住んでいるのかもわからない。
あれこれ考えた末に、結局「考えても仕方ない」と、まずは土曜のお昼前、一軒一軒インターホンを押して回ることに。

ピンポーン。

この音が、こんなに緊張するとは思わなかった。

ドアが開くたびに、「はじめまして」と頭を下げる。相手も少し驚いたような顔をしながら、ちょっと警戒気味の表情。中には、「誰?セールス?」と言わんばかりの仏頂面もあった。
それでも「同じ町内の〇〇です」と伝えると、「ああ、あそこに越してきた方ね」とすぐにやわらかく笑ってくれる。

その繰り返しの中で思った。
……いい人ばかりで良かったな。

年代も家族構成もバラバラだけど、同じ町内というだけで初対面でも声のトーンが上がって「ご苦労さま」と言ってくれる。最初の緊張はほっこりしたものに変わっていた。


この2年間、顔を合わせるのは両隣くらい。
それ以外は「なんとなく人の気配がする」程度で、誰が住んでいるのかは、ほとんど知らなかった。

でも、玄関先で交わすほんの短い会話の中に、それぞれの暮らしがちらりと見えて、自然と口元が緩む。

「暑いですねえ」
「街路樹の落ち葉、大変でしょう」
「ママ~、町内会費だってー!」



そして、いちばん印象的だったのは——
いつも朝、バス停で見かける女性。

なんとなく顔は覚えているけれど、言葉を交わしたことはない。お互い、会釈をするでもなく、「同じ時間にそこにいる人」という存在だった。

その人が、なんと同じ組のご近所さんだった。

「えっ、そうだったんですか!」

思わず声が弾んだ私に、彼女も少し笑って、「いつもお見かけしてます」と言った。どうやら向こうも、私の顔を覚えていたみたい。

それ以来、バス停で会うと、自然に「おはようございます」と声をかけるようになった。たったそれだけのことなのに、朝の空気が少し軽くなる。


町内会費の集金なんて、めんどう以外の何物でもないと思っていた。
でも、終わってみると、引っ越して2年の私には、ご近所さんを知れて悪くなかったなと思う。

顔を合わせること。
名前を知ること。
同じ場所で暮らしている、というささやかな繋がり。

それは、町内会費集金に付いてきた特典みたいなもの。特別なことじゃないけれど、放っておくと簡単に抜け落ちてしまうものだなと思う。



次に組長が回ってくるのは、たぶん10年以上先。その頃には、もう少しベテランの顔をして、インターホンを押せる気がする。

……というか、「ベテランの顔」より先に、「誰のお宅だっけ?」ってならないことを祈りたい。

 

 

 

 

    



 

 

 

 

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40代の「まだ間に合う」が一番つらかった。諦めた50代の今

 

            

40代のあの頃、 「まだ間に合う」という言葉が、いちばん苦しかった。希望のはずなのに、どうしてこんなに痛いんだろうと思っていた。

 

 

「まだ間に合うかもしれない」と可能性にしがみついていた40代と、 「もう間に合わない」とはっきりわかった50代。どちらが軽やかかと聞かれたら、私は迷わず後者に手を挙げる。

 

40代の私は、どこかで“可能性”という名の鎖に縛られていた。 子どもを授かるかもしれない。 まだ人生は大きく変わるかもしれない。

 

もちろん、それ自体は悪いことじゃない。むしろ希望と言えば聞こえはいいかれど、当時の私にとって、その“かもしれない”は、 期待というよりも、「手放したくても手放しきれない執着」に近いものだった気がする。

 

 

あれは44歳の頃、職場でのなんてことない雑談の時間。

「44歳ならまだまだいけるよ」

 「私の知り合いも45歳で出産したから大丈夫」

上司や同僚の、悪気のない言葉。でもそれが励ましなのか慰めなのか、正直よくわからなかった。

 

(本当にそう思ってる?それって、ほんの一握りの奇跡だよね?)

