人間の価値って何だろう。 
 

お金をたくさん稼ぐこと?えらくなること?誰かの役に立つこと? 
 

たしかに大事だけど、それだけだと、風邪をひいた日や寝坊した日は 
 

「本日は価値、臨時休業です」みたいで、ちょっと困る。
 

だから最近は、価値って点数や順位じゃなくて「存在」に近いんじゃないかと思う。 
 

ゲームで言えば、操作下手でも即リセットされない感じ。
 

ミスしても、とりあえず電源は切られない。
 

とはいえ、現実はそんなに甘くない。
 

役に立たなければ切られることもあるし、
 

自分を大事にする余裕すらない日もあるし、 
 

サボりすぎれば普通に詰む。  
 

なのでこれは「常にこう生きよう」という話じゃない。 
 

心が折れそうな日に自分まで自分を切らなくていい、という話
 

アクセルを踏む日もあれば、
 

今日はブレーキだけで精一杯な日もある。 
 

人生はレースというより、
 

たまに路肩でエンストする長距離ドライブみたいなもの。
 

今日はボンネットを開けて、見てるだけの日があってもいいと思う。

 

人生で辛いことが続くと、「なんで自分ばかり?」って思う。
 

努力不足か、運のせいか、環境か、それとも神様の気まぐれか。
 

正直どれもありそうで、全部違う気もする。 
 

よく「意味は後からついてくる」と言うけれど、
 

これは何でも肯定できる免罪符ではない。
 

思いつきで走れば、だいたい三日で疲れる。

 

動けない日があってもいいし、
 

何もしない才能が急に開花する日があってもいい。
 

余裕のある日に、ほんの小さな選択を一つ積み重ねていくと、
 

あとから「あの時期、意外と自分なりにやってたな」と
 

思える瞬間が来たことがあった人も中にはいるはず
 

また人生は親切な説明書を出してくれないし代わりに、
 

失敗の選択肢だけは山ほど用意してくる。
 

まあうまくいかない日は休憩、動ける日は一歩。
 

そのくらい適当に付き合う方が、案外、
 

最後まで離脱せずに済むのかもしれない そんな気がする。

 

 

経済って川みたいなものだと思う。
 

調子がいいときは上流から下流へ水が自然に流れて、

 

町も暮らしも潤う。
 

でも長い停滞の中で「失敗が怖い」「将来が不安」という小さなせきが増え、
 

水は上に溜まりがちになる。
 

ただ、その水はムダじゃなく、

 

生活や会社を守るための大事な貯水でもあるから、
 

勢いよく壊せばいいわけでもない。

 

しかも気づけば、
 

川の流れだけでなく地形や行き先自体も少しずつ変わっていて、
 

昔と同じ放流ではうまくいかない場面もある。
 

結局、川の管理は想像以上に繊細だ。

 

あくまで素人の感想だけど、
 

今日は川に石を投げないでおこうと思う、

 

せめて流れを止めないために。

 

あるゲームでこんなセリフを聞いた。

 

(タイトルは言わないけど、“屋上で名言言いがちな雰囲気”のあれです。) 
 

 「人は嘘をつくから人間。嘘をつけなきゃ人形。」 
 

「大人の世界は、むしろ嘘をつかない人形のほうを欲しているものだ。」
 

確かに、大人の世界には 建前や空気読みが求められる場面が多い。
 

 ただ、「嘘をつかない=人形」というのは強めの言い切りだ。  
 

実際には、空気を読むのも技術だし、 医療や接客みたいに、 
 

“感情を抑えてプロとして動く”ことが必要な場面もある
 

でも、問題はそこじゃなくて、 ずっと“人形モード”で生きようとすること。
 

完璧な人形ばかりの社会なんて、 考えただけでホラーだ。 
 

ミスした瞬間、周囲全員が固まって 「エラーが発生しました」って言ってきそう。
 

でも人間は、嘘をついても 「あー…やってしまった…」と頭を抱える。
 

その“やらかしセンサー”が生きてる限り、 回路はちゃんと人間仕様だ。
 

 だから今日は嘘をついた自分を必要以上に責めない ・本音の声を少しずつ外に出す ・
 

そして、人形のような完璧さより“人間のほうの不器用さ”を選ぶ  これで十分。
 

なぜなら、人形は正確でも面白くないし、 ズレもしないし、悪あがきもできない。
 

その点、人間は 失敗・葛藤・本音・嘘が入り混じった、
 

まるで複雑なカクテルみたいな生き物だ。 
 

ちょっと苦くて、時々甘くて、 でも飲んでみると「うん、悪くない」って思える。 
 

そんな味のほうが、人生にはちょうどいいかもしれない

 

ふと私は思った。大人って何だろう、と思うことがあります。
 

年齢や法律で決まるものではない気がします。

 

18歳になったから急に大人、
 

なんて単純な話ではないかもしれません。

 

私が思う大人は、
 

まず自分の選んだことに責任を持てる人でしょうか
 

失敗しても「自分のせいだ」と言える。もちろん、
 

怒ったり泣いたり、間違えたりするのは人間だから仕方ない。
 

でも、その気持ちをどう扱うかで、人としての大きさが少し見える気がします。
 

 …とはいえ、私もまだ他人のせいにしたくなる瞬間があります。
 

たとえば朝のコーヒーがまずかった時とか、渋滞に巻き込まれた時とか。
 

大人の自覚がちょっと揺らぐ瞬間です。

 

大人はまた、感情と仲良くできる人でもあります。
 

 悲しみや不安、嫉妬を無理に消すのではなく、上手に付き合い、味方にする。
 

でも私はまだ、感情に振り回されることが多く、悩む日もよくあります。
 

そして、大人は自分だけでなく、他の人のことも考えられる人です。 
 

自分も大事、相手も大事。 だから「ありがとう」と「ごめんね」を自然に言える。 
 

とはいえ、私も言えなかったこともあります。
 

だからまだ修行中、と言えるかもしれません。
 

さらに、大人は現実と仲良くできる人です。
 

理想は高く持つけれど、世界は完璧じゃないことを知っている。
 

私はまだ、落ち込む時間が長すぎたり、理想と現実のギャップに焦ったりします。 
 

でも少しずつ、現実の中で楽しみを見つけられる余裕も欲しいと、
 

自分に言い聞かせています。 

 

余裕って、コーヒー片手に深呼吸できるくらいの心の広さ、
 

とでも言いましょうか。大人だって不器用です。 

 

間違えるし、迷うし、忘れ物もします。 
 

私も、まだ完璧にはできません。

 

でも最後には、少し笑って前に進むことを忘れない、
 

そんな自分でありたいと思っています。
 

例えるなら、大人って、ごはんの最後の一粒まで味わえる人。
 

現実的で計算高いところもあるけれど、
 

小さな楽しみや幸せもきちんと味わえる、ということです。
 

だから、私もまだまだ、一粒一粒を大事にしながら学ぶ途中です。