「江口のりこ!」と答えたら、コーヒーがこぼれた

 

 

こんなことってある?

夫はテレビ、私は新聞。
お互いの気配を感じつつ、それぞれの過ごし方でリビングにいた。
そんな、いつもの休日だった。

テレビでは、お笑い芸人がロケをしている。

「ははははは」

夫が楽しそうに笑っている。

朝からご機嫌で何よりだねぇ。そんなことを思いながら、私は新聞に目を通す。

そして、いつものようにコーヒーをズズッとひと口。
そのタイミングで、夫が突然、

「ねえ、この女優さんの名前って何だっけ……?」

「江口のりこ!」

即答。

その瞬間、口からコーヒーがダラ~~~~。

「ウソでしょ!!」

 

何と私は、
飲み込む前に答えてしまった。
飲み込む前に口を開けてしまった。
というか、夫が思い出す前に先に答えたかった。
そんなに急いで答える必要なんてないのに。

「エヘヘ……」

と助けを求めるような目で夫を見る。
あごまでコーヒーを垂らしている私に向かって、これでもかというくらいの呆れ顔をしていた。

「ええー?そっちが急に質問してきたせいだよね?」

なぜか理不尽に八つ当たりをする私に夫は、

「いやいや、子どもじゃあるまいし。ちゃんとした大人はコーヒー飲みながら口を開かないよね~」

と言って爆笑。

よかった~笑ってくれて。
だって、ここで笑ってくれないと、私も笑ってごまかせない。本当にただの失敗になるじゃん……。(失敗なんだけどね)

 

私にとって新聞を読みながらコーヒーを飲むのは、休日のルーティンだ。まったく意識しなくても、目は新聞、手はコーヒーカップをつかみ口へと運ぶ。
その無意識モードの真っ最中に、突然質問してくるなんて。

そんなの反則だー!
と、夫のせいにしてみる。

でも、咄嗟に答えた私も、
おバカさんだー!

自分の馬鹿さ加減に呆れながら、笑えて、ちょっと情けなくなった。

 

それにしても、50代、それなりにいい大人でも、あごにコーヒーを垂らすことはあるのだ。
何が起こるかわからない、平和な休日である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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父はスタスタ、母はちょこちょこ。両親との電車旅は大忙し

 

 

2日間の長旅、ホント疲れた。

伯父の訃報を受け、高齢の両親を連れて告別式に参加することになった。
本当なら車で連れて行ってあげたかったのだけれど、遠方のため電車で向かうことに。

でも、電車だからと言って、決して楽ではない。
高齢者との電車移動には、体力や筋力の衰えとは別に、もうひとつ大きなハードルがあった。

父と母の歩調が、まったく合わないことだ。

 

腰や膝が弱り、ちょこちょこ歩きで長時間は厳しい母。
逆に88歳とは思えないほど足腰が丈夫で、スタスタ歩いていく父。

遅い母と、速い父。
その間に入る私。

まるで速度の違う車をひとりで誘導するかのような難しさだ。私はちょっと甘く見ていたようだ。



新幹線ホームの待合室。
久しぶりに会った母が、普段よほど父との会話に退屈しているのか、私に向かって弾丸トーク。

「この前ね……」
「近所の○○さんがね……」

と、しゃべるしゃべる。

そこへ父が割り込む。

「何時の新幹線なんだ?」
「何号車だ?」

さっきから何回も同じことを聞いてるけど?
この時点からもう噛み合っていない。

「そろそろ時間だから行きますか」

と声をかけると、ふたりとも反対方向へと歩き出す。

なぜ、ぞうなる?

「そっちじゃなくて、こっち!」

小幅でのろのろ歩いている母を止め、スタスタと先を行く父を追いかける。

まだ、新幹線にすら乗れていないのに、すでに私は疲労困憊。
この先、電車を乗り継いで約4時間。大丈夫かな?と早くも先が思いやられた。

 

しかも、乗り換え時間もかなり余裕を持っていたはずなのに、結局乗り遅れた。

母が「トイレ行ってくる」と言うので、
「お父さんも今のうちに行ってきたら?」とすすめると、
「俺は大丈夫!」
……しまった。父はあまのじゃくだった。

案の定、母が戻ってきて、さあ行こうというタイミングで、
「やっぱりトイレ行ってくる」

だからそう言ったのに……。

慣れない土地でスマホを確認しながら、父と母から目を離さないようにしながら、そのうえ荷物を抱えながらの乗り換え。

私もヘトヘトである。



葬儀場では、着替えでもひと騒動。

いつも母に任せっきりの父は

「ネクタイはどこだ?」
「ハンカチは?」
「財布がない」だの、「数珠がない」だの、
次々に質問する。

母も母で、「はいはい」と探す。そのたびに着替えが中断する。これでは母の着替えがいつまでたっても終わらない。

「私が探すから、お母さんは着替えに集中して」
と、やんわりたしなめる。

 