心の中で毒づきながらも、顔はしっかり「社会人」を演じていた。 「そうなんですね!まだ諦めずにがんばります!」 引きつった笑顔で話を合わせながら、内心では「痛い、痛い!心がい・た・い!んだってば!」と叫んでいた。

 

「もう子どもの話はうんざり。そんな前向きな言葉もいらない。どうか、そっとしておいて。」という拒絶と、「もしかしたら、まだ可能性はある…」という期待。

 

相反する感情の真ん中で立ち往生していたからこそ、誰に何を言われても苦しかったんだと思う。

たとえそれが、子どものいない人の言葉だったとしても。家族からの言葉だったとしても。

優しい言葉も素直に受け取れず、むしろ優しければ優しいほど逃げ場がなくて、チクッと胸に刺さる。

 

「もう無理だ」とほぼ諦めている。でもどこかで、まだ期待してしまう自分もいる。

 

……そりゃ、心も忙しくてややこしいはずだ。

 

 

そんな時間を抜けて50代。

物理的にも生物学的にも、完全にできないとわかったとき、 がっかりするかと思いきや——

あれ?なんか、ラク。

肩の力が、すとん、と抜けた。

 

「もう考えなくていいんだ」 

「もう選ばなくていいんだ」

なんていうか…… ようやく行き先が「決まった」という感覚。

行き先がひとつになると、人って迷いがなくなり、こんなにラクになれるんだと驚いた。

 

 

50代後半ともなれば、更年期も、ひと通り通過。 あの、理由もなくイライラしたり、急に汗が止まらなくなったりする日々も、今となっては「そんな時代もあったねぇ」と遠い目で見られる。

 

もちろん、体力は落ちたし無理もきかない。 階段を上がれば普通に息も上がる。 似合う服も少なくなり、白髪のお手入れにため息の毎日だ。

 

でも、その代わりに手に入れたものもある。

「ありのままの自分でいい」という行き先。

無理に前向きな言葉を信じなくていいし、誰かの「大丈夫」に合わせなくてもいい。これ、思ってる以上に大きい。

 

 

50代後半戦。 悪くない。いや、むしろ、なかなかいい感じだ。

あの頃の「い・た・い!!」も、今となっては、ちょっぴり懐かしい。そんな自分の変化を、どこか頼もしく思っている。

 

人って選択肢があるから自由なようで、選択肢があるからこそ苦しくなることもある。 選択肢がなくなることが、これほどまでに人を自由にするなんて、思いもしなかった。

だったらこれからは、少しずつ「決めていく(諦めていく)」ほうに舵を切って、気持ちをラクにしていけばいい。

 

人生の後半って実は案外、軽やかで自由なのかも。

 

 

 

    



 

 

 

 

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50代「ここから足首です」がちょっとだけ戻ってきた朝

 

            

「ふくらはぎが痛い……」

夕食も洗い物も済ませ、帰宅後ようやくソファに座るときに出る、毎日恒例のセリフだ。

しかも最近は、痛みとともに、ひざ下から足首にかけての見た目もひどい。
細長いビニール袋に重たい砂をパンパンに詰めたような、ずっしり主張してくる感じ。
一日がんばった証といえば聞こえはいいけれど、正直ちょっとしんどい。

とはいえ、そもそも私は「足首がキュッとしている人」ではない。
家系的に、足首は控えめ。というか、ほぼ存在していない。

 

子どもの頃のあだ名は「魔法使いサリーちゃん」……知ってるかな?
あのアニメのキャラクターは、足がストンとまっすぐで、足首がない(笑)。
天然パーマでショートヘアだった私は、同じ魔法使いでも「ひみつのアッコちゃん」ではなく「サリーちゃん」だったのだ。

 

遺伝子レベルで、父も父の姉も、みんな同じような足首。これはもう、どうしようもない。

だから若い頃から、「足首が細い人って、どうやってああなってるの?」と、ちょっと不思議だったし、自分の足については「まあ、こういうもの」と受け入れてきた。


……はずだったのに。


最近、さらに境目があいまいになってきた気がするのだ。
もともと薄かった境界線が、加齢とともに、より一層なだらかに。
もはや「ふくらはぎからそのまま足ですけど?」という潔さすらある。
これは遺伝なのか、むくみなのか。いや、きっと両方だ。

そんな現実を見て見ぬふりしつつ、ある日ふと思い出した。
そういえば、あれがあったはず。

——メディキュット。

「どこかにあったはず」と引き出しの奥から発掘し、お風呂上がりに履いてみる。
毎度のことながら「これ、本当に入る?」という圧。
なんとか引き上げて、そのまま就寝。

 

そして翌朝。

……あれ?
足首、いる。

いや、正確には「いた形跡がある」。
完全に別人のようにキュッとしているわけではない。
でも、あのなだらかな一体感の中に、「ここからが足首かもしれません」という控えめな主張が、確かにある。

