小説 『ROCKS 外伝 ~朋和~』 前編 | 日々幸進(ひびこうしん)

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『ROCKS 外伝 ~朋和~』


 夜風が冷たい。
 ひんやりとする十一月。
 しかし昼間は、まだクーラーをつけなくてはならない暑さを感じる。
 だが、夕方も6時を過ぎると途端に温度差が激しくなる。
 雑踏の中。
 花菱朋和(はなびしともかず)はバイト先へと走っていた。
 バイト先『居酒屋ばいんど』には6時から入る事になっているのに、今はもう6時を5分ほど過ぎていた。
 やばい。
 店長に怒られる。
 朋和は自分の置かれた立場を呪う。
 自分が追い込んだ立場とはいえ、窮屈すぎる立場が苦しい。
 着メロのベートーベンの運命が鳴る。
 朋和は走りながら携帯電話を取り出し誰からかかってきたのかを確認する。バンドメンバーの桶川(おけがわ)だった。
「朋和か?」
「何?オケ!急いでるんやけど」
 荒く息を吐き出しながら、鬱陶しそうに言う。
「・・・・・・・・死んだ」
 信号機の盲目の障害者に対してのメロディが高らかに鳴っている。
「何て?音が大きいから聞こえない!」
「死んだ!」
ようやく耳に届いた単語。
「な・・・誰?誰がや?」
 街の雑踏と、思考の混乱が見事にユニゾン。
「小鳩(こばと)」
 短く区切られた言葉が朋和の意識を切断する。
 朋和を包んでいた喧騒が色とノイズをかき消していく。
「小鳩が・・・・?」
 息は荒いが立ち止まった自分の思考が麻痺して冷えていくのを感じた。
 体中の血液が全部地面に零れ落ちていく、いや、伝い落ちてゆく感覚。
「小鳩・・・・・・・・・・・・・・」


 通夜は、朋和の住んでるアパートから駅二つ向こうにある大きな葬祭場だった。
 最近、出来た大手の葬祭場チェーンのひとつだった。
 ひっそりしたものをイメージしていたのだが、思いの外、大勢の人々が居る事に困惑してしまう。
 そして・・・・・軽い嫉妬さえした。
 不謹慎ではあるが、こう考える。もし自分が死んだとして、ここまで人が集まってくれるのかどうか?という事と、こんなに大きな葬祭場でやれるという金の力とにだ。
 自分でも、大幅にズレた倫理観だと思う。
 今は、そんな事を言っている場合ではないことも重々承知だ。しかし尻の穴の狭い自分は、そんな馬鹿なことを考える。
 意識がおかしいのだ。
 麻痺している。
 朋和はふらふらと入口傍まで来て、ご大層な看板に献花された名前をじっと見詰めた。

 八重小鳩

 信じられなかった。
 桶川の電話をもらっても、そして今の葬祭場で名前を見ても納得していない。
 ぼうっとしてしまう。
 ドッキリなのでは?という呆気らかんとした気持ちが残っている。
 しかし、その事が事実なのは直ぐに判った。
 入っていきなり真正面の最上段に小鳩の写真が飾られていた。
 その写真には見覚えがある。
 そう、
 今のバンドのいいスチール写真がないから、桶川が連れて来た友達のカメラマンが一日自分らに密着して撮ったものだ。
 あの時はライブ当日の朝から付き従ってくれ様々な良いショットが撮れた。
 その中でも圧倒的に良かった一枚だ。
 普段、笑顔を前面に出さない小鳩が笑っている写真だ。
 バンドメンバーの澤口(ドラム)が、リハーサル時にジャージで太鼓を叩いていた。
 で、それが一段落してドラムセットから降りようとした時、ダルダルに履いていたジャージの裾を自分で無意識に踏んでしまいすっ転び落ちた。それだけではない。転んで気が付いた時にはジャージが膝まで脱げていた。桃色のブリーフが露になった滑稽な様。
 その場に居た全員が笑い転げた。
「やめろっ!撮るなっ!!」
「撮れ撮れ!」
 決定的瞬間を収めたカメラは、そのままグルリと皆の笑い顔を撮った。
………その時の写真だった……

