ご機嫌研究堂 -22ページ目

ご機嫌研究堂

幸せを求めて

前回の恋は残念ながら成就しなかったが、偉大なる贈り物を残してくれた。

それは、長い間求めていた、自分を愛する方法だった。

俺は相手を好きになると、結構一途なタイプで、相手の事をたくさん考える。

例えば、

彼女は何が好きなのか?

彼女はどんな顔で笑うのか?

彼女はどんなタイプが好きなのか?

彼女はどんな話が好きなのか?

彼女が泣いていたら、何故泣いてるのか?etc.....

様々な事が気になって、詳しく知ろうとしたし、観察したし、どんな話題で喜ぶのかを会話の中で知ろうとして神経を集中し、どう喜ばせるかを常に考えた。

そして気付いた、これを自分にやれば良いんだと。

自分は何が好きなのか?

自分はどんな顔で笑うのか?

自分ははどんなタイプが好きなのか?

自分はどんな話が好きなのか?

自分が泣いていたら、何故泣いてるのか?etc.....

自分が何を喜び、そしてどんなものが好きなのか?

自分が何を大切にしているか?

彼女を喜ばせようとしたように、自分を喜ばせようとし、

落ち込んでる彼女を慰めようとしたように、自分を慰め、

彼女に寄り添おうとしたように、自分に寄り添う、

彼女が何を感じているのかを知ろうとしたように、自分が何を感じているのかを知ろうとし、

好きで好きでたまらなかった彼女への愛を、自分に向けてあげるだけだった。

自分はこれだけの愛と興味を向けられるに値する人間なんだと、頭ではなく心で理解する事が出来た。

たったそれだけの事で、凄く心が暖かい。









人生において、未知の事を知っていく事が、個人的には一番楽しい。

未知の事を知るには、今までやった事も無い事をやる必要がある、と思っている方もいますが、
実はもっと簡単な事があって、昨日と同じ事をやっても、未知を体験する事が出来ます。

その方法とは、自分の感覚に意識を向ける。

例えば、ヨガや瞑想などやっていると、日々からだの感覚は変わっている。

10年以上続けているが、一日とて同じ感覚になった事はありません。

そして一つ確実に言えるのが、日々良くなっているという事だ。

好調不調の波はあっても、この10年進化し続けているのがはっきり分かる。

もし、という言葉は不思議な言葉である。

もし、こんな発言をして嫌われてしまったら

もし、こんな事をして嫌われたら

もし、笑われたらどうしよう

もし、の先に続く言葉は、いつだって想像の産物に過ぎません。

もしの先の言葉は、決して確認が取れない。

もし、という言葉は心配も運んでくるが、同時に期待も運んでくる。

例えばこんな風に、

もし、これが上手くいったら

もし、この1枚の宝くじが当たったら

もし、この出会いが一生物だったら

もし、今日が人生最後の日なら、俺はどっちの考えなら、幸せに死ねるのだろうか?

それは、いざ死ぬときになって初めて分るのでしょう。

でもきっと、後者の考えの方が、幸せな気がする。