こんな調子なので、ちょっとしたことでも、どんどん時間が削られていく。
普通なら、ここから急いで挽回するところだけれど、高齢の両親を相手に焦らせることはできない。

だから、今回は前泊した。
おかげで致命傷は免れ、気持ちにも余裕ができ、体力消耗も抑えられ、無事に告別式を終えることができた。

 

 

伯父とのお別れの旅。
大変だったけど、両親と一緒に母の最後のきょうだいを見送ることができた。それだけでも、連れて行けてよかったと思う。

 

ちなみに、帰りは妹が合流。
父担当=私。

母担当=妹。
のマンツーマン体制で電車旅ミッションを遂行した。

やっぱり高齢の両親との旅は、人手があるに越したことはない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ヤモリさん、家の外からお守りください

 

 

朝起きて新聞を取りに1階へ下りた。玄関とは反対側にある勝手口の引き戸を開ける。

なんだか、暑さで空気がどんよりしている。
「ちょっと換気しよう」
そう思って、しばらく戸を開け放しておくことにした。
網戸にして、身支度などあれこれして、いつもの朝のルーティンを済ませる。

そろそろ閉めようと引き戸に手をかけた。
そして、勢いよく戸を滑らせた、その瞬間。
私の手の甲に、ヒャラヒャラッと、なんともいえない感触が走った。

「ヒッ!」

思わず声が出た。え、まさかゴ〇〇リ?

恐る恐る、引き戸の周辺を見渡してみる。

……いた。

壁際の床面にペタっとへばりついている。ヤモリだ。

どうやら私は、引き戸を閉める勢いで、ヤモリに触れてしまったらしい。

「イヤ〜〜〜!」

朝っぱらから、ヤモリが私の手の甲を走ったー!

しばし、ヤモリを見つめて固まる。
向こうもじーっとしている。

「どうしよう……」

体長は10センチくらい?色は薄いベージュっぽい。
よく見ると、つぶらな目をしていて、ちょっとわいいかも(笑)

いやいや、かわいいかどうかの問題ではない。ここにいてもらっては困る。

そこで、スマホを取り出し、「ヤモリ 出た」と検索した。

ヤモリは家を守る縁起の良い益獣と言われているらしい。
害虫を食べてくれるうえに、「家を守ってくれる存在」として、昔から大切にされているという。

なので、家の中にいるヤモリを「安全に無傷でご退出いただく」方法がいくつか書かれていた。

そのひとつが、「新聞紙で優しく誘導」という手段。
なるほど。ちょうど近くにあった新聞で、そぉーっと誘導し、なんとか外へ出て行ってもらうことに成功した。

「よかった~」

 

ところが、縁起がいいと知ると現金なもので、ヤモリについてさらに検索してみた。
・ヤモリがいる家は栄える
・火事から家を守る
・富の象徴
などなど。

「むむ……」

さっきまで「早く出て行って!」と思っていたのが、急に惜しくなってきた。

「しまった!まだ近くにいるかな~」

慌てて勝手口の引き戸を開けてみる。でも、もうヤモリの姿はなかった。
そりゃそうだ。さっき私が新聞で丁寧にお見送りしたのだから。

「いやいや、家の中にいられても無理だから」と自分に言い聞かせる。
その反面、「富の象徴を追い出しちゃったな」という後悔の気持ちも残った。

 

 

朝からヤモリに驚かされ、ヤモリを追い出し、そのあとでご利益を知って惜しくなる。
 

そんな欲深い私は、
『ヤモリさん、外にいてくれるのは構いませんので、どうか家をお守りください』

と勝手なことを祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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落し蓋を蒸し器だと思った夫

 

 

我が家には10年以上使っているステンレス製の「落し蓋」がある。

肉じゃがや、かぼちゃ、里芋の煮物をよく作っていた頃、毎回アルミホイルの真ん中に穴をあけて落し蓋にするのが、なんとなくもったいなくて買ったものだ。

何度でも洗って使える、落し蓋。
じゃばらになっていて、鍋の大きさに合わせて調整できる、落し蓋。
「これは便利!」と、見つけて速攻で買った。

それが今では、出番の少ないものとして、キッチンの足元にある使いにくい引き出しに放りこまれている。

 

