継続は力なり、というが。
そう言われるたび、私は少し身構える。
なにしろ私は三日坊主ですらなく、
だいたい二日半で飽きる人間だと思う。
もっとも、この「二日半」という言い方自体、すでに予防線である。
三日続かない自分を、先に差し出しておくことで、
これ以上責められない位置に逃げている。
継続はたしかに力になる。だが同時に、
「続けられない自分」を測るための、
やけに精度の高い定規でもある。その定規が痛いので、
私は継続を再定義したくなる。休むのも、離れるのも、
やり方を変えるのも継続だ——などと、もっともらしく言い換えながら。
ただ、この「微調整」という言葉は危険だ。
挫折も飽きも、全部ここに押し込められる。
「今は調整期間だ」と言い張れば、何もしないことさえ継続になる。
定義が広すぎて、もはや努力なのか言い訳なのか、区別がつかない。
さらに厄介なのが、「続ける前に、ちゃんと考えろ」という結論である。
これは継続のライバルだ。
ちゃんと考え始めた瞬間、
人はだいたい「やらなくていい理由」を見つけてしまう。
考えることで、動かない自分を守る。
私はその技術だけは、無駄に身についている。
……と、ここまで理屈を並べておいて何だが、
実はこのブログに関して言えば、
すでに三日坊主ではなくなっている。今のところ、続いてはいる。
もっとも、この先どうなるかは、まったくわからない。
そもそも、この自己分析自体、
明日の朝には半分くらい忘れているに違いない。
残り半分も、二度寝と一緒に失われるだろう。
だから今日も、私は言い訳を丁寧に磨く。
継続は力なり。
少なくとも、この言い訳だけは、しぶとく続いている。



