前回の恋は残念ながら成就しなかったが、偉大なる贈り物を残してくれた。
それは、長い間求めていた、自分を愛する方法だった。
俺は相手を好きになると、結構一途なタイプで、相手の事をたくさん考える。
例えば、
彼女は何が好きなのか?
彼女はどんな顔で笑うのか?
彼女はどんなタイプが好きなのか?
彼女はどんな話が好きなのか?
彼女が泣いていたら、何故泣いてるのか?etc.....
様々な事が気になって、詳しく知ろうとしたし、観察したし、どんな話題で喜ぶのかを会話の中で知ろうとして神経を集中し、どう喜ばせるかを常に考えた。
そして気付いた、これを自分にやれば良いんだと。
自分は何が好きなのか?
自分はどんな顔で笑うのか?
自分ははどんなタイプが好きなのか?
自分はどんな話が好きなのか?
自分が泣いていたら、何故泣いてるのか?etc.....
自分が何を喜び、そしてどんなものが好きなのか?
自分が何を大切にしているか?
彼女を喜ばせようとしたように、自分を喜ばせようとし、
落ち込んでる彼女を慰めようとしたように、自分を慰め、
彼女に寄り添おうとしたように、自分に寄り添う、
彼女が何を感じているのかを知ろうとしたように、自分が何を感じているのかを知ろうとし、
好きで好きでたまらなかった彼女への愛を、自分に向けてあげるだけだった。
自分はこれだけの愛と興味を向けられるに値する人間なんだと、頭ではなく心で理解する事が出来た。
たったそれだけの事で、凄く心が暖かい。
人生において、未知の事を知っていく事が、個人的には一番楽しい。
未知の事を知るには、今までやった事も無い事をやる必要がある、と思っている方もいますが、
実はもっと簡単な事があって、昨日と同じ事をやっても、未知を体験する事が出来ます。
その方法とは、自分の感覚に意識を向ける。
例えば、ヨガや瞑想などやっていると、日々からだの感覚は変わっている。
10年以上続けているが、一日とて同じ感覚になった事はありません。
そして一つ確実に言えるのが、日々良くなっているという事だ。
好調不調の波はあっても、この10年進化し続けているのがはっきり分かる。
未知の事を知るには、今までやった事も無い事をやる必要がある、と思っている方もいますが、
実はもっと簡単な事があって、昨日と同じ事をやっても、未知を体験する事が出来ます。
その方法とは、自分の感覚に意識を向ける。
例えば、ヨガや瞑想などやっていると、日々からだの感覚は変わっている。
10年以上続けているが、一日とて同じ感覚になった事はありません。
そして一つ確実に言えるのが、日々良くなっているという事だ。
好調不調の波はあっても、この10年進化し続けているのがはっきり分かる。
もし、という言葉は不思議な言葉である。
もし、こんな発言をして嫌われてしまったら
もし、こんな事をして嫌われたら
もし、笑われたらどうしよう
もし、の先に続く言葉は、いつだって想像の産物に過ぎません。
もしの先の言葉は、決して確認が取れない。
もし、という言葉は心配も運んでくるが、同時に期待も運んでくる。
例えばこんな風に、
もし、これが上手くいったら
もし、この1枚の宝くじが当たったら
もし、この出会いが一生物だったら
もし、今日が人生最後の日なら、俺はどっちの考えなら、幸せに死ねるのだろうか?
それは、いざ死ぬときになって初めて分るのでしょう。
でもきっと、後者の考えの方が、幸せな気がする。
もし、こんな発言をして嫌われてしまったら
もし、こんな事をして嫌われたら
もし、笑われたらどうしよう
もし、の先に続く言葉は、いつだって想像の産物に過ぎません。
もしの先の言葉は、決して確認が取れない。
もし、という言葉は心配も運んでくるが、同時に期待も運んでくる。
例えばこんな風に、
もし、これが上手くいったら
もし、この1枚の宝くじが当たったら
もし、この出会いが一生物だったら
もし、今日が人生最後の日なら、俺はどっちの考えなら、幸せに死ねるのだろうか?
それは、いざ死ぬときになって初めて分るのでしょう。
でもきっと、後者の考えの方が、幸せな気がする。