「ありがとう」を語れるほど出来た人間ではないが、考えてみた。

「ありがとう」には不思議な力がある、とよく聞く。
 
言われると少し嬉しいし、言う側もなんとなく気分がいい。
 
科学的にどうこう…という話もあるけれど、正直そこはよく分からない。
 
ただ、日常レベルでは確かに何か起きている気はする。

例えば、コンビニで「ありがとうございます」と言われた瞬間、
 
こちらが何もしていないのに、
 
少しだけ善人になったような気分になることがある。
 
たぶん錯覚かもしれないが、でもこの錯覚が案外、
 
人を救う事もあると思う。

「ありがとう」は、相手を評価する言葉というより、
 
人と人のあいだにそっとクッションを置く言葉に近い。
 
問題を解決するわけでも、過去を消すわけでもない。
 
ただ、場の空気がギスギスした方向へ転がるのを、
 
ほんの少しだけ止めてくれる。

とはいえ、いつでも万能というわけでもない。
 
疲れ切っているときには、
 
「言うべきだ」と思うこと自体が重荷になる。
 
「ありがとう」が、手すりではなく、
 
自分を縛る鎖のように感じられる日もある。

また、言ったからといって、
 
相手が必ず受け取ってくれるとは限らない。
 
その瞬間、善人になった気分は消えて、
 
「言わなきゃよかった」という後味だけが残ることもある。

それでも、余裕がある日に限って言えば、
 
「ありがとう」は悪くない選択肢だと思う。
 
世界を変えるだけの力はないかもしれないが、
 
自分の立ち位置を、半歩だけ明るいほうへずらすことはできる。

握れない日は、無理に掴まなくていい。
 
立てない日は、座っていてもいい。
 
それでもまた、余裕が戻ったときに、
 
誰かに一言添えられたなら、それで十分だ。

「ありがとう」は、立派な人の証明ではないが、
 
今日を転ばずに過ごすための、
 
いくつもある生き延び方の一つだと思ってる。
 


 

 

ふと思った。人を信頼するとき、言葉か、それとも行動か。 
 

答えは自分としては行動だと思うのです。 言葉は「やる」という意図の表現。
 

でも意図だけじゃ、朝起きて二度寝する自分くらいしか信頼できない。 
 

行動は「本当にやったか」を教えてくれる、現実の証拠なのでは。
 

ただし、行動の意味は単純ではありません。
 

例えば誰かが引っ越しを手伝ったとしても、それが善意からなのか、
 

見返りや自己アピールのためなのかは行動だけでは分からない。
 

ここで言葉の役割が出てくる。言葉は意図を伝え
 

行動に文脈や意味を与えるものです。
 

「なぜそうしたのか」「どうしたいのか」を説明する言葉があると、
 

行動の解釈も正確になり、信頼の判断もしやすくなります。
 

言葉は頭の中の川の流れのようなもので形はあるけどいつ変わるかわからない。
 

そして行動はその川の水面に落ちた石のようなもの。
 

跡は残るし、未来を少しだけ予測できる。
 

だから大事なのは、自分の価値観に誠実で 
 

言葉と行動をできるだけ一致させ
 

小さなことでも約束を守ること だと思う  
 

そしてそれを繰り返すこと。 
 

簡単に言うと、「やると言ったらやる人」になれば、
 

信頼されるし尊敬もされるのではないかと思う。 
 

もちろん完璧じゃなくていい。
 

まだ予定がわからなければ、
 

「わかり次第連絡するね」と一言添えるだけで十分かもだし。
 

言葉が行動に追いつく瞬間、それは自分が成長したと感じる瞬間で
 

結局信頼ってのはこの先もこの人と関わっていけるかどうかを

 

自分で決める自己の態度なのではと。
 

だから行動に注目するのは大切だけど、
 

言葉による約束や説明も無視できない。
 

状況が変わったときに誠実に説明することで、
 

信頼は維持・回復する事もあるはず。 
 

そして、もし誰かが口だけなら…

 

