ご機嫌研究堂 -19ページ目

ご機嫌研究堂

幸せを求めて

今の世の中、世迷いごとを言う人は、世間から批判される事が多い。

だが本当に悪い事なのか?

俺個人の考えで言えば、世迷い言が言えない世の中というのは、とても息苦しいんじゃないかと思う。

例えば、俺の大好きなシュリーマン。

彼は当時、幼少期の話を信じ、トロイヤ文明あると信じ、最終的には見つけ出した。

当時は、世迷い事に過ぎなかったろう。

ライト兄弟も、空を飛ぶという世迷い事を夢見続け、実際に空を飛んだ。

世迷い事はいわば、夢ではないだろうか?

かって、世迷い言に過ぎなかった、空を飛びたい、遠くの人と話したい、世界中どこにいても子供の顔が見たい、世界中の情報が見たいとか、数え切れない世迷い言が実現してきた。

今は世迷いごとでも、未来に当然になっている事もたくさんあるだろう。

平和になった世界を、大切な人達と、この目で見て、肌で感じる事が、今の俺の最大の世迷いごとであり、夢だ。

まずは、自分の内側の平和を追求している最中だ。

自分と世界に幸あれ!
実は数年前、自殺を考えていた事もある。

理由は、今となっては些細な事だけれども、当時は本気で悩んでいた。

あの時あんな事しなければとか、自分がどうしようもないやつだとか、そんな事ばかり思っていた。

死んだ後の為に、身辺整理をして、「さあ!もういつでも死ねるぞ!」と思っても、死ななかった。

最後の一線を越えなかったのは、犬と野良猫のおかげだった。

彼らを撫でていると、彼らの体温がとても暖かく、心臓の鼓動は命を感じさせてくれた。

彼らは、いつも近くに寄って来てくれた。

彼らが俺に興味を持ってくれているのを実感すると、なんだか死ぬのが馬鹿らしくなって止めてしまった。

自殺しようとしている人間を押しとどめる最後の何かは、興味と言う名の愛なんだろうと思う。

自分に愛を注いでみよう。

そして、溢れ出た愛を他人に注ぐ。

まずは、自分からだ。
最近の朝の、マイブームは瞑想。

瞑想の最中に、過去の嫌だった出来事が浮かんでくる事がある。

当然ながら、嫌な気分になり、心拍数が上がったり、体中がざわざわしたりする。

この嫌な気分とかは、きっと当時、その出来事から目を逸らし、きちんと向き合う事から逃げてきた事による、感情の残り滓なんだと思う。

それに気付いたときから、朝の瞑想は充実したものとなった。

当時の自分が何を考え、何を感じ、何に怒っていたのか?

あえて当時の感情の中心に、潜り込んで見る。

きちんと過去の出来事を、五感で感じ、消化していく。

感情の嵐が過ぎ去ると、心はとても静かになり、晴れ渡る。

台風が過ぎ去った後のように、晴れ渡り、虹がかかったようになる。

止められない、あさの貴重な時間だ。