 ガヤガヤとした喧騒。
 吐き気がした。
 しかし、歩みは止まらない。
 朋和は受付に名前を書き、ふらふらとお焼香の列に加わった。
 何だこれは?
 恐怖のような疎外感が朋和を包む。
 すえた線香の匂いが部屋に充満している。
 最後に小鳩に会ったのはいつの事か?
 そうだ。5日前のスタジオ練習だ。
 そして、明日も同じスタジオで練習する予定だった。
 だから今日、無理にバイトを入れたのだ。
 本来、明日のローテーションだったのを友達と入れ替わって貰っていたのだ。
 だが、
 今は目の前の棺桶の中に…居るらしい…?
 朋和は、やりきれない想いで爆発しそうになる。
 小鳩に一番近かったはずの自分達が蚊帳の外で、知らぬ間に水面下でこのような大勢の人々が小鳩一人の為に集まってきている。
 違和感と、嫉妬心と、羨望、閉塞感、羞恥感、猜疑心、それらが一気に昇ってくる。
 時折、後ろ側で笑い声が弾けている。
 久し振りに出会ったのだろうか?
 惨め。
 悔しい。
 小鳩の事をよく知りもしない連中が、何かの繋がりからか顔を出すだけの実のない葬祭。
 怒り。
 朋和は両手を握り締めた。
 ぎゅうっと、力強く。
 強く、強く、強く、強く!強く!!
 血の気が引くくらい手が真っ白になっていく。自然に眉間に皺がよる。
 やがて………
 朋和の番が巡ってきた。
 小鳩の笑顔。
 満面の笑顔。
 眩暈がした。
 現実感のない自分。
 小さな小鉢に盛られた粉に手を伸ばした。
 粉ではなく縁に当たった指の痛み。
 ようやく粉を一つまみした朋和は奥の火が灯っている場所にふりかけた。

 朋和は焼香した後、帰るに帰れない気持ちを持て余したまま入口を外れた場所に突っ立て居た。
 すると、道の奥からバンドメンバーがまとめて3人やってきた。
 リーダーでギターの桶川。
 ドラムの澤口。
 キーボードの笹溝。
 3人は示し合わせたように喪服だった。
 自分だけが私服だ。
 電話をもらった時点で、頭が朦朧として着替えるという観念が消失していた。
 それほど朋和にとって小鳩の存在は大きかったのだ。
「おう、先に来てたのか?」桶川がトーンをおとしつつも抜けた声で聞いてくる。
 朋和は無言で首を縦に振る。
「えらいことになったなぁ…」澤口はネクタイもろくに締められないのか、斜めに傾いたネクタイを苦しそうに少し緩めた。
「何処で事故ったん?」小鳩と同い年の二十一歳の笹溝は、桃色の頬を更に桃色に染めている。
「円河(まるかわ)町の手前らしい」
 朋和は後ろで噂話のように話していた情報のパズルを組み合わせ話す。
「ああ、あそこか!」
「小鳩の帰り道だもんねぇ!」
 虚しい。
 言葉の空回りだ。
「ほなちょっと行って来るわ」
「後でな」
 3人は、とりあえず朋和を残して葬儀場の中へと入っていった。
 残された朋和は、ぼんやりと小鳩を思い出していた。
 夜風が冷たくなりだした十一月であった。


「朋和…くんだっけ?」
「ん?」
 ライブ後のホール。
 ローディも雇わないアマチュア・レベルのバンドマンは自分達で機材の後片付けをする。
 そんな閑散としたホール内で白いレースの服を着た少女は、汗まみれの朋和に話しかけてきたのである。
「だ……誰だっけ?」
 持ち上げたはずのアンプチューナーを床に置いて彼女をマジマジと眺めた。
 見覚えはない。
「私よ。小鳩」
 言われてハッとなる。
 そうだ。
 思い出した。
 彼女だ!
 朋和は2日前に彼女のライブ…正確には彼女の歌を聞いていた。

