ポジティブが得だと言われると、
確かにそうかもしれないとは思う。
でも実践しようとすると、だいたい途中で転ぶ。
しかも、どうせ転ぶなら「笑いを取りたい」
なんて思ってしまうあたり、
すでに他人の反応に救いを求めている自分がいる。
盛大にコケて、周囲が爆笑してくれたら
「よし、これは成功だ」と思えるけれど、
もし誰にも見られず、あるいは完全スルーされたらどうだろう。
その瞬間、この人生コメディ路線は静かに打ち切りになる。
究極のだいたい主義とは、誰もいない路地裏でドブに落ち、
「あーあ」と一人で呟いて帰る強さなのかもしれない。
「靴ひもくらいは結んでおきたい」という小さな保険も、
よく考えると滑稽だ。転ぶ未来を受け入れつつ、
なお準備を怠らない。これはもう、
だいたい主義というより“用意周到な適当”である。
しかも人生は意地悪だから、
ちゃんと結んだ靴ひもがほどけて転ばせにくる。
準備すら裏切ってくるのが人生だとしたら、
「結んでいようが、ほどけていようが、まあ転ぶよね」
と開き直れるかどうかが、次の関門だ。
さらに厄介なのは、
「私は努力型の楽観主義者だ」と名札を貼ってしまったことだ。
これで今後、落ち込んだ日は「努力不足」という新しい自己嫌悪が発生する。
楽観ですら修行科目になるとは、
人間はどこまで真面目なのか。
適当に生きたいと願いながら、
その方法を必死に研究している時点で、
私はもう立派な優等生だ。
結局のところ、私は「適当に生きるために全力を尽くしている」
人間なのだと思う。
それが呪いなのか才能なのかは分からないけれど、
今日も真面目にだらけている。
…まあ、その姿勢すら面倒になったら、
その時こそ本物のだいたい主義、ということで