ある日、夫がそれを手に取った。

「あら~、そんなのあったねー。懐かしい~」

簡単な料理しかしなくなったことを、ごまかすように茶化す私。

夫は聞こえなかったのか、聞こえないふりをしたのか、何やらゴソゴソしている。
そして、フライパンに1センチほど水を張ると……

ポチャン。

「落し蓋」を投入した。

「え?」
と私。

当然、「落し蓋」はフライパンの底へ沈んでいく。

すると、今度は夫が、
「え?」

やや沈黙。

「あれ?これってどうやって使うの?」
「これじゃあ、野菜が乗せれなーい」

それを聞いて、まさかと気づいた。

「もしかして、蒸し器だと思ってたの?」
「どう見ても落し蓋だよね」
「平らなんだから沈むよね」

笑いをこらえながら畳みかける私。

料理をするようになっても、煮物までは手を出さない夫。
どうやら「落し蓋」という発想がなかったらしい。

 

キッチンの引き出しを物色し、便利そうなものを見つけ、手軽に蒸し料理ができると、ひとりで小躍りしていたのだろう。

さすが、我が夫。
そんな勘違い、ある?

 

思いもよらない勘違いで笑わせてくれたお礼に、久しぶりに煮物でも作ってあげようかな。
正しい落し蓋の使い方を実演付きで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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お空の3にゃん、今年も盆道を帰ってきた?

 

 

我が家には3匹の猫がいた。

出身も我が家の子になった経歴もバラバラ。
なのに、偶然みんな女の子だった。

無邪気で可愛かったな~。
そばにいるだけで何度も癒されたな~。

そんな愛おしい3にゃんも、今ではもうお空の住人(猫)だ。
長女13歳、次女17歳、三女19歳で、それぞれ虹の橋を渡っていった。

 

 

そして今年も、お盆がやってきた。

末っ子が旅立ったのは2025年4月。
だから、3にゃん揃ってお盆に帰ってきてくれるのは、今回で2回目になる。

生前は、決して「すこぶる仲良し」というわけではなかった3にゃん。
お互いの存在を認めつつ、それぞれのペースで暮らしていた。

でも、我が家へ通じる盆道くらいは、3にゃん仲良く並んで、

「こっちだよー」
「ちょっと待ってよ」

なんて言いながら、帰ってきているに違いない。そんな想像をして顔がほころんだ。

食の好みも、これまた3にゃんそれぞれ違ったけれど、みんなが大好きだったおやつを用意して言った。

「ちゅーるとクリスピーキッス、食べにおいでー」

 

それから、しばらく写真を見ながら思い出に浸る。

三女はパパっこだったな、とか。

次女は抱っこすると、いつも後ろ脚をピーンって伸ばしていたな、とか。

長女はドスドスと走る後ろ姿。そのおなかの揺れ具合が、なんとも可笑しくて可愛かったな、とか。

撫でたときの毛の感触。
それぞれ違った体重も、鳴き声も。

次から次へと浮かんでくる3にゃんの姿。
たくさんたくさん思い出したよ。

 

 

お盆が終わっちゃうけど、帰り道も気をつけてね。

 

でも、お盆じゃなくても、いつ遊びに来てくれても大歓迎。
ただ、明け方だけは、できれば、できればでいいんだけど、避けていただけると助かります(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

私のスマホの壁紙

 

 

 

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今はひとりじゃない。でも、私はおひとりさま予備軍

 

 

今日はちょっとだけまじめなお話。


女性の年金は平均すると男性より少ない。理由のひとつに、長く続いてきた男女の賃金格差がある。

一方で、女性は平均寿命が長く、高齢になってからひとり暮らしになる可能性も高い。

年金は少なく老後は長い。

となると、不安を感じるのはごく自然なことだと思う。

 

今の時代「夫婦だから安心」とも言い切れない。離婚や死別など将来何があるかわからないし、そもそも未婚の人も増えている。夫婦の形も、働き方も、男女の役割に対する考えが昔とはずいぶん変わってきた。

それなのに、女性は男性に比べて平均賃金が低いという現状は、まだ変わりきっていなくて続いている。

 

