古典を紹介するNHK(Eテレ)の「おはなしのくにクラシック」。
「枕草子」の回を見た。
枕草子の「春はあけぼの」の項?を、当時の屋敷の構造などを再現し、清少納言が見たであろう風景をアニメで流しながら朗読。
アニメも美しく、情景がとてもわかりやすく、
良かったと思う。
ただ、現代口語訳の代表として橋本治を出してきたのは良くなかった。
「春ってあけぼのよ!」
え、これ、今の女性の話し言葉?
こんな言い方するJK、いる?
そもそも「あけぼの」なんて言わないよね?
「歴代最高の横綱はあけぼの」と思ってる相撲女子なら何かの拍子に「あけぼの」って口走ることがあるかもしれないけど、
一般的なJKが「あけぼの」と発言することはまずないし、
文学少女なJKだって、「夜明け」「朝日」「朝焼け」というだろう。
「暁」だったら言うかもだけど。「あけぼの」はないわ~。
「bo」という濁った音が混じる「あけぼの」より
「あかつき」とかの方がかっこいいからね~。
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「春ってあけぼのよ」
これは、どういう女子を想定して訳したんだろう?
フツーの、どこにでもいるような日本の女子?
だとしたら、たぶん、「ーよ!」と断定的な発言はしない。
「春って、朝の空、きれいじゃん?」
のように、やんわりと主張すると思う。
文学少女の心の声、もしくは日記?
だとしたら、ますます「ーよ!」なんて言わない。言うわけない。
文学好きな女子なら、わかっている。
「春はあけぼの」-これよりきっぱりと美しい文章はない、と。
「春はあけぼの」は、既に推敲の必要のない、完全体である、と。
そんな完璧な文章に、わざわざ「よ」と間抜けな一文字を付け足すような不細工なことを、思春期でナルシスト真っ盛りの文学少女がするわけがない。
はなから降参して「春はあけぼの」とそのまんま訳すか、
逆にめちゃくちゃ文章を付け足して個性をアピールするんじゃないかな?
「春。みんな桜とか入学式とか花見に団子とか言ってる。
でもね。私は春の夜明けが好き。春の夜が朝に変わる刹那、その一瞬の優しい夜の断末魔―(以下略)」みたいな。
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橋本治は『桃尻娘』という、女子高生を主人公にした一人称小説で一世を風靡した作家らしい。
たまたま 『桃尻娘』は読んだことがある。
面白い小説だったとは思う。
でも、美しくなかった。
今どきの女子高生が使いそうな言葉を使い、
「今どきの女子高生」という影をなぞっただけ。
同じ「治」が書いた、同じ「女子高生なりすまし小説」に
太宰治の『女生徒』がある。
これは文句なしに名作。
太宰治も、橋本治同様、
いかにもな女性言葉を使って女生徒になりすましている。
でも、橋本治と決定的に違う点。
それは、太宰の『女生徒』という作品は美しい、ということ。
いかにもな女性言葉を、
「女」を表す道具としてだけではなく、
芸術的な美しさを醸し出す技巧のひとつとしても用いている。
内容も、言葉の美しさに沿っている。
たとえば
「もうお会いすることもないでしょう」
と、唐突に主人公が消えるラスト。
女生徒の一瞬の青春の輝きを象徴して、はかなく、美しい。
名前だけは同じ「治」なのにねえ。
太宰治が「枕草子」を訳したら、どうなったかな?
太宰治も「春ってあけぼのよ」と訳したら、がっかりだな。
結論:「枕草子」の紹介番組としてはいいけど、橋本語訳はあかんやろ。「春ってあけぼのよ」は、古くっさいおっさん作家が女のふりするときくらいしか使われない死語。あれで全てぶち壊し。
評価:★☆☆☆☆(1/5)ないわ~

