前回のブログ日記
自分の体験がボリューム大だが

祈りって何なん?
スピリチュアルって何なん?
という疑問について
考え、感じたことが
あんな感じ。


つまり
私が体験した
祈りや
スピリチュアルは
縁(よすが)。

よすがを求める
人間の弱さが
安住の地を求めて
創り出した世界。

一生懸命に
大変な的違いに対して
意識を向け
見たくないものから
一生懸命目をそらすための
大義名分。

そういうものだ。

私が本当に感じたかったことと
神社やエネルギー、リーディングから
得たものとは
まったく関係ないものだった。

どういう感じにすれば
お参りしたら風が吹くか
虹が出るか
正直もう分かる。
そこで、油を売ってるのは
もう違うと思う。

にわかの信仰
エネルギーを感じるお参りは
祈りですらない
現実逃避のごっこ遊びにしか
すぎない。

私は
納得して生きたい。
自分で決めた責任で生きたい。
誰か他の人、もの任せは嫌だ。
頼れるもの探しの
答え探しは、嫌だ。
自分で決めた世界で、思いっきり
楽しく暴れたい。立ち上がりたい。
自由に飛び回りたい。

具体的にそれが何かは
あまり重要ではない。

もちろん、目標を持って生きるから
挑むけれど

そういうことじゃなく
エネルギーとして、私が
それだ。


伊雑宮で知り合った方が
おっしゃっていた
信仰の本質の話に戻ると

人間は弱いものだから
だから、祈るんや。
依り代を求め
助けを乞うて。
でもコロナで
神さまは助けて
くれないことが
分かってしまったんや。
その事実をつきつけられて
現世利益でお参りする
日本人は祈りの本質に
ついて、見直す時にきたと。
おっしゃった。

人って
何かにすがりたい性があるから。
頼るものがあったら、安心するし
楽だから。ぬくもりもある。
その世界のよさがある。

でも、だから
私はここから抜け出すと
決めていた。
だから、違和感がすごかったのだ。
祈りじゃないのだ。
エネルギー探しじゃないのだ。
自分発だけだ。

プラス、私が伊雑宮でいただいた
ご縁さまから
聞けたこと。

祈りは
日本人の感性そのものだ。
ということ。
麗しい自然の恵みと神を結びつける
豊かな感受性で、すばらしい文化を
醸成してきたと。

あの日
ちょうど夕立にあい
安全な軒下で
御田を前にして
語ってくださったのだが

しばらくして、雨も雷もやみ
私たちは、空を眺めていた。

伊雑宮のご縁さまは
こうおっしゃった。

「虹がでたら、私たちは
それを自然(科学)
現象とはいわない。
伊雑宮さんから、内宮さんに
架け橋がかかったなあ
おぉ、神さまがおわしますな。
ありがたや、ありがたや
と、思うんやな。」
と^_^

「蝉時雨、というでしょう。
時雨は、さーっと
さっきみたいな夕立の雨やね。
それがパッと上がった後に
蝉が、蜩が鳴きだすんやね。
それを蝉時雨というんや。」

時雨の空や雨、雨音、雨あがりの蝉の声
を、まるごと感じる感性。

それから、美し国のことも。
海の幸にめぐまれ

山の幸にも恵まれ

四季に恵まれたからこその

感受性。

日本の信仰は文化の集大成の
ひとつ。


海を渡ってきた人とモノと
時の勢力の作り話と
名もなき民衆の生活と
信仰とがいくえにも
織り重なり
創造された世界、文化だ✨


そして。最後にもうひとつ。
迷う心に響いたお話。

夕立から避難してきたタイミングで
昭和20年のお話。
東日本大震災の話とも
重なって、こんなお話も
してくださった。
ちょうど、元彼が
自分の本性ばれて
やばいと思いはじめ
自分からの気持ちは
何一つもないまま
重くるしいエネルギーで
私にしがみついてた頃だ。


逃げる時は気前よく逃げる。
これはあかんと思たら
さっさと逃げる。
何もかもすべてを捨てて。
大丈夫やろ、とかいうて
一緒におったら死ぬかわからん。
あれをとり忘れたから戻ろう
とか、そんな欲を出すと
命取りになると。
逃げる時は、欲を捨てて
さっさと逃げる。

せやけど、言われんでも
本当に怖かったら
逃げますよ、と。
理屈を言うとるうちは
まだほんとのことを知らんでね。
本当に怖い状況
一旦本当に怖い経験したらね。
言われんでもさっさと逃げますよ。

死にたくないから。

こんな経験されたから
私たちと全然違うのだ。

命に対しての感覚や
腹の座り方が違う。

だから、私は
今何やってんだと思うし
そして
なんて恵まれてるのかと
も思う。
爆弾が落ちてきたり
狙い撃ちされたり
70数年前、この場所が
そんな世界だったなんて
信じられない。
あの瞳の奥から放たれる
強さは
戦争を体験された方にしか
見られない。

いろいろあった夏だが
これからも
自分の謎を解く楽しさを
私は自力で体験する。


今は、感じたことが
全部言語化できないことが
もどかしい。
言語化できないということは
意識レベルがそこまでということだ。

心になぜ?を問い、感じ考えることが
息をするように
流麗に行えて
日常生活になることが理想だ✨