 南ホイール。
 大阪の難波近辺に点在するライブハウス十五店舗とFMラジオがタッグを組み巻き起こすライブイベントだ。参加バンド数二百四十以上。そのイベントが3日間続く。それで一日券を持っていると、どのライブハウスに行って、どのバンドを観てもいい。それが小さいホールであろうとデカいホールであろうとだ。ショーケース的なお試しライブ…と、いってもいい。これで気に入ったのなら改めてワンマンを観に行くという図式が出来上がるからだ。だからインディーズや売れていないバンドから、ある程度名前の売れているバンド達はこぞってこのイベントに参加する。
 こんなに大人数に触れられる、実力を見せられる宣伝など他にないからである。
 ……で、
 朋和はそのイベントに観に行っていた(本当は参加したかったが依頼はなかった)。
 朋和はお目当てのバンドを観に行ってたのだが、そのハコは既に収容人数以上の人間が席巻し入場が無理だったのだ。
 仕方なく移動しようとしたのだが、動くに動けない状況が生じた。
 ただでさえ小さな雑居ビルの6階にある小さなライブハウス。階段から入場するという方法は簡単に糞詰まりの状態になる。出るに出れない立ち往生の時間が1時間ほどあった。
 その時である。
 その日には発表されていなかったバンドの飛び入り参加のライブがライブ会場のドアを開け放たれたまま行われた。
 ぎゅうぎゅうの寿司詰め状態のまま流れてきたその声は嘘みたいに澄んでいた。
 しかし……
 この中で一体何人が、その事実に気が付いただろうか?
 皆、かすれるような声の中に響く凛とした部分。熱気溢れる狭い階段内で朋和は天使の声のように感じた。
 やがて動き始めた人並み。
 後方に向かって動き出した流れを朋和は逆行した。もっとこの声に触れたい。
 その願望、欲望が朋和を突き動かす。
 やがて朋和はその入口に辿り着いた。
 何と、奇跡的に入口の受付の人間が居ない。
 多分、人手が少なく、便所にでも行ってるのかも知れない。朋和はそのまま中に入った。
 狭いハコだった。
 満タンに入っても五十人も入れないような小さなハコ。
 そのライブハウスに今、客は四十少し切るぐらいか。朋和は舞台へと視線を移していた。
 白いレースのひらひらしたカーディガンをはおった少女は目を閉じて歌っている。
 ゾクゾクした。
 が、
 違和感が…朋和を包んでいる。
 何?
 その違和感を他の客も感じているらしくノリが少しづつ熱が薄れていくのが分かった。
 何故だ?
 不思議な感覚。
 気が付けば客が一人、一人と出口に向かっていく。
 ライブは盛り上がっているはずなのに、上滑りな感覚がどんどんと大きくなってきている。苦しいような感覚。
 急斜面を転がり落ちる雪玉がどんどん大きく転がって大きくなるような………
 おかしい。

 不協和音。
 そうだ。
 声にオケがのっていないのだ。
 声の力が大きすぎてバンドがついていっていなのが丸分かりなのだ。
 そのバランスの悪さが不快となって人の心にあり得ないシコリを残すのだ。
 気が付けば、客がまばらになって十人にも満たない数にまで激減した。
 おまけに、そのバンドがその日の最終組だったので客は早々に引き上げる格好となっていた。いつでも誰でもが出入り自由というルールが災いした最悪の結果であった。
 だが、
 朋和は拍手を送った。
 一人だけで。
 まばらな拍手も朋和に続く。
 だが、本物の拍手は朋和だけだった。

 それから1ヵ月後、朋和はバンドを辞めた。
 音楽性の違いから仲間であるはずのギターを殴ったのだ。
「テンポ取りずれぇんだよ!てめぇは!」
「なんやとォ?お前のギターソロだって間延びし過ぎて自己満すぎて気色わりィんだよゥッ!!!」
 反対にボコボコにされた朋和は、血だらけのままスタジオの廊下に出た。
 そこで小鳩に出会った。
 小鳩は不思議そうに朋和を見た後、ハンカチを差し出した。
 朋和は鬱陶しそうに手を振り払って外に出た。小鳩はその時、貸しスタジオに朋和の名前を聞いていたらしい。

「ああ…あの時の……」
 朋和はその後、バンドを1回替わった。
 今のバンドは不本意だが、とりあえずベースを弾ける場所が欲しかった。ドラムがリーダーで自分が欲しい音とは違うが合わせられないこともない。自分を抑え、次の場所が見付かるまでの止まり木にしようと思ってのバンドだった。
 そのライブに、あの小鳩が見にきていたのである。
「ふふ…」
 小鳩は意味ありげに笑う。
 一方、朋和は困惑気味だ。
「俺の名前…何で知ってるの?」
「ルチャで聞いたの」
 ルチャとは朋和が練習でよく使うスタジオだ。安いが機材が揃っている。貧乏バンドにはありがたいスタジオでいつも予約で埋まっている。
「ああ、そうなんだ…」
 ヤバイ。
 こんな女の子と話すのは苦手だ…と、痛烈に感じる朋和。会話が続かない。
「実は…運命感じちゃってるンだな私」
 クリクリした瞳で朋和に言う。
 朋和は、ハッとした。
「うん。俺もあのバンドじゃ駄目だと思う」
「は?」
「よければバンド集めて作りたいと思ってるんだ」
 そう、
 南ホイールで見たあのバンドじゃ小鳩のボーカルは全く生きない。死んでいるとさえ言っていい。ならばどうするか?知れた事。新しい小鳩に合うバンドを作ればいいのだ。朋和はどうすれば小鳩が生きるのかあの後、何度か頭の中でシュミレーションしていたのである。
「え?」
 小鳩は朋和の言葉の意味がスグには理解できなかったが……やがて理解できた。
そして笑う。
 朋和は笑われる意味が分からない。
「な…何で笑うの?」
「あー、可笑しい。朋和くんって天然?」
「何が天然なんだよ!」
 少しムッとして問い返す。
「逆ナンだったんだよ、今の」
 え…?
 途端に朋和の顔が真っ赤に染まった。
 それを見て更に小鳩が笑った。



(つづく)