あの時、あなたは私に何を言ったのだろうか?ずうっと考えていた。
私達が出会ったのは、もう随分と前の事だ。
私は生涯…誰も愛する事はないなどと、諦めていた矢先の出来事だった。知り合いの銀婚式パーティだった。あなたは私の隣に座ると静かに微笑んでいた。私には、その微笑が自分をからかっているような気がして、何とも気分を害してしまっていた。だから必要以上に、あなたとは目を合わせなかった。今考えると恥ずかしいが、男としてのみみっちいいプライドが私をそうさせたのかもしれない。
そんな私にあなたは気さくに話しかけてきてくれた。「素敵なペンダントですね」
私の胸には、友達が作ったシルバーリングが、四六時中ぶら下がっていた。これでも夜、金縛りやなどにあったりして、お守り代わりに胸に飾っていたものだ。【魔除け】として使っているものですと、言うとあなたはころころと優しそうに笑った。
その瞬間、私は恋に落ちたのだ。
それから、あなたはバツイチで、もう結婚はしたくないのですが…と言いながら私が誘うと映画や、街に出かける時についてきてくれるようになっていた。不思議な繋がりに、五十を越え胸がときめいた。友達は笑ったが、私にとっては生涯最後の春だった。
あなたが一緒になってくれると言ってくれた時の私は、まるで中学生にでもなったかのように、そこいらじゅうを犬っコロみたいに飛び跳ね、転がり回りたい気持ちで一杯だった。正直、近くの神社の人目につかない場所でガッツポーズを取ったのは事実だが。
……でも、
あなたは逝ってしまった。
元々、身体が弱かったあなたは、結婚して十年目に風邪をこじらせ入院した。あなたの顔色がみるみる悪くなっていった。
春の季節、あなたは桜が見たいと言った。
私は医者に許可を取って桜を見に行った。
はらはらと、音も立てずに舞い落ちる桜の花びら。私は、あのガッツポーズを取った神社にあなたを連れてきた。
あなたは弱々しく手の平を前に出して花びらが載ると嬉しそうに私に見せた。
その時だ。
ざあああああああっ
大きな風が吹き桜の木々を揺らし、あなたの声を掻き消したのだ。
私は小刻みに震えるあなたの手があまりにも痛々しくて意味も分からず、ただ、うんうんと頷いていた。
あなたは嬉しそうに、ゆっくりと花びらを握ったまま胸のところに持っていった。
深い深呼吸をして、あの時、最初に出会った時の微笑を私に向けた。
病室に帰って、しばらくすると私は家路についた。私はまだ働いていた。年金だけでは暮らせなかったからだ。近くのマンションの清掃員をやっている。だから病室は泊まらずに家に帰るのが常だった。いつもより、長い時間をかけて、あなたと昼間に行った神社を歩いた。いい気分だった。
その夜のこと、あなたの容態が急変した。
私が連絡を受けて病室に帰った時には、既にこの世の人ではなかった。
泣いた。
長い、長い間、泣いた。人はこれほどに泣けるものかと驚いた。
そして、気が付いたのだ。
あの時の、あなたの言葉に。
『これを首飾りにしようかしら』
私は頷いたのだ。それをあなたはお揃いにしようと両手に花びらを掴んだのだ。もう帰らぬ事を感じて。
今は、もう届かない私のあなたへの想い。
あの時あなたに届いていたのだろうか?
私は声を上げて泣いた。
『届かない想い』