そっと笑って川の流れを眺めるが吉かもしれません。
 

もちろん自分も口だけにならないよう、
 

気を引き締めないとと思ったりします。
 

まあ、言うは易し、行うは難し。自分も行動を習慣にするのは苦手なので、
 

まずは机の上にメモを置くことから始めようと思います

 

ふと思った。人は毎日、ちょっとした失敗をしたり、
 

間違ったことをしてしまいます。

たとえば、約束を忘れたり、

怒ってつい余計なことを言ってしまうこともあります。

では、なぜ同じ失敗を避けられないのでしょうか。

人の心はときどき「ネジが緩んだ」ようになります。

緩すぎると、正しい判断が難しくなりこともあります。

また、周りの人がやっていることにつられて、

間違った選択をしてしまうこともあります。

ここでいう「失敗」とは、あとで学びになったり、

自分や周りが困ったことになる出来事のことです。

失敗は「心の筋トレ」のようなものですが、

ただ経験するだけでは十分ではありません。

どこが間違っていたのか振り返ったり

他の人と話をして考えを整理することも大事です。

小さな失敗や、成功の裏に隠れた失敗を

見逃さないことも大切かと思います

 判断や気持ちのコントロールは脳が担当しています。

 脳がまだ成長途中だったり、疲れているときは、

衝動的になりやすく、失敗もしやすくなります。

例えるなら「勢いよく流れだした水」でしょうか。

でも、少しずつ学んだり、気持ちを整えたり、

周りの人やルールを大切にすることで、

失敗の回数や影響を減らせるはずです。 

失敗は誰にでもありますが、

向き合い方を工夫すれば水が高いところから

低いところへ自然と流れるように成長するかもしれません。  

そして、失敗から学ぶことは、

自分や周りの人をよりよくする力に

つながることもあるはずです。

また時にはルールを柔軟に考えることで、

新しい発見や価値が生まれることもあるかもしれませんね
 

 
 

 

 


 

ふと思ったけど、人って地球の環境に合わせて進化してきて、 

 

性格や価値観の違いも、その人の環境が作った唯一無二の適応の試みだと思う。

 

 だから、みんな違って当たり前なんだろうなと思う。

 

 さらに、同じ文章や出来事でも、人によって受け取り方や感じ方は違う。

 

それはその人がこれまで生きてきた過程や経験が異なるからで、

 

解釈の違いも多様性の一部だと思う。 ただ、心の傷や病気など、

 

生活の質を下げる苦痛は、 多様性の名で個性として見過ごすべきじゃなく、

 

助けや支援がある事が望ましいと思う

 

多様性の本質は、すべての存在のあり方を尊重することであり、 

 

苦しみはそのまま肯定するものではなく支えや配慮が大切で

 

もちろん多様性を尊重することは他人に危害を与える行為を容認することではない。

 

他者の安全や権利を侵さない範囲でこそ尊重の意味があると思う。

 

 誰もが自分らしく生きられるように

 

苦痛や困難はできるだけ減らせたらいいなと思う。

 

 ようこそ、静かなる夜のお茶会へ。

  「隠れ家的な」のようなブログへお越し頂き、
 
    ありがとうございます。
 
    この度ブログに挑戦してみることにしました。
 
    せっかくなので、ふと思ったことを、
 
    そっと置いておきたいと思い立ち、
 
    綴ってみることにしました。
 
    文章を書くのは少し苦手なので、
 
   お見苦しい点もあるかもしれませんが、
 
   何かひとつでも心に触れるものがあれば幸いです。
 
   まだまだ手探り状態ですが、
 
   一杯のお茶を淹れるように、
 
    感じた事を少しずつ置いていこうと思います。
 
    ご無理なく、ごゆるりとお寛ぎくださると嬉しいです。
 
   ※PC版では深い夜の色彩を、
 
    スマートフォン版ではシンプルな静寂を。
 
    お好みの場所からお入りください。
 
    あなたへの扉は、いつでも開けてありますので、
 
    どうぞ、お好きな時に
 
   ふらりと立ち寄ってみてください。

 

 

          静かなる夜への選集