私自身、会社員として働く中で、その不公平感を肌で感じてきた世代である。

入社の段階で総合職と一般職に分かれ、スタートラインから違っていた。

50代の今、改めてひしひしとそれを感じている。

だから私は、自分で生きていける力と安心を身につけたいと考えてきた。

夫に先立たれても、ちゃんと自分の暮らしを守れること。

そのための備えと心構えを持っていたいのである。

 

最近は「おひとりさま」という言葉をよく耳にするようになった。でも、私が意識しているのは「おひとりさまの老後」である。

今は夫婦でも、子どもがいても、もしかしたら老後はひとりかもしれない。私の場合、子どもがいなくて、夫は10歳年上。未来のおひとりさまになる姿をたやすくリアルに想像してしまう。

そんな、今はひとりじゃないけど、将来はひとりかもしれないという人を、私は勝手に「おひとりさま予備軍」と呼んでいる。

予備軍だからこそ、今から少しずつ準備しておく。

そう思い始めた頃から、仕事、お金、住まいと少しずつ土台を整えてきた。

今も不安がゼロになったわけではない。でも以前よりずっと気持ちが軽くなった。

 

だから今は思う。

未来に備えることは、未来を怖がることじゃない。おばあちゃんになっても笑っていられるように、自分基準の心地良い日常を一日一日積み重ねいくこと。

「私、おひとりさま予備軍かも」

そう思ったときが、暮らしを整え、安心を増やしていくチャンスなんだと。

今と未来のために。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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一生続くビン底メガネとコンタクト。お金はかかるけれど・・・

 

 

「私、目にいったいいくら使ってきたんだろう。」

50代になってから定期的に通っている眼科の待合室で、ふとそんなことを考えた。

 

私はこれまで大きな病気をしたことがない。
手術も入院も経験ゼロ。
お世話になる病院といえば、眼科か皮膚科くらい。
中でも人生でいちばん多く足を運んでいるのは、間違いなく眼科だ。

なにしろ私は、筋金入りのど近眼なのである。

メガネを作ったのは小学3年生。
最初は授業中だけだったのに、中学生になる頃には生活の必需品になっていた。
だから中学時代の友達にとっては、「私=メガネ」のイメージだったと思う。

しかも、ど近眼のメガネあるあるといえば、レンズが分厚いこと。昔はよく「牛乳瓶の底みたい」と言われたものだ。重いし、目は小さく見えるし、顔の輪郭までへこんで見える。
鏡を見るたび、思春期の乙女心はなかなか複雑だった。


そんなある休日。
私はゆるゆるの部屋着で、くせ毛は爆発。
そして、分厚いメガネ姿でゴロゴロしていた。

呆れて見ていた母が、笑いながら言った。

「もし今、同級生に見られたら、百年の恋も冷めるよね〜。」

……いやいや、笑いごとじゃないよ。娘に向かってそんなこと言う?
さすがにちょっと傷つき、そして心に誓った。
高校では絶対コンタクトデビューする!

入学式の日、その決意は実現した。
地元の高校だったので、中学の同級生もたくさんいた。
「えっ、誰?」
そんな驚きの反応が返ってきたときは、心の中でガッツポーズ。
「よし、イメチェン成功!」
ビン底メガネを卒業し、高校生活をエンジョイ(当時の私の気持ち)できそうな気がした。


でも、その日から始まった。
視力矯正という、一生続くランニングコストが。

コンタクトを作れば終わりではない。
家ではメガネ。外ではコンタクト。どちらも欠かせない。

というのも、裸眼の私は、すりガラスのお面をかぶっているようなもの。
ダイニングテーブルの向かいにいる人が、笑っているのか怒っているのかさえ判別できない。もはや勘で話しかけるしかない世界である。


メガネもコンタクトも使用歴は40年以上。

最初はハードレンズを落として失くしたり、メガネを踏んづけてフレームを折ったり。

大人になれば、目に優しいワンデイに替えコストアップしたり、度数が変わるたびにメガネを新調したり。

最近では、老眼対応という新しい出費まで仲間入りした。
なんとも手間のかかる追加メンバーである。


これまで総額いくら使ったのか計算したことはない。でも、もしかしたら車が一台買えるくらいにはなっているのかもしれない。
なかなかの金額だ。


目にはずいぶんお金がかかったけれど、その代わり大きな病気もなく、入院も手術もせずにここまで元気に過ごしてこられた。
そう思えば、この視力矯正代も健康に暮らすための必要経費だったのかも。


