気づけば私も、順位を嫌っているつもりで、
しっかり順位を意識しているところがある。
しかもその自覚すら、
どこかで自分を救う材料にしているのだから始末が悪い。
順位をつければ、努力の方向が見えやすくなる。
そう思っていた。
だがその方向は、たいてい誰かが引いたコースの上にある。
順位は地図ではなく、
目的地まで親切に誘導してくれる標識だ。
どこへ向かわせたいかは、走る前から決まっている。
それでも私は確認する。「今、どの辺にいるのか」を。
表向きは不安の解消だが、本音では、
誰かより下ではないことを確かめたいだけなのかもしれない。
確認という言葉は、優越感という欲を、
ずいぶん上品に包んでくれる。
さらに厄介なのは、
順位が一面しか切り取らないと知っていながら、
それを全部のように扱ってしまう点だ。
人を多面的に理解するのは面倒だし、
自分を多面的に見るのはもっと面倒だ。
だから数字に預けて、考える手間を減らす。
順位は思考の省エネ装置でもある。
そして私は、そこに「反省」という免罪符を貼る。
反省している自分は、無自覚に比べている人間よりはマシだ、と。
ここでまた、小さな順位が生まれる。
結局、降りたつもりのレースを、
別のレースにすり替えているだけかもしれない。
気づけば、逃げ場はない。
順位をつけても苦しく、嫌っても安心できない。
それでも私は、反省しながら、こっそり確認する。
……もしかすると人間は、順位が好きなのではなく、
降りられない遊びをやめられないだけなのかもしれない。
なお、私は今日も参加費無料だと思って、しっかり参加している。
