今日、仕事先で強烈なジコチュー(自己中心)な人に出会った。
人間は生きる上で、誰もがジコチューである。
それは僕も認めている。
違う角度から見れば、それは立派な個性であるからだ。
しかし、
そのジコチューには明らかに種類がある。
2種類だ。
ひとつは、世間的な時流に乗り他人を圧迫しないもの。
そして、もうひとつは、何もかもを自分中心の支配下において抑え付けることでしか満足を得ないもの。
この2種類の圧倒的な違いは、人に不快感を与えるか与えないかの違いだ。
今日は、この後者の人間に出会ったという話しだ。
この人達・・・・・この人種達は自分が絶対的に正義、つまり正解であると思い込んでいる。
しかも、その正解は普遍的であると回りに説いて、自己流論理でねじ伏せる。
いわば・・・・
独裁者である。
正直、このような人達は、今の今までどのような環境で自分を甘やかして生きてきたのだろうかと不思議で仕方がない。
人間はひとりでは生きていけない。
絶対にだ。
だが、その裸の王様は、全てが自分の力だと信じて疑っていない。
ぞっとする。
そんな生き方・・・・・・僕には出来ない。
ぶっちゃけて言えば、それは哀れみを伴った情けをかけられて生かされているだけなのである。
そんな人の情けを知らずに生きていくのは、僕の羞恥心が耐えられない。
怖い。
そんな思いに至れないという哀れ。
思いが足りない・・・ということなのだろうか?