あの日「百年の恋も冷める」と笑っていた母。
でも、丈夫な身体に産んでくれたことには感謝している。

……ただひとつお願いできるなら。
もう少し視力をサービスしてほしかったな。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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未来のカップヌードルのために。「もしも」で膨らむバッグ

 

 

私はいつもバッグが重い。

毎日の通勤も、ちょっと出かけるだけの日も、家族や友人からしょっちゅう聞かれる。

「え? 泊まりなの?」

「いやいや、そんなわけないじゃん」

そう言いながら肩をすくめるのも、もうお決まりだ。


先日も、好きなアーティストのライブを観るため大阪へ遠征した。
と言っても日帰り。

チケット代に新幹線代だけでも結構な出費だ。泊まるなんて贅沢はしない。一緒に行く30年来の友人とのライブ参戦は、「安く・早く・ラクに」が暗黙のルールになっている。

当日は駅のホームで待ち合わせ。
先に友人を見つけて思わず声が出た。

「バッグ、小さくない?」

友人はA5ノートが縦に入るくらいのショルダーバッグを斜め掛けにして、実に身軽だ。

一方の私は、ノートパソコンが余裕で入る大きなトートバッグを肩にずっしり。
友人は言葉にはしなかったけれど、その笑顔は「泊まり?」と言っていた。

いや、違うのよ。
だって7月だよ?
日傘はいる。飲み物もいる。ハンディファンも必須。タオルに汗拭きシートも持っていこう。それに、電車の冷房で寒くなったら困るからカーディガンも。
それから、それから、いつもの財布、化粧ポーチ、スマホの充電コードも入れて……っと。

バッグを持ち上げた瞬間

「重っ!」

よく「バッグの重さは不安や心配の大きさに比例する」と言うけれど、今回はもうひとつ理由があった。

せっかく大阪まで行くんだから、美味しいランチくらいは食べよう。そのあとライブまで時間がある。

「大阪城に行く?」
「いや、この暑さじゃムリ。」

そんな流れで、なぜかカップヌードルミュージアムへ行くことにした。

ということは。
自分だけのカップヌードルを作る。

ということは。
完成品を持って帰る。

つまり、
バッグに入れるスペースが必要。

実は最初から、その分まで計算済みだった。
未来のカップヌードルのために、私は大きなバッグを選んでいたのだ。

ちなみに、友人はというと、小さなショルダーバッグひとつ。かと思いきや、バッグの中から折りたたみのエコバッグをサッと取り出した。
帰りはショルダーバッグとエコバッグの2個体制。

その姿を見て、わかった。
私は荷物が2つになるのがイヤなのだ。
全部をポンポンと放り込んで、ひとつにまとめておきたい。
「あれはどっちのバッグだっけ?」
なんて考えたくない。

バッグひとつなら置き忘れる心配も減るし、なんだか安心する。
……あれ?
結局、「心配だから全部まとめたい」ってこと?


やっぱりバッグの重さは、不安や心配の大きさに比例するのかもしれない。


未来のカップヌードルの居場所まで心配している私のバッグは、どうやら「もしも」で膨らんでいるらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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末期です。グローグーにはまる猫好き50代

 

 

最近、見事にハマってしまったものがある。

それは、グローグー。

「何それ?」
「食べ物?」
そんな声が聞こえてきそうだ。

ひとことで言うなら、とんでもなく可愛い生き物である。

目と耳が大きく、緑色の顔に、指は3本。身長は50センチほどで、見た目は完全に幼児。まだ言葉も話せず、「パトゥ」「ウゥ~ン」「ンン?」と赤ちゃんのような声を出す。

……もう、この時点で反則級の可愛さだ。

スター・ウォーズのヨーダは知っている人も多いと思う。そのヨーダと同じ種族の子どもがグローグーだ。(血縁関係はないらしい。)

公式の紹介文にはこんなことが書かれている。

 


「50歳を超えているが、まだ言葉も話せないほど幼く、好奇心旺盛で食いしん坊。いたずら好きで、たびたびマンドー(マンダロリアン)を困らせる。」
スター・ウォーズ公式サイト
 

 

読んだ瞬間、思った。

これは……猫じゃないか。

大きな目で見つめてきて、食いしん坊で、いたずら好き。飼い主を困らせながらも、その可愛さですべてを帳消しにしてしまう。

まさに猫である。

私は3匹の猫を飼っていた筋金入りの猫好きだ。

言葉が通じないぶん、しぐさや表情から気持ちを想像するしかなく、そのもどかしさも含めて猫の魅力だが、グローグーも同じなのだ。

飼い猫が亡くなってからは、夜な夜な猫動画を見て癒やされてきた。

それが最近では、その時間がまるごとグローグー動画に置き換わってしまった。
何度見ても、「はぁ〜、かわいい……♡」と、ため息が出る。

 

