2年ほど前に
「私の生活に、祈りが足りない。」と
ある日突然ふって湧いてきた思い。
それは、今思えば
感情に蓋をすることが
もはや限界に達していた
私の心の叫びだった。
それからもうひとつ
自覚したかった自分は
何かを決める時に
自分の意志で、責任で
一人で決めることを
してこなかったことを
恥じて
悔いて
不甲斐なく
絶望してる
そんな自分。
山伏の先生のもと
峰入りして(お参りをして
山に登る山伏の修行)
体験もさせてもらいながら
日本の民衆が生み出した
神仏習合の世界についても
知ることができた。
無職の元彼が
私を彼女どころか
人間扱いしなかったことや
エネルギーをもらうことしか
頭にない人だったと気づくまで
かなり時間がかかった。
そんな人と、今まで
出会ったことなかったから。
よもや好きになった人が
そんな人と信じがたかった。
相手のごっこ遊びに振り回されてた
だけだと気づいたとき。
自分の深負いした傷に
はじめて気がついた。
私はこれ以上ないほどに
自分を墜としめてきた事実を
受け止めきれないでいた。
40なかばのおじさんに
精根尽き果てるまで
世話を焼かなければ
そこまでしないと
私自身も
わからなかったのかと思う。
見える能力がすごいと
思って、盲信してたこと。
冷静に見れば
誰でもわかることなのに‼️
山伏も、お参りも
元彼も、私の最後の悪あがきだ🈵
伊雑宮の方は
信仰について
こんなことをおっしゃっていた。
続く