思わず二度見してニヤける。ちょっと嬉しい。
「足首ができてる」今度は声に出していた。

 

もちろん、夕方になればまた元に戻る。
階段を上れば息は切れるし、少し無理をすれば翌日にきっちりツケが回ってくる。
50代の身体は、本当に正直だ。

でも、ちゃんと向き合えば、まだちゃんと応えてくれる。
少し休ませてあげれば楽になるし、少し整えてあげれば、ちゃんと変化が現れる。
昔みたいに勢いだけでは乗り切れないけれど、その代わり、自分の身体との付き合い方は、今の方がずっとわかっている気がする。

 

もともと足首はない。それはもう、変わらない事実。
でも、「ないなりに、ちょっと整う」くらいはできるらしい。

それで十分じゃない?と、最近は思う。
だから今日も、ソファに沈み込みながらひとこと。

「おつかれさま、私の足。
そして、うっすら存在してくれてありがとう、足首。」

 

 

 

    



 

 

 

 

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一周回ってトースト、たぶん人生もそういうこと

 

            

「食パン買い忘れたーー!」

そんな朝は、ちょっとした大騒ぎだ。
ニュースにはならないけど、私の中ではトップニュース。

朝食はごはん派?パン派?なんてよく聞くけど、
私は断然パン派。しかも、かなりの一途さで。

物心ついたころから、ずっとパン。
というより、ほぼパン一択の人生。
もう体質がパンを選んでいるのだ。

もちろん、パンじゃない日がまったくないわけじゃない。
旅行先の朝食ビュッフェでは、
「元を取らなくちゃ」という使命感により、
和も洋も一通り制覇する。
普段の私からは考えられないほどの食欲を発揮するのだから不思議だ。

 

 

そんなこんなで、朝は長年パンと付き合ってきた。

レタス、ハム、チーズ、卵を乗せてみたり、
いちごやマーマレード、ブルーベリージャムで甘くしてみたり、
ときには、あんバタートーストでちょっとご当地感を出してみたり。

いろいろなバリエーションをつけて楽しんできた。

 

 

ーー結果、
「結局これが一番好きだな~」

と落ち着いたのは、
何の変哲もない、ただのトーストだった。

山型食パンを小麦色に焼いて、
マーガリンを四隅まできっちり、くまなく塗る。
真ん中だけじゃなく、端っこまでまんべんなく。ここポイント!

それだけ。

でも、これがいい。
いや、「これがいい」じゃなくて、

「これが一番」なのだ。

 

朝いちばんの食事は、トースト1枚と
人肌くらいに温めた牛乳。

 


     ある日の朝食
 

 

この組み合わせが揃わないと、
ちゃんと一日が始まらないと言っても過言ではない。

……と、ここまで言っておいてなんだけど、
これだけでは足りず、
仕事中にコーヒーとおやつを食べちゃうのは置いといて。(笑)

 

 

だから、「さあ、パン焼こう」

とキッチンに立って、
食パンがないことに気づいたときの、あの絶望。

思わず声に出して叫ぶ。
「うそでしょ!」と。

 

人によっては、
「え?ただの食パンで?」と思うかもしれない。

でもこれは、食パンの問題ではなくて、
長年染みついた“習慣”の問題なのだ。

長い年月をかけて、当たり前になった朝の形。
それが一つ欠けるだけで、
一日のリズムが少しだけ狂う。

 

 

昔は、もう少し頑張っていた。
栄養バランスを考えて品数を増やしたり、
いわゆる“丁寧な暮らし”っぽいことを目指してみたり。

でも、無理は続かない。

大事なのは、
「自分が好きかどうか」

というシンプルな基準で、
好きだからこそ続いてきた小さな習慣ということ。

あれこれ足してきたものが、

自然に剥がれていき、
気づけば最後に残ったのが、
このシンプルなトーストだった。

一周回って、ここに戻ってきた感じ。

 

 

50代後半。
人生もこれに似ている気がする。

 

 

 

さて、
キッチンに食パンあったかな~?