そして、症状はさらに進行した。

先日、夫が淡いくすみグリーンのTシャツに、濃いくすみグリーンの短パンという、なかなか攻めた組み合わせで現れた。

いつもの私なら、
「その配色、大丈夫?」
と心の中でツッコミを入れるところだ。

ところが、その日は違った。

「あっ、グローグーっぽくて可愛い。」

そう思ってしまったのである。

60代半ばの夫が可愛いわけがない。
あくまで色がグローグーってだけなのに。

……もう末期である。


イメージ図

 

 

 

そんな勢いのまま、私はスター・ウォーズを熱心に見てきたわけでもないが、我慢できず公開中の映画『マンダロリアン&グローグー』を、ひとりで観に行った。

もちろん、お目当てはグローグー。

何も考えず、その可愛さを堪能するつもりだった。ところが見終わる頃には、血のつながりを超えた父と子の固い絆に、じんわりしてしまっていた。

劇中では「親は子を守り、そして……子は親を守る」という言葉がある。グローグーが成長を遂げ、マンドーを助ける存在へと変わっていく姿に、気づけば私も、すっかり母性本能をくすぐられていた。

 

 

 

さて、今の私の悩みはひとつ。

ドラマ版『マンダロリアン』を見るために、ディズニープラスに課金するかどうか。
「いやいや、動画配信は増やさないって決めたでしょ。」
もう一人の私が必死に止めている。

でも、グローグーが「ンン?」なんて首をかしげたら、その決意はあっさり吹き飛ばされるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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口から出た瞬間にフリーズ。雰囲気でしゃべった、忘れられない失言

 

 

「なんでそんなことを言ったの?バカバカバカ!」と、自分にツッコミを入れたくなることってないだろうか?

私はある。

しかも、言った瞬間に「あっ」と気づくタイプである。

 

少し前、義理のお姉さんと久しぶりにお茶をした。まずは定番の近況報告から。
「実家のご両親はお元気?」とお義姉さん。
「はい、変わらず元気です。今はまだ父と母が二人でいてくれるので助かっています」

よしよし、いい感じ。ちゃんと会話も広がっているし、気の利く嫁っぽいではないか。

 

実は、夫の母は私が結婚する前に他界していて、一度もお会いしたことがない。だから私にとって義理のお姉さんは、お姑さんに近い少し緊張する存在なのだ。できれば仲良くしていきたいし、失礼なことは言いたくない。

そう思っていた。

なのに、それなのに!
次の瞬間、私の口は流れるように迷いなくこう言った。

「お義姉さんのご両親もお元気ですか?」

……

……

言った瞬間、頭の中で非常ベルが鳴った。

「違う違う違う!それって、私の義父母じゃん!」

お義姉さんのご両親ってことは、つまり私の夫の両親。
そして、お二人ともすでに他界している。

やらかした……。
適当に話してると思われても仕方がない。
穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。

 

そういえば昔から、妹によく言われていた。
「お姉ちゃんって、雰囲気で会話してるよね」
いつもは「そんなことないよ~」と笑って聞き流していたが、今回ばかりは反論の余地がない。

私は相手の話を聞きながら、次に何を話そうかばかり考えてしまう。会話の中身より流れやノリでしゃべってしまうのだ。緊張していると、なおさらである。

 

でも、義理のお姉さんは、一瞬きょとんとした(ように見えた)あと、すぐに笑ってこう返してくれた。
「ああ、うちのお姑さんね。もう93歳だけど、私より元気だよ」

見事な軌道修正、これぞ神対応である。
私は心の中で何度も頭を下げた。

お義姉さん、あのときは笑って受け止めてくださり、本当にありがとうございました。
もう少し相手の話をきちんと聞いて、考えてから口を開く人間になります。ふわっと聞いて、ぽろっと失言するクセは改めます。

と、深く反省し、心に誓ってはいる。
のだけれど……なかなか、ねぇ。

 

たぶんまた、口に出してから「あっ」と気づくんだろうな。
そのたびに、妹のあの一言が頭の中で響く。

「お姉ちゃんって、雰囲気で会話してるよね」

はい、まったくその通りである。
返す言葉もない……。

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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