明日の朝のために確認しておこう。
トップニュース回避のために。

 



 

 

 

 

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「背の高い女優さん」名前が出てこない夫との連想ゲーム

 

            

年齢を重ねると、名前がパッと出てこない。

……なんてこと、よくあるよね。

普段の会話も

「あのさ、この間の”あれ”どうなった?」とか

「それ取って、それ」みたいに、

物事の名称がひとつも出てこない。

うちの夫も例外ではない。

というか、ちょっとレベルが高い。

 



先日も突然、

「ねえ、あの背の高い女優さんって、なんていったっけ?」

……は? ざっくりしすぎでは?

 

夫の言動がおおざっぱなのは承知している。

にしても、背の高い女優さんなんて、

この世の中に何人いると思っているのか。

『その情報だけで、当てろと?』

そう言いたい気持ちをぐっと飲み込もうとして、

目はまん丸に見開き、口はギュッと結んだ表情で夫を見つめた。

(もはや顔が全力でツッコんでるけど)

 

 

それでもなんとか声を絞り出す。

「……天海祐希?」

自信ゼロで答えた瞬間、

「違う」

即答。

『でしょうね。でも、わかるかー!』

むしろ、

なぜそれで正解が出ると思ったのか聞きたい。

 

 

でも、この連想ゲームに負けるわけにはいかない。

なぜか私は、夫の”なぞとき”に挑戦するワクワクを感じていた。

「じゃあ、追加のヒントください」

すると、夫は言った。

「ほら、あの……長澤まさみみたいな人」

……え?

 

『長澤まさみ”みたいな人”?』

『それ、もう長澤まさみなんじゃないの?』

心の中で「勘弁してください」となりながらも、

連想ゲームを続ける。

(負けたくないから)

 

「どんなドラマに出てた?」

「うーん、それは思い出せない」

「じゃあ、CMは?」

「最近見ないな~」

「……」

ヒント、全滅。

 

 

ここまでくると、もはや連想力の問題ではない。

ヒントを出す側の問題だ。

 

 

とはいえ、この手のやりとり、

実は初めてではない。

「バカリズム」「主役」だけで

その当時見ていたドラマ「ホットスポット」を連想して、

市川実日子さんを当てたり。

「坂グループ」「卒業した子」だけで

平手友理奈さんを一発で当てたり。

夫が知り得る芸能人で、なおかつ話の前後から推測し、

なぞかけのように2つのお題から答えを整えるのだ。

(ねづっちのように・古っ)

うん、楽しくなってきたぞ♪(苦笑い)

 

 

私はこの数年で、夫の雑すぎるヒントから

連想して解読するスキルを着実に上げてきた。

だから、今回も解読したかった。

脳みそをフルに使って連想してみたが、答えが出ず、

最終手段の検索という禁じ手に出た。

 

「背の高い 長澤まさみみたいな 女優」

とスマホに入力。

そして、正解にたどり着いた。

答えは……榮倉奈々さん!

 

「そうそう!榮倉奈々だ!」

とスッキリした顔の夫を横目に思う。



……いやいやいや。

『榮倉奈々さんだったら、もっと他にヒントあったよね?』

『ほら、賀来賢人さんの奥さんとか……』

 

 

 

 

それでもまた、

「あの人なんていったっけ?」

という一言から、我が家の連想ゲームは始まる。

 

そして私は、”ほぼノーヒント”という難問に

今日も挑むのだ。







▼ちなみに、検索して出てきた女優さんはこんな感じ▼

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170cm前後の高身長で、長澤まさみのようなナチュラルな笑顔やスタイル、

モデル出身の爽やかさを持つ女優は、榮倉奈々や新垣結衣などが代表的です。

特にスタイル抜群な菜々緒や、爽やかさと実力を持つ杏も挙げられます。

 

【長澤まさみのような高身長(170cm前後・モデル系)の女優】

 

・榮倉奈々 (170cm台):

  モデル出身で爽やかな笑顔とナチュラルな演技が魅力。

・新垣結衣 (169cm):

  モデル出身で、高身長かつ親しみやすい爽やかさがある。

・杏 (174cm):

  モデル出身で、すらりとしたスタイルと上品な雰囲気。

・松下奈緒 (174cm):

  女優、ピアニスト。華やかなスタイルと知的な雰囲気。

・菜々緒 (172cm):

  圧倒的なスタイルを持つモデル・女優。

・天海祐希 (171cm):

  抜群のスタイルと凛とした演技力。

 

長澤まさみ(約169cm-170cm前後)のように、スタイルが良く、

笑顔が印象的で爽やかな雰囲気を持つ女優として、上記の方々は特